仲良くなりたくて
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その場所は最北端に位置する動物園なのだという。家族連れが多く集まる場所。弟も親も楽しめるようにと配慮をして決めてくれたのだろう。その心遣いに心が温まる。今日こそは一歩でも百歩でも距離を近付けることが出来れば良いなと瑠火は思っていた。
一緒に旅行に行こうと誘ってくれたのは息子夫婦であった。とても嬉しかった。動物があまり得意ではない夫の槇寿郎は少し微妙な反応をしていたが、そんなことはどうでも良い。それよりも息子夫婦と一緒に出掛けられるという事が今年に入ってからの一大イベントなのだ。昨日はあまりにも楽しみ過ぎて実は良く寝られなかった。その為、朝食には栄養ドリンクをこっそり嗜んで来たのだった。
大きく手を振り、駆け寄って来る杏寿郎のその少し後ろで控えめに立つ女性が息子の奥さん。名前は暁子という。
(久しぶりに顔を見たけれど、元気そうで良かった。いつ見ても煉獄家の男子達とは違って何と可憐で可愛らしいのでしょう)
娘が欲しかった瑠火は本当は暁子を気に掛けているし、少々癖の強い息子を生涯の伴侶に選んでくれた事にとても感謝をしている。しかし、元々自分の表情が乏しいので会えば暁子は義母である自分に少し萎縮している事には最初から気が付いていた。
(今日こそは何としてでも暁子さんと仲良くなれるように努めなければ……あわよくば二人で買い物やお茶が出来るくらいまでに)
娘と買い物だなんて、想像するだけで何と楽しいのか。あれこれと似合う洋服を買ってみたり、雑貨を眺めて見ては千寿郎の土産を探してみたり。そんな麗しい未来を思うとさっそく瑠火は前のめり気味に暁子に近寄り挨拶をする。
「暁子さん。お元気そうですね。いつも杏寿郎がお世話になっています」
「いえ、お世話になっているのは私の方です」
思ったよりも社交辞令のような挨拶になってしまい、瑠火は内心非常に慌てた。もっと砕けた言い方をすれば良かっただろうかと後悔をする。
「……そうですか」
大丈夫。まだチャンスはいくらでもあると自分に言い聞かせ、夫の槇寿郎の側へと戻るのであった。
「暁子さん、早く行きましょう!」
千寿郎が暁子の手を取り先に歩き出した。千寿郎は暁子を本当の姉のように慕っており、この日が来るのを今か今かと楽しみにしていた。居間にある家族全員が目にするカレンダーに予定を書き込んだのも千寿郎だった。
(千寿郎に負けないくらい、私もこの日を楽しみにしていたのです。今日は千載一遇の好機)
一人、心の中で「よし」と気合を入れ、瑠火達も後を追った。
・・・
さっそく向かった先はアザラシであった。でっぷりとしたアザラシが円柱の水槽の中で上へ下へと自由に泳いでいる。その姿を見た暁子は
「見ようによってはさつまいもに見えなくもないかも!」
と、張り切って言い出した。
「さつまいも……ですか」
この獣をさつまいもに例えるのは無理があるだろう。そうだ、しかし息子の杏寿郎がさつまいも好きなのを重々承知しており、かなりの頻度で食卓にさつまいも料理が並んでいるに違いない。きっと暁子の頭の中はさつまいもでいっぱいなのだ。毎日毎日さつまいも。だからこの獣を見てとっさにさつまいもに似ていると、そう思えたのだ。何といじらしい。こんなにも杏寿郎に寄り添っている。瑠火は胸がいっぱいになり、目には薄らと涙が溜まった。無理やりそう自分に思い込ませたのではない。しかし、その思いを断ち切るように
「そうか? さすがに芋はないだろう。芋は。こんな色の食べ物があったら腐っているか──」
あろうことか夫である槇寿郎は真っ向から否定をしたのだった。女子との会話の鉄則は「共感」である。槇寿郎の言葉を受け、暁子は固まり、気まずそうに視線を下に向けた。
(暁子さんが気落ちしている。せっかく楽しげな雰囲気だったのに。何てことを……)
瑠火は思わず横にいる夫の顔をねめつけた。
