5.絶対に
▼
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
掛け軸を引きちぎろうと引っ張ってもびくともしない。薄い和紙だが石のように硬い。米田は自分の日輪刀に手をかけ刀身をじっとりと抜いた。石のように硬いのならば叩き割るしかないだろう。この掛け軸は何かある。早くこの血鬼術を解かなければ。刀の切先を掛け軸に向け、大きく振り下ろす。
「やめろ。掛け軸に手を出すな。やめてくれ。お願いだから……」
その声に米田の動きはぴたりと止まった。鬼から絞り出された切ない声が聞こえ、人間である米田は迷いが生じた。人には心が。人間には情があるから。
「……ふん、馬鹿めが」
しかし鬼は狡猾で保身の為なら平気で嘘をつく。ぴたりと動きを止めた米田にこれ幸いと鬼は鋭い爪を伸ばす。
「ひっ!」
米田の首に一筋の傷が付いたが、それと同時に激しい炎の渦が下から巻き起こり鬼の脇から肩にかけて大きくえぐった。「ぐっ」と発せられたうめき声は鬼のものか、米田のものか。鬼はとっさに離れた。地に着地をしたと同時に家が大きく揺れた。天井からはぱらぱらと木屑が落ちる。
鬼は己のことを狡猾だと思っている。しかし長いこと山の中にいる為に、鬼殺隊のことも知らなければ柱の存在も知らなかった。
鬼は茶色く濁った目をぎょろぎょろと動かした。その目に一人ずつ剣士の姿を焼き付ける。
炎が邪魔をしなければ、一人は確実に殺せた。血鬼術の中のはずなのに、何だあの動きは。忌々しい……だが、よくよく見ればおかしな髪色の剣士も相当に疲れているようで、大きく肩で息をしている。時間を稼げれば三人とも始末できる。鬼はそう判断をした。
三人の中で一番厄介なのは炎の剣士。一人は掛け軸をどうにかしようとしている。炎の剣士は掛け軸の剣士を守っている。もう一人の剣士は刀を杖にしており今にも倒れそうだ。能力的にも他の二人を束ねているのは炎の剣士だろう。それぞれ離れている他の二人を守るのはさぞ大変だろう。ならば、翻弄してやろう。鼠のようにちょろちょろと動き回るのは滑稽だと、聞こえないように鬼は喉の奥でくつくつと笑った。
刀によって斬られた傷は既に治っているが、傷はちりちりと熱く、皮膚が燃えているようだった。それがまた癪に触った。三人とも必ず喰ってやる。そう強い誓いを立てて鬼は霧島の方へ飛び掛かった。
茶色に濁った鬼の瞳と目が合った。来る。霧島は今度こそ死を覚悟した。
すると鬼の首に炎が迫り、ゆっくりと肉をえぐって行く。鬼は目を見開いたまま、何が起きたのかわからないようだった。杏寿郎は鬼と同時か、それよりも一瞬早く霧島の方へと足を踏み出した。鬼の視線から霧島の方へ襲い掛かると分かったからだ。
首が完全に胴と離れる瞬間に、全てを悟った鬼はくるりと体を反転させ最後の力で手を伸ばした。鋭い爪は確かに皮膚をえぐる感触を残し、とうとう首は胴体から切り離された。
その刹那。体がふっと軽くなり、霧島はその場にがくりと膝を付いた。米田は掛け軸に刀を突き刺していた。そして目の前では、脇腹を抱える杏寿郎がいる。
「家が、家が荒らされる……わしの家が蹂躙される。許さん。剣士達よ。必ず貴様らは殺す」
灰となり散って行く鬼の頭はこの期に及んでまだ殺意を抱き、呪いの言葉を吐いていた。
「やった……やりましたか? やりましたよっ!」
へたりと床の間に座り込んだ米田が、はぁと長い息を吐いた。掛け軸には刀が突き刺さっている。すると、刺さった刀が壁へと吸い込まれて行く。
「避けろっ!」
「へ?」
掛け軸の中から一本の腕がめきめきと伸びて来て、下にある米田の頭を掴んだ。米田の頭には赤い爪がめり込み、ぎりぎりと握り潰そうとしている。杏寿郎は血の滴る脇腹を抑え駆けた。脇腹より滴る血が畳にぽつぽつと道を作る。血が床の間にぽつりと落ちる前に米田の頭を掴んだ腕を刀ではねた。
「ぎゃあ!」
甲高い金切声を上げ、腕はぼとりと落ちた。米田は意識を無くし、どさりと倒れた。死んではいない。脳しんとうのようだった。杏寿郎が米田の元へ駆けた後ろで、切り離した鬼の胴体からは別の鬼が形成されていた。斬ったはずの腕も元通りに再生している。女の鬼だった。膝を付いている霧島に襲い掛かる。
間に合わない──
とっさにそう思った深い手負いの杏寿郎は気が付けば自分の日輪刀を鬼目掛けて投げていた。ぐさりと鬼の頭に刀が刺されば、液体が溶けるようにして鬼の体は消えた。刀はそのまま真っ直ぐと飛んで行き壁に突き刺さる。まだ鬼がいた。女の鬼はまだ死んではいない。首を斬ってはいない。霧島は震える足に力を込めて何とか立ち上がった。
鬼は全部で三体。掛け軸の絵の通りだったようだ。腕は一本切り落としたが、それもすぐに再生されてしまった。鬼は仕留めてはいない。
杏寿郎の脇腹からは血が滴っている。押さえる指の間から血が溢れる。呼吸を整え止血を試みるが、思ったよりも傷が深く出血の量が多い。そして手には刀が無い。視界が霞んで来て、意識がぼんやりとし始めた。鬼はどこだ。
鬼の気配はこの家にまだ色濃く残っている。どこかに潜んでいるらしい。ふと、薄れ行く景色の中に衣紋掛けに桑色の着物を見た。女の鬼と同じ色の着物だった。
その時、鬼が壁からぬるりと出て来て、横たわる米田を視界に入れた。米田の日輪刀を手にしている。薄らと笑っている鬼は白い手に握られている刀を米田に向け、振りかざした。
絶対に彼を死なせない──
杏寿郎は目を見開き、咄嗟に振り下された日輪刀を手で掴んだ。肉が切れ血が這うぬるりと滑る感触が指にある。鬼は一瞬驚いた顔をしていたが、にやりと笑い、空いている左の手を杏寿郎に伸ばした。赤い爪がゆっくりと左の胸に刺さっていく。力を込めて爪の侵入を防ぐが、力を込める程に脇腹からは血が落ちる。意識が遠くなる。
死なせたくない。例え自分が犠牲となっても。
鬼はにやりと笑い、そして目を見開いたまま首がぐらりと床に落ちた。
水飛沫と共に鬼の鮮血が辺りに散った。
杏寿郎はそのまま倒れ、その横に霧島がどさりと倒れ込んだ。
「……酷い姿ですね。炎柱様。花見をするのでしょう。死なないで……下さいよ。悲しむ人がいるのだから」
そうだった。葉子と約束をしたのだ。家に帰らなければ。こんなところで死ねない。
倒れる杏寿郎には掛け軸に描かれた三人の姿が目に映り、やがて意識が無くなった。