17.発車直後にて
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玄関に入ると、葉子は満面の笑みで出迎えてくれた。手にはさつま芋が添えられている。
「お帰りなさい。杏寿郎さん」
後から廊下を走り、千寿郎も玄関まで出てきた。
「お帰りなさい。兄上」
二人の笑顔を見てほっとしたのと同時に今、自分はどこから帰宅したのだったか……それまでの記憶がきれいに抜け落ち思い出せない。そして着ていた──と思っていたはずの隊服と羽織は着ておらず、なぜか自分の姿は着流しになっていた。帯刀している日輪刀はどこだ。腰に手をやるもそこに刀は無かった。自分は一体どこから帰って来て、なぜ玄関にいるのか。
「今日は庭の落ち葉を集めて焼き芋をしたんですよ。晩ご飯の後に食べませんか? たくさん焼いたのです」
「……そうか」
千寿郎と葉子は二人で顔を見合わせ頭を傾げている。
「杏寿郎さん大丈夫ですか? 何だか元気がありませんね」
「兄上、顔色が少し悪いように見えます」
「いや、そういうわけでは……」
すると玄関が勢いよくあき、
「何だ何だ。なぜ玄関で皆が集まっている? 早く晩飯にしよう。杏寿郎も頼まれた大根を葉子に渡したらどうだ」
そう言って父は自分の横を通り過ぎ、さっさと家の中に入って行った。手には瓢箪の形をした酒がぶら下げられている。そうだった、葉子に頼まれ父と二人で買い物に出ていたのだ。ふと自分の手元を見ると、先程町中の八百屋で買ってきた大根があった。
「さあ、晩ご飯にしましょう。これで大根おろしが添えられます。ありがとうございます。杏寿郎さんはご飯は後にして少し休みますか?」
「いや、少しぼんやりとしていたようだ。食べよう! 焼き芋も食べる!」
「なら、良かったです。ご飯にしましょう」
葉子に買ってきた大根を手渡し、家にあがる。
既に夕飯の支度は終わっているようで、ほんのわずかに焼き魚の香ばしい匂いが漂っていた。そうだった、そうだった。晩ご飯は秋刀魚だった。ああ、夕飯が楽しみだ。
・・・
葉子は鏡台に向かい櫛で髪をとかしている。櫛を通す度に、艶やかな黒髪が静かに揺れていた。
「杏寿郎さん、体調は大丈夫ですか?」
仄暗い行灯の光の中で、葉子は鏡越しにこちらの姿を見ていた。
「大丈夫だ。何か気になるところでもあったか?」
「何だかぼんやりしている様子だったので」
葉子はくるりと振り返り、敷いてある布団の側に寄ると俺の額に手を当てた。葉子の手はほんのりと温かい。
「熱は無いですね」
掛け布団を少しめくり、もぞもぞと布団に入ってきた。
「俺は明朝の任務だっただろうか?」
「任務? 何の話ですか?」
「ん? いや、俺の任務の出発時間のことだが……要に何か聞いていないか?」
葉子は眉間に皺を寄せ、手を伸ばし再び額に手を置いた。酷く悲しそうな顔をしている。なぜ、そんな表情をするのだろうか。葉子の様子がおかしい。おかしいのは自分の方なのだろうか。
「杏寿郎さん、何だかやっぱり疲れているみたい。今日は早く寝ましょう。ゆっくり休めば大丈夫ですよ」
葉子は額に置いていた手を離し、今度は俺の手を握ってきた。なかなか寝付けない子どもを安心させるかのように、手は強く握られた。
しばらくして、規則正しい寝息が聞こえ葉子は早々と眠りについたようだった。
寝息以外には何も聞こえず、静かな夜だった。見上げる天井の木目も確かにいつもの家のもので、居間での夕飯も家族と共に食事をとり美味かったし、記憶がある。
だが、この胸のざわめきは何だろうか。何か大切なものが欠落している。
ふと、寝返りをうつと庭の桜の木の辺りがぼんやりと光っているのに気が付いた。葉子を起こさないよう布団から起き、そっと障子戸を開ける。冷たい夜の風が部屋に吹き込んだ。
光っていたのは木の辺りではなく、桜の木そのものが光っていた。季節的に咲いているはずのない桜が満開に咲き誇り、ひらりひらりと花びらが舞っている。
何事かと目を擦り、俺は側にあった日輪刀を手にした。今さっきまでは日輪刀はどこにも無かったはずだが、日輪刀は確かにそこにあった。
しばらく見ていると桜の木の下に着物を着た幼子が現れた。女児のようだった。気付けば自分は桜の木の側にいて、女児を見下ろしていた。綺麗に切り揃えた髪の幼い頃の葉子だった。葉子は舞い落ちる花びらを取ろうと必死に手を伸ばし、ぱちんと手を叩いている。目の前に落ちてきた花びらを掴み、思わず葉子に手渡した。
葉子はくりくりとした黒い瞳を不思議そうに向け、まるでお礼にどうぞというように、折り鶴を差し出してきた。
赤い花菱の亀甲模様の折り鶴。
「たくさんの人を救って下さいね」
葉子の声だった。
途端に桜の回りの地面にぽっかりと穴ができ、暗い闇の中へと落ちた。不思議なことにその時の自分の姿は隊服を着て炎柱の羽織をつけていた。
目を開けると、目の前に薄紫色をした塊がうごめきゆっくりと首に巻きつこうとしている。塊を即座に断ち切り立ち上がる。車内の風景は驚くほど一変していた。
「……うたた寝している間にこんな事態になっていようとは。よもやよもやだ」
車内は床から天井、窓までが同じ塊に覆われていた。息苦しい程の圧迫した鬼の気配。鬼の肉を断ち切るその感覚と同じことから、鬼の肉塊そのものではないかと判断をする。なるほど、車体が鬼に取り込まれているようだ。肉塊は動きはゆっくりだが、縦横無尽にうごめいている。帯刀している日輪刀を抜刀し、構える。
「柱として不甲斐なし。穴があったら入りたい!」