常世と現世
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柄に手を掛け暗闇の中、神経を研ぎ澄ます。
聞こえてくる衣擦れの音と足音。鬼狩りは三人。闇夜に紛れ、真っ直ぐとこの場所に駆けて来る。
「……鬼狩りが来る……お前は、逃げろ」
聞こえているのかいないのか、黒死牟のその言葉にも目の前の鬼は動じなかった。くるりと後ろを振り返り、煌々と天に輝く月を見つめていた。豊かな銀色の尾がゆっくりと揺れている。
「聞こえて……いるのか?」
狐は黒死牟の問いに何も答えずに黙り、じっと月に魅入っていた。
地上に降りた月の者が、月に帰って行く物語を知っている。どんなに引き止めても、迎えが来て行ってしまった。この鬼もその類いなのだろうか。もう何を言っても聞き入れないのだろう。しかし、それは許されない。絶対にだ。
黒死牟はふっと息をついた。
「人を喰らえ……死ぬ事は許されない……さもなくば」
さもなくば、せめて鬼狩りに殺される前に、己の手で殺めてやろうかと刀の柄に掛けている手で鯉口を切った。ふと、この刀では鬼の息の根を止めることは出来ない事を思い出した。ならば吸収をして己の一部にしてやろう。
じりと一歩を踏み出した時、
「……それは、優しさでしょうか。出来損ないを取り込めば黒死牟様が穢れてしまいますよ」
黒死牟の方を振り返り、ひときわ嬉しそうに狐は微笑んだ。読心の血鬼術でも持っているのか。狐が口角を上げてにっと妖しく笑えば、鋭い牙がてらてらと輝いていた。そしてぼうと激しい炎が狐を包んだ。
緋色の炎は激しく燃え盛り、暗闇の中で明るく輝いた。熱風が辺りの鳥居をがたがたと軋ませ、揺れた。炎がぱっと消えた時、狐は忽然と姿を消していた。
自死ではない。鬼の気配はある。その場から逃げたようだった。
「仕方ない……迎え討つか……」
続いて黒死牟も闇に溶けては、するりと消えた。
大きな鳥居の向こうから、駆けてくる者が三人。全員帯刀している。自分の背には石の狐がじっと佇んでいる。
鳥居を潜った三人は、こちらの姿を見るなり息を呑んだ。全身が怖気で強張っているのが分かる。ある程度、剣術を心得ている者ならばわかるのだ。力量の差を。どんなに足掻いても縮まる事のない圧倒的な差を。
鬼狩りと対峙した時は大抵が同じ反応をする。
「ここは俺が残る。お前達は行け」
一人が言った。上弦の壱を前に、言葉を発せられるとはよほど精神が鍛錬されている。間違いない。柱だ。
柱の命により、残りの二人はその場から咄嗟に駆け出した。鬼がもう一体この場にいることを知っているようだ。
「……行かせぬ」
「お前の相手は俺だっ」
高い金属音が空に響く。
黒死牟が抜刀するよりも早く、柱は駆けていた。素早い動きは目を見張るものがある。
「ほう……速いな」
お互いに一の太刀、二の太刀と刀を絡ませ、火花が散る。黒死牟は相手の力を見極めるように、刀を受けては流していた。
柱はこのままでは拉致があかないと判断したのか、口から鋭い呼吸音を発した。空気が揺らいだ。
「霹靂一閃!」
揺らいだ空気を切り裂くように全身に雷を纏い、凄まじい速度で柱の男は直進した。首を目掛け斬撃が軌跡を描くが、それをぎりぎりのところで避けた。頬には傷が付き、髪は一房、はらりと地面に落ちた。
「雷の呼吸か……どうりで」
素早いわけだ。懐かしい。昔、お互いに剣技を高めた事もある。だが、脚に負荷の掛かる雷の呼吸は、剣士の身体的負担も重く、自分が鬼殺隊を抜け出るずっと前に引退していた。
「お前も……その道を辿るのだな……実に嘆かわしい」
「何だと?」
柱は眉を曲げ不快の意を露わにした。再び日輪刀を持ち、正眼に構える。口からは絶えず鋭い呼吸音を発している。息苦しい程のびりびりとした殺気は真っ直ぐとこちらに向かって放たれている。
「こちらも……抜かないと無作法というもの」
黒死牟は鞘からするりと刀身を引き抜いた。
・・・
もう一方の鬼の気配を辿りつつ向かうと、池のある開けた場所に出た。
木々の騒めきの中に紛れ、聞こえて来る何かを切断する生々しい音。悲鳴は聞こえない。鬼か、人間か。どちらのものか判断が付かなかった。黒死牟は足に力を入れ、音よりも早くその場に到着をした。
「……間に合わなかったか」
池の中央。祠のある場所にそれらはぼんやりと立っていた。きちんと正座をした白い着物の女の後ろで、鬼狩りが二人。豊かな銀色の尾はだらしなく地面に落ちていた。尚も艶々とした美しい毛並みが憎らしかった。さらに視線をその先にやればごろんと音を立てて落ちた女の頭があった。暁子の、美しい鬼の首。
鯉口をかちりと収めると、声も出さずに鬼狩り二人の身体は胴から切断された。そして女の体はぐらりと倒れた。
血溜まりの中に体が三つ倒れている。足元に転がる暁子にはまだ意識があり、思った通り表情は穏やかに微笑んでいた。これから常世に行く者の表情とは到底思えなかった。
愚かな鬼だ。自ら鬼狩りに首を差し出したか。ほんの気まぐれで、少しずつ灰となり朽ちて行く首を両手で掴み持ち上げた。べっとりと血が手に絡む。
「あぁ黒死牟様……最後に見る景色が貴方とは……何たる幸せ」
鬼ははらはらと涙を流した。月と同じ琥珀色の瞳からは涙が一雫。手に纏わりついた血が洗い流される心地がした。
「……さようなら。地獄で先に待っています」
そう言い残し、鬼は灰となって消えた。