4.双頭の鬼
▼
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
二人は朽ちた家から約十丈程離れた場所にいた。これより先は鬼の血鬼術の範囲内だ。
「もし……鴉が飛んで来てもあそこから先は血鬼術の中で……そう早く家の中に入れますかね?」
「私は上から行きますよ。米田さんは馬鹿正直に後から真っ直ぐに来たら良い」
いちいち癇に障る言い方をする霧島だが、霧島穂高の悪名は仲間内で有名だったので米田は特段気にならなかった。「
顔を合わせたのは今回の任務が初めてだが、同じ男でもたじろぐ程の美丈夫で、そこから発せられる言葉のまあ棘のあること。自分のことが嫌いなのかと思ったが、その割には鬼から助けてくれたりとよくわからなかった。そしてこれが階級が乙の者なのかと。
「上からですか……?」
「その頭に脳みそは入ってますか。上から落ちて行けば自分の重みでそのまま下に行くでしょう。あの中では動きが鈍くなる。刀を振るのが難しい。それ以上の力で強く振り上げないといけません。なるべく筋力は温存しておかないと。言ってる意味分かります?」
その時、鴉が飛んで来た。杏寿郎が鬼と遭遇した合図だ。鬼を引きつけている内に、二人は家を捜索する手はずである。
「米田さんが真っ先に鬼に狙われないことを祈ってますよ。私は鬼の首を斬るのに専念しますので」
もう米田は助けてやらないと言っている。そんな、どうしよう手負いなのにと思っていると、霧島は大木にひょいと枝から枝へと跳躍し、一番上の太い枝まであっという間に上って行った。そして膝を曲げ、ぐっと力を入れるとぎしりと音を出した枝から空高く飛び上がる。飛び立つ鳥のようであった。しかしそのまま落ちてもまだ家までは遠く、米田はわけもわからず困惑していると霧島が構えた日輪刀からは水流が発生した。流れはすぐに小さな川を作り、体ごと大きな弧を描き、驚く程の速さで家のある方に回転をしながら落ちて行く。途中、鬼の血鬼術の範囲に入ったらしく、ゆっくりと落ちながら水流は刀に収まり霧島は朽ちて穴の空いている屋根へと吸い込まれて行った。家に近付く瞬間に急に時間がゆっくりと動いているように見えた。そして何よりも霧島の流れるような美しい動きに圧倒されたのだった。
「……は! 俺も早く行かないと」
米田は慌てて鬼の根城まで駆けて行った。
・・・
水の中にいるようにゆっくりと家の中に降り立った霧島は、この前とは格段に違う四肢の重みを感じた。手や足だけでなく、肩も首も手にしている刀でさえも重く、もしこの場に鬼がいたら上手く攻撃を避け切れる自信がないと少しの不安を覚えた。しかし、この場には自分以外に生き物がいる気配が無い。
何かの手掛かりを見つけ早く鬼を仕留めなければ。霧島は焦りにも恐怖にも似た落ち着かない気持ちを抱きつつ、足に力を込めて前に進む。ただの一歩がやけに重く、強い力で抑え付けられているようだった。
家の中は荒れに荒れていた。床からは木の根が突き出し、家の中に木が生え、その木が屋根を突き破っていた。障子戸と思われるものには紙はついておらず縦横に細い桟だけが残されている。長年雨晒しになっていた為か、畳と思われるものには水溜りがあったような跡もあり黒いしみが一面に広がっている。かび臭さと湿った木の臭さ、そして森の獣達に蹂躙された獣臭さ。何とも言えない異臭がする。この建物は異常であった。
しかし、さほど広くはない家の中にしっかりと閉められた襖があった。その奥に部屋があるらしい。その場所は屋根が辛うじて残っており、襖は不思議と朽ちておらずこの荒れ放題の空き家の中で酷く異質であった。