「毒入りだろう……な」
睨まれた槇寿郎は慌てて口をつぐんだ。共感力の無さから道場の女子生徒達から「やっぱり槇寿郎さんよりも杏寿郎さんよね」などと陰で言われるのだ。不甲斐ない。
そんな不穏な雰囲気を察したのか杏寿郎が言った。
「こんなに大きなさつまいもがあったら、食べ甲斐があるな! 全く暁子は面白いことを言うな!」
そう高らかに笑ったので、気まずい雰囲気は一掃された。
(杏寿郎。素晴らしいフォローです。よくやりましたね)
そして暁子の腰にさりげなく手を添え、促す仕草に瑠火は感動したのだった。
(優しい紳士に育ってくれて良かった)
自分の育て方は間違っていなかった。妻に優しい杏寿郎と夫に寄り添う暁子に心を震わせつつ、瑠火は次第に欲が芽生えた。もっと二人の仲睦まじい姿を見たいと。そんな思いを抱き、先を行く二人の後をついて行った。隣りでは槇寿郎が気まずそうに下を向いていた。
千寿郎に導かれやって来たのはキタキツネのいる檻の前であった。暁子の手はずっと千寿郎に繋がれている。
(千寿郎がずっと二人の間にいる。本当に暁子さんの事を慕っているのですね)
しかし母は息子夫婦の仲睦まじい姿を見たい。普段、二人がどんな風に過ごしているのか確認したいと願っている。きっと普段から仲が良いのだろうが、この目でしっかりと確認をしておきたい。
「キタキツネって杏ちゃんに似てない?」
「そうか?」
今、何と。瑠火は我が耳を疑った。暁子は杏寿郎の事を「杏ちゃん」と呼んでいるのだ。その昔、自分も夫を「槇さん」と呼んでいたことを思い出していた。
(そう、あれはまだ杏寿郎ができる前だった……)
若かりし頃の自分達に想いを馳せていると
「いや、似てないだろう。だいたいキツネはエキノコックスという寄生虫を持っていてだな」
またもや槇寿郎は水を差すような事を言い出した。この優しい空間に何て言葉を投げるのかと忌々しげに睨んだ。一度ならず二度までも。そっと手を伸ばすと自分の夫の背中を少しつねった。
「痛ッ」
「あそこで戯れている二匹は幼い頃の杏寿郎と千寿郎に私も似ていると思いますよ」
夫の言葉を無かったことにするように、すかさず同意をしその場を収める。
「暁子さんはとても感性が豊かですね。千寿郎もこんなに懐いて……」
そう言い、瑠火は千寿郎の手を引いた。母は若い夫婦の仲睦まじい姿をこの目に焼き付けておきたいのだ。その為には千寿郎は少し母と一緒にいる必要がある。なるべく息子夫婦の間の距離を狭めておきたい。
「そろそろ時間が迫っています。早めに見て回りましょう」
千寿郎の手を引き率先して前を歩く。時々後ろを振り向けば、杏寿郎の側を一緒の歩幅で歩く暁子の姿が見える。二人が寄り添って歩く姿がそれはそれは朗らかで瑠火は心が温かくなるのであった。何とお似合いの夫婦だろう。
最後についたのは小動物と触れ合える場所であった。
各々可愛らしいうさぎに触れ合ってはいたが、ここのうさぎ達は動きが荒れていて常に跳ねたり突進したりとしていた。瑠火の膝の上にいるうさぎは尻を上下に忙しなく動かしている。
(発情期のようですね。うさぎは繁殖力が強いから……)
隣りにいる暁子もうさぎの予期せぬ動きに戸惑っているようだった。
「うーん、これは発情期ではないだろうか!?」
「えっ!?」
「うさぎは生殖能力が非常に高いことで有名だからな」
杏寿郎は周りに聞こえる大きな声で言うものだから、暁子が少し顔を赤くして恥ずかしがっていた。その照れた姿も初々しくて微笑ましい。そして瑠火は思った。
(孫はいつできるのでしょう……いけない、いけない。神のみぞ知る事を。でも、心の中で少しくらい願うのは許されるかしら)
膝の上にいるうさぎに目を落とした。そんな明るい未来を少しくらい願ってもきっと罰は当たらないだろう。
(おばあちゃん。それともおばあさま……瑠火さんと名前で呼ばせるのも最近は流行っているとか。ばあや、ばあばも愛嬌があって良いかもしれません)
孫が出来たらどんