26.家路につく【完結】
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部屋の窓を開け外の空気を取り入れる。冷やりとする空気が流れ込み、葉子の後毛をほんの少し揺らした。吐く息は白く、今日は一段と冷える日であった。
窓は開けたまま、杏寿郎の使うベッドのシーツを整える。洗ったばかりのシーツは真っ白で張りがあった。枕カバーを取り外し、新しいカバーを付ける。掛け布団を足元の位置で畳んで置き、手近にあった椅子に座った。
葉子は何の気なしに部屋を見渡した。
一人部屋として杏寿郎が使っているこの部屋は、一人が使うにしては広く、ベッドや傍に置いてある机や棚、来客用の椅子がいくつか置かれている。葉子が泊まれるようにと、以前はベッド代わりの長椅子が置いてあったが、杏寿郎が動けるようになった今はもう泊まることはないので長椅子は撤去されている。
部屋の広さのわりには置いてある家具が少ない為、部屋の中は閑散としておりどこか寂しげな雰囲気が漂っている。
確かにここで毎日寝泊まりをするのは物悲しいかもしれない……
蝶屋敷には誰かしら必ずいるので、一人きりになることはない。ただ、夜に活動をする鬼殺隊は、夕方から夜に掛けて人が少なくなる。しんと静まり返った広い部屋に一人取り残されると、焦りや、孤独感を強く感じでしまうのかもしれない。体の状態も万全ではない杏寿郎が「早く家に帰りたい」といつも言う気持ちも分かる気もした。
葉子は椅子から立ち上がると開けていた窓を閉めた。窓を開けるのは部屋の空気の入れ替えをする為で、冬の寒さは体に堪える。
すると、廊下をかける足音が近付いて来る。
しのぶの元へと診察に行っていた杏寿郎が部屋に戻って来る。まだ走ってはいけないことになっているのだが、何か良い知らせがあるのだろうか。
その時、ばんと部屋の扉が開かれた。
「葉子、家に帰れるぞ!」
杏寿郎は真っ直ぐと葉子の元へ歩むと手を握り、大きく上下に振った。葉子の小袖がばさばさと音を立てた。
「胡蝶から許可を貰った。帰ろう」
「それは良かった……でも少し早く無いですか? 大丈夫でしょうか?」
「胡蝶の気が変わらないうちに出よう」
口ぶりより、無理やり胡蝶から帰宅の許可を貰ったのではないかと勘繰ってしまう。だが杏寿郎はとても嬉しそうだった。
「胡蝶より書付を託された。俺は信用されていないらしい」
手に握られていた封筒を葉子に渡すと、杏寿郎はさっそく着ている浴衣の帯を取って脱ぎ始めた。
「そこに入っている隊服を取ってくれないか」
葉子は棚の引き出しに綺麗に折り畳まれている鬼殺隊の隊服を手に取った。破れやほつれは縫製係によって修復され元の状態にすっかり直っている。いまかいまかと杏寿郎が身に付けるその時を待っていた。
「久しぶりだ。少し緊張する」
隊服に手を通し、詰襟のボタンをひとつひとつ留める。ベルトを通し、最後に羽織を身に付ける。炎を思わせる羽織が、杏寿郎の髪や顔つきと相まってとても似合っていた。鬼殺隊の炎柱が確かにそこにいた。
葉子は思わずため息を漏らした。杏寿郎は炎柱の羽織を身に付けたその姿が一番凛々しく似合っているのではないだろうか。
「さあ、帰ろう」
・・・
二人は砂利道を歩いている。
簡単な荷物だけ持ち帰り、残りはまた後で取りに来れば良いと、蝶屋敷に残っている他の隊士たちに挨拶を済ませ早々と出てきた。
ずっと屋敷で世話になっていた女子達は「本当に元気になって良かったです」と、涙ぐんでいた。葉子はその姿を見て、また胸が熱くなったのだった。
しのぶにも挨拶がしたかったのだが、しのぶはすでに蝶屋敷を出た後だった。会う人会う人みなが「良かったですね」と声を掛けてくれ一緒に喜び、ついでに菓子のお土産を持たせてくれた。
「蝶屋敷にいる皆さんからお菓子をたくさん頂いちゃいましたね」
「一応、俺は食べてはいけないことになっているがお構いなしだったな」
「そうですね」
杏寿郎の抱える袋の中には、金平糖やキャラメル、せんべいなどの餞別の品が入っている。とりあえず手持ちの物を……と、各々の隠しおやつをいろいろな人から少し分けてもらった形となった。
「また稽古をつけて下さいと言っていた方もいましたね」
「俺はまだ任務には出られないからな。家の場所を伝えておいた。何人か家に来るかもしれない」
杏寿郎の歩に合わせ、袋の中身もがさと音を立てる。
「蝶屋敷にいた時はとても賑やかだったので……少し寂しくはなりませんか?」
葉子が行った時、蝶屋敷ではいつも誰かしらが叫んだり、喧嘩をしていたり、稽古をしていたり、追いかけ回していたり。杏寿郎のいる部屋と同じ階の部屋に寝泊まりしている少年達は特に賑やかだった。彼らがそこにいるだけで辺りが明るくなり、春の陽気にあてられたようだった。彼らは杏寿郎のいる部屋にもよく来ては任務のことや呼吸のことを話していた。
「いや、それはない」
ふふと何かを思い出して笑った杏寿郎は嬉しそうだった。
「鬼殺隊は皆が繋がっている。会おうと思えばいつでも会える。彼らがどんな成長をしているのか次に会う時が楽しみだ。寂しさよりも楽しみの方が大きく上回っているな」
「……そうですか」
実に杏寿郎らしい言葉だなと葉子は思った。いつも前向きで、周りの人も明るくさせる。きっと、あの少年達もそんな杏寿郎に救われ、光を求めていたのではないだろうか。
杏寿郎は葉子の方を向くと、左手を差し出した。葉子も出された手にそっと右手を添えた。その手は力強く握られ、自然と引き寄せられた。
「俺は葉子がいつでも側に感じられるのが嬉しい」
視線を上げればにこにこと微笑んでいる杏寿郎の顔がすぐ側にあった。目を細め、心から喜んでいる。葉子は応えるように手を握り返した。
「これからも一緒にいよう」
「はい」
その時、握り合う二人の手の上にはらりと白い物が落ちてきた。白い結晶は手の上ですぐに消えた。
葉子が空いている方の手の平を上に向けると再びはらりと白い物が落ちてきて、手の平の上ですぐに溶けた。
「雪でしょうか?」
「もうすっかり冬だな!」
天を仰ぎ見れば、灰色の雲からはらはらと小さな雪が落ちている。
「降ってくるな。早く帰ろう」
「そうですね。杏寿郎さんが風邪をひいちゃいますもんね」
手を繋ぎ合ったまま家路を急ぐのであった。厚い雲が立ち込める寒空の下、二人の行く道は確かに温もりのあるものだった。
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