20.対面
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午後、葉子は門前で落ち葉をはいていた。竹箒が規則的に地を撫でては赤や黄に色付いた葉を集めていく。
結局、葉子は夜中に目が覚めてから一睡も出来なかった。朝になって槇寿郎や千寿郎と顔を合わせてからは少し落ち着いて来たが、それまではずっと自分の心臓の鼓動はどくどくとうるさかった。一瞬、病気を疑ったがここ最近体の不調は何も無く、体調面でおかしいと思うことも無かった。
虫の知らせ……
杏寿郎に何かあったのではないか、まさか。そんな風にも思ったが、朝のばたばたとした支度をしている内にそんな気持ちも薄れていた。
槇寿郎と千寿郎を送り出し、一人になったことでまた鼓動がうるさく鳴っているのに気が付いた。
やはり、何かあったのでは……
通りの先で人の近付く足音がした為に、葉子は顔を上げた。頭巾を被り、目元しか見えない隊服を着た鬼殺隊の隠がいた。家に出入りをしている山下かと手を挙げて気安く挨拶をしようとしたところ、その隠は山下ではないとはたと気が付いた。挙げかけた手を元に戻す。
山下よりも背が高く、まとっている雰囲気からして違う。目の下には濃いくまがあり、任務で疲れているのか元々のものなのか。山下のどこか抜けた雰囲気は微塵も無く、ぴりと緊張を持っているように思えた。
他の隠が一体何の用かと、葉子は腰を降り丁寧に頭を下げた。冷たい風が集めた落ち葉の山を崩してゆく。
「煉獄葉子様ですね。一緒に胡蝶様の屋敷まで来て頂けますか。事は急いでいます。説明は道中にします」
・・・
迎えに来た隠の話によると、杏寿郎は先の任務で瀕死の重傷を負い、一命は取り留めたもののいつどうなってもおかしくない状態だということ。意識は戻らず、今のうちに家族と顔を合わせてあげたいと胡蝶しのぶが配慮をして葉子を呼び寄せたとのことだった。
隠はそれだけ伝えると後はずっと無言であった。言葉を選びながら誤解や期待をさせないよう、ぽつぽつと端的に事務的に説明をした。時々、葉子の表情をちらと確認をしてはいたが、葉子が動揺も泣きもせず、狼狽える素振りも見せないのに安心したのか話を終えた後はずっと前を向いていた。
葉子はどこか人ごとのように隠の話を聞いていた。杏寿郎の姿を見るまで信じたくないのかもしれない。ずっと夢の中にいるようなふわふわとした感覚でいた。昨夜、突然に目覚めたのはこのことだったのかと、妙に納得していた。
心臓の鼓動は気付いた時には平常に戻っていた。その代わり、今この時間がまるで夢の中のような、時がひどくゆっくりと進む感覚になっていた。深い水の中に沈んだようで見える景色はどこか歪み、聞こえてくる音も遠い世界のような。自分が地に足をついている感覚がまるで無かった。
蝶屋敷までの道のりは長いようで、直ぐに着いた。どこをどう歩いたのかさっぱり記憶は抜け落ちている。
「着きました。こちらです」
先を行く隠に言葉を掛けられるまで、頭の中はぼんやりと霞がかかり「もう着いたのか」とやはり人ごとのような感覚でいた。
屋敷の中へ入ると、すれ違う隊士や隠は誰もが沈痛な面持ちをしておりその姿を目に入れる度に、胸がぎりぎりと締め付けられる思いがした。
頭の中に掛かっていた霞が次第に薄れ、すれ違う人の表情が、歩く廊下のぎしぎしとした音、前を歩く隠の背中がはっきりと見えてきた。
これは悪い夢ではない現実で、杏寿郎は瀕死の重症で意識は戻らず、危険な状態にある。
そう自覚をしだした自分が恐ろしくなり、微かに体が震える。葉子は思わず拳を握りしめた。
二人は二階へ上がり、廊下を進んだ一番奥の部屋へと進む。部屋の扉の前では隊服の男ががっくりと項垂れて扉に背を預けていた。
「山下さん……奥方を……」
山下と呼ばれた男ははっとして顔を上げた。隠の頭巾を外していたあの山下だった。葉子の姿を認めると泣き腫らした目にさらに涙を浮かべ口をぎゅっと閉じ、そして助けを求めるようにじっと見上げてきた。
普段、山下は家に来る時も頭巾を取ることがなかったので、こんな顔をしていたのだなと葉子は思った。人柄の良さそうな、人懐こいようなそんな顔だった。
私は大丈夫です──
葉子は山下の顔を見ながら、そう静かに頷くと山下は嗚咽を上げて泣いた。
山下の声を後ろに聞きながら、扉を開けると血の匂いが鼻をついた。そして部屋の窓際にベッドがひとつ。ベッドの前には胡蝶しのぶが静かに佇んでいる。
「葉子さん……」
しのぶは椅子から立ち上がると、代わりに葉子にそこへ座るように促した。
椅子に座りベッドに横たわる人物を見る。布団から見えているほとんどの部分が包帯で覆われていた。片目には血のにじんだ包帯が巻かれている。もう片方の目は閉じられたままだ。焔の髪色が間違いなく杏寿郎であると告げていた。
夫の痛々しい姿に、葉子は胸が押しつぶされそうだった。苦しく、息を吸うのがやっとで呼吸の仕方を忘れてしまいそうだった。苦しい。
「二百名の乗客に死者は出ず、煉獄さんは柱としての任務を立派に務められました」
ベッドの側には小さな棚があり、そこには血のついた炎柱の羽織と隊服が畳まれて置かれている。
「予断を許さない状態です。いつどうなるか……意識が戻るのかもわかりません。ご家族には私の方から鴉を飛ばします。葉子さんは、このまま煉獄さんを励ましてあげて下さい」
しのぶは静かにそう言うと、部屋を二人きりにして出て行った。
ベッドに横たわる杏寿郎は弱々しいながら息はしている。額にはじっとりと汗をかき、瞳を閉じた寝顔は穏やかだった。
葉子は杏寿郎の力の無い手を両手で取ると自分の額にそっと当てた。握った手は握り返すこともせずに、手を離せばすぐにだらんと落ちてしまうのだろう。
「杏寿郎さん、どうか私を一人にしないで……」
葉子は声を出さずに涙を流した。