24.胸中吐露
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葉子は水気をしぼった手拭いで杏寿郎の体を拭いていた。杏寿郎が意識を取り戻す前から少しでも気分良く過ごせるよう、体に刺激を与えようと一日の終わりに夜になるとこうして毎日体を拭いている。
今は杏寿郎も寝ているし、風呂に入れない体をふかれるのは悪い気もしないだろうと、特に頼まれたわけではないが葉子はこの日も自主的に体を拭いていた。
杏寿郎の腕は力が入っていない為にずっしりと重く、持ち上げるのも一苦労であった。持ち上げた腕のひじを拭き、続けて濡らした手拭いを程よく筋肉のついた二の腕まで滑らした。その時、ゆっくりと目が開けられた。
「起こしちゃいましたか。千寿郎くんとお父様は帰りましたよ」
「そうか……」
杏寿郎は大人しく葉子に体を預けている。
葉子がふいたところから肌は冷やりとして気持ちが良かった。意識が戻らない時からこうやってくれていたのだなと、葉子の手際の良さから察することができた。
「お水は飲んでも良いそうです。飲みますか?」
「今は……いらない。ありがとう」
葉子は左の腕を拭き終え、右の腕に取り掛かろうとした。水に浸した手拭いをぎゅっとしぼる。水が滴となってぽつぽつと桶に落ちた。桶の中には小さな波紋が広がった。
手拭いを丁寧にたたみ、いくつかの管の繋がれた腕にそっと置く。葉子は腕を拭き終えて、次にそのままの手拭いで杏寿郎の首を拭いた。杏寿郎は首元がくすぐったくて笑った。
「もしかして……顔を拭いてから腕の方が良かったですか?」
「いや、順番は何でも良い。ありがとう。こうしていつもやってくれていたのだろう?」
「汗もかいていたので……目覚めた時に少しでも気持ち良く目覚めてほしいなと」
葉子は再び手拭いを桶の水の中に浸し、ぎゅっと水気を絞った。畳まれた手拭いが額に置かれた。ひやりと冷たく心地良かった。
杏寿郎は目を覚ましてから再び寝る前、自分の中で決めたことがある。それを葉子に伝えようと、この時に思った。
「……葉子。君は嫌がるかもしれないが俺はまだ鬼殺隊は続けようと思う」
「…………」
杏寿郎の額に置かれた手拭いはゆっくりと目元、目尻、鼻と下りていった。顔の輪郭を確認するようにゆっくりと柔らかく撫でられる。目を覆っていた手拭いが離れ、視界には眉間に皺を寄せた葉子がじっと杏寿郎を見下ろしていた。悲しそうな顔をしている。
「刀は握れる。柱としてまだやり残したことがある」
「この体でですか? 左目はもう戻らないのですよ」
葉子ははっきりと大きな声を出した。葉子自身も、自分がこんなに大きな声を出すとは思っておらず内心驚いていた。二人しかいない部屋の中は、音が掻き消えたようにしんと静まり返っている。
「杏寿郎さん……体がどれほどの傷を負っているかわかっていますか? 傷は何とか治っても元のようには動けないかもしれません」
杏寿郎はきっとそう言うだろうなと薄々と思ってはいたが、本人の口から言われると頭を叩かれたような衝撃だった。
「それでも柱はやめない」
杏寿郎は葉子の方を見ずに、じっと天井を見つめていた。その口ぶりは明瞭で揺るぎない。
「……次に失うのは目だけじゃないかもしれませんよ」
既に体は今までとは違う。大きな制限を負った。今までのように戦えないのではないか。その体で鬼に立ち向かうのか。
もう、充分に役目は果たしたではないか。もう良いじゃないか。そんなにぼろぼろになってまで戦わなくても良いじゃないか。もう、こんな想いをするのは充分だ。もう、やめて──
じわりと葉子の視界がにじむ。
「上弦と対峙した柱は俺しかいない。俺にしかわからないことがある。下の者も育っていない。やらなければならないと……そう思う」
ガラス窓には木板が打ち付けられ、もう片方のガラス窓からは月がぽっかりと見えている。もうすっかり夜だった。
葉子は手にしていた手拭いを握りしめた。水気を帯びた手拭いはすっかり冷たくなり、体温を奪うようだった。
「……残された家族はどうなりますか。杏寿郎さんが目覚めないこの五日間、どんな想いでいたかわかりますか? 苦しくて、辛くて、生きた心地がしませんでした。もう二度と目を覚まさなかったらどうしようと……そんなことばかりを考えて過ごしていました」
「…………」
葉子はこんなことを言いたいのではなかった。杏寿郎が目覚めて本当に嬉しかった。でも、口から気持ちが漏れて止められなかった。責めるようなことを言いたいのではない。杏寿郎は悪くない。柱だから。杏寿郎は炎柱の雅号を、柱になったその時から背負っている。
「絶対に死なないと私に言いましたよね? それがどうですか。鬼の前ではそんな約束は通用しないってこれで分かったじゃないですか。私は……杏寿郎さんがいない世界では色が無くなるのです。生きていてもしょうがないのです。あなたに死んで欲しくない……」
葉子はぽろぽろと涙を流した。こんな責めるような言葉を杏寿郎に言いたいのではない。何と酷い言い草だろうか。こんな自分に嫌気がさす。
「もう、充分に責務は果たしましたよ……もう、良いじゃないですか……私を置いて行かないで」
ランプの灯りが揺れ、床に壁に映っている葉子の影も揺らめいていた。消え入りそうであった。やがてランプの灯りは安定し、影はくっきりと濃く映し出された。
夜の静かさの中、杏寿郎が口を開いた。
「……すまない」
その言葉を聞き、葉子はさめざめと泣いた。