15.ある日の午後・後
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向かいの杏寿郎を見ると、箸を止めずにずっと鰻を口に運んでいる。その食べっぷりは見事であった。
「杏寿郎さん、鰻が大きくて食べきれないかもしれません。少し食べますか?」
「残すのはもったいないからな! 残ったものをくれれば良い!」
「残り物は悪いですから。蓋に取り分けますね」
葉子は自分の鰻を箸で半分に切り、まだ手をつけていない方の米と鰻を重箱の蓋に乗せた。
「後で腹は減らないか?」
「杏寿郎さんが美味しそうにたくさん食べている姿を見るのが好きなのです。私はこの量で十分です。お腹は空きませんから平気ですよ」
「そうか。葉子の分も平らげるとしよう!」
さっそく自分の鰻重は食べ終え、葉子の分から取り分けた鰻に手をつけ始めた。葉子はその様子をにこにこと眺めている。
「あ、杏寿郎さん。口元にお米がついてますよ」
自分の巾着より、桔梗柄の手拭いを取り出すと葉子は身を乗り出し、手抜いで顔についている米粒を拭いてやった。
「俺が子どものようだな」
「とても美味しくて夢中になって食べてたっていう証拠ですね」
葉子は手拭いを巾着にしまった。鰻重を食べ終わりそうな杏寿郎の為に急須を傾け、湯呑みに茶を注いだ。杏寿郎の分と自分の分。湯呑みをそれぞれの前に置くと、杏寿郎は開けられた障子窓の外に目をやって、また直ぐに葉子へと向き直った。
「葉子はきっと良い母親になる。俺にはわかる」
箸を起き、真っ直ぐと葉子を見据えている。
「俺はまた夕方から任務に出る。今までのように何日か家をあける。療養をしていたとはいえ、家にいる時間は幸せだった。葉子といられて幸せだ」
「どうしたのです? 急に。それに夕方からですか?」
杏寿郎はふふっと笑って
「いや、また家を出るとなると今のうちに伝えておこうと思ってな。葉子の作る料理は本当に美味かった。いつも側にいてくれてありがとう。俺が留守の間も家のことを、父上や千寿郎のこともありがとう」
改めて面と向かって言われ、葉子は何だか気恥ずかしくなり少し照れて下を向いた。
「たとえ側にいなくても、どんなに離れていても俺はずっと葉子のことを思っている」
「杏寿郎さん……」
いつも変わらず、嬉しい言葉をはっきりと伝えてくれる夫に葉子は目頭が熱くなった。
こんなにも愛されている。いつも与えられているばかりではいけないと、少しの間を置いてから葉子も口を開いた。
「……杏寿郎さん。こちらこそ大切な事を伝えてくれてありがとうございます。本当に嬉しいです。私もいつも杏寿郎さんのことを思っています。毎日神棚に祈って、杏寿郎さんの無事の帰りを待ってます。たくさんの人を救って下さいね」
葉子は涙をこらえ、精一杯の笑みで応えた。
本当はいつまでもこの穏やかな時間が続けば良いと思っている。任務にも行って欲しくない。しかし、夫は鬼殺隊の柱であり、人々を守るのが責務である。安心して任務に就けるよう、送り出すのが自分の勤めだと必死に何度も心の中で言い聞かせた。
「……ありがとう、葉子」
・・・
勘定を済ませ、二人は店の暖簾をくぐって外に出た。「今度はご家族で来て下さいね」と女将に背中から声を掛けられ、杏寿郎は振り返って返事をした。
昼時はすっかり過ぎ、来た時よりも木々の影が傾いている。
「あら? あそこにとまっているのは……」
店の正面の木の枝に、艶々とした羽根の鴉が
とまっている。ばさと片翼を広げ、その影が地面に落ちた。鴉はじっと二人を見下ろしている。
「要」
杏寿郎が腕を出すと、鎹鴉の要は木の枝から腕へと降り立った。ばさと羽ばたいた風で、髪がふわりと揺れた。
「食事中を気遣って、外で待っていてくれたのだな」
「気付かなかったです……暑い中大変だったでしょう」
葉子が頭を撫でてやると、要は気持ち良さそうに目を細めた。
「先ほど窓の外に飛んでいる姿が見えた。俺への連絡は食事が終わってからでも良いと判断したようだ」
「何だか申し訳ですね。今度、美味しい物を用意しておきますね。要さん」
要は葉子の言葉に答えるように杏寿郎の腕でばさばさと翼を開げた。漆黒の羽が一枚ひらりと舞った。
「お館様ガオ呼ビダ。ソノノチニ南南西ニ向カエ。ソコデ鬼殺ノ隊士ト合流」
「わかった。久しぶりに炎柱の羽織をつけることになるな。家に戻ってから支度をしよう」
「そうですね。刀の手入れも大丈夫ですか?」
「抜かりは無い!」
その時、腕にとまっていた要が飛び立ち、二人の頭上を旋回した。早く家に戻ろうと急かしているようだった。
「葉子、抱えて行くが良いか?」
「急いでいるなら仕方ないです……恥ずかしいですが」
「よし、分かった! 人に見られないような速さで帰ろう!」
杏寿郎は葉子を横抱きに抱えると、大きく息を吸った。
「葉子、舌を噛むから声は出さず、俺から手を離さないように」
「はい」
口からは鋭い呼吸音が聞こえている。葉子はぎゅっときつく杏寿郎の背中に手を回した。
足に力を入れ地を蹴ったと同時に、杏寿郎は恐ろしい速度で掛けた。葉子はずっと目をつまり、気付いた頃には家に着いていた。
その日の夕刻。杏寿郎は切火で任務の無事を祈願され、鴉と共に飛び立つこととなる。