何も無いと判断する方が不自然だろう。
霧島は何とか襖に近付き、引手に手を掛けた。
「近付くなぁぁあ!」
耳をつんざくような怒号が近くで発せられ、顔を向けるよりも早く視界の端で鬼の姿を捉えた霧島はあるたけの力を足に込め、後ろに引いた。鬼の鋭い爪が隊服の胸の辺りを一文字に引き裂く。皮膚に赤い線が引かれた。あと一歩気付くのが遅かったら爪がそのまま胸をえぐっていただろう。
「大丈夫か!」
鬼より一歩遅れて来たのは杏寿郎であった。まさか、柱から逃げられる鬼がいるのか。霧島は額にじわりと嫌な汗がにじんだのを感じた。何だこの鬼は。
「人の家に土足で入りおって。生きて帰れると思うなよ」
鬼は自分の爪についた血をべろりと舐めると言った。
杏寿郎も霧島も鬼をじっと見据えて動かない。二人とも口からは鋭い呼吸の音を発していた。
鬼の目は右に左にとぎょろぎょろと動き、どちらから先に仕留めてやろうかと算段を立てているようだ。先に襲われるとしたら自分の方だと霧島は思った。柄を持つ手に力を込めさらに強く握る。
こちらから攻撃を仕掛けても、通常よりも数段動きが鈍くなるこの空間では鬼に避けられるのは必至で、向こうから来た時に刀を振るうしかない。それは刀を正眼に構えた二人には分かっていた。
鬼と剣士二人。どちらも一歩も動かず緊迫した時間が過ぎて行く。
その時、鬼は二人を通り過ぎ後方に駆けた。
「ひぇっ、鬼!?」
情け無い声が家のすぐ外で聞こえた。米田が到着したのだ。
避けろっ!
霧島の声が発せられるより先に、炎の一閃が米田に手を伸ばした鬼を退けた。鬼は軽々と攻撃をかわし、にやりと不敵に笑っている。
「遅いのぉ、遅いのぉ……お前達の動きは蝸牛のようだ。このまま大人しく帰れば見逃してやらんこともない」
「戯言を」
「ならば喰い殺すまでよ。衰弱するまで遊んでやろう」
くつくつと笑い、まるで余裕の笑みを浮かべている鬼は醜かった。醜く憎い。一体何人の人間をこの家に引きずり込み喰ったのだろうか。
鬼は鋭い爪を杏寿郎目掛け突き出すが、甲高い金属音を立て刀で爪を弾いた。
この鬼は大した力を持っていない。爪での単純な攻撃。攻撃力はさほど無い。しかし、自分の体が思うように動かせないのが非常に苦しかった。足を動かすのも刀を持ち上げるのも、まるで泥に絡め取られたように重い。大して動いてもいないのに霧島の息は既に上がっていた。
「米俵隊士! 襖の部屋は任せた。俺達で援護をする!」
「は、はいっっ!」
米田は面白いくらいに慌てふためき、何とか一歩また一歩と襖の部屋に近付いて行く。途中、木の根につまづきそうになったが、体はゆっくりと倒れるので転ばずに踏みとどまった。後ろでは鬼の咆哮と共に、刀と金属なような物の激しくぶつかる音や、叫び、時々「うっ」とうめき声が聞こえる。霧島の声だろうか、柱だろうか。血の匂いもする。どちらの血だろう。水や炎の激しく吹き上がる音も聞こえる。二人がこの血鬼術の中で鬼と必死に戦っている。
すぐ自分の後ろで何か鋭利な物が横切る風を感じる。ここで振り向いて足を止めてはいけないと自分に言い聞かせ、真っ直ぐと前を見た。何が起きているのかはわからないが、自分に向けられている鬼の殺気はひしひしと感じる。二人にただ守られながら米田は自分が部屋に向かって歩いているだけで戦いに参加していないのがとても申し訳無かった。だが、自分は言われた事をやり遂げるのだと強く心を持ち、襖の引手に手をかける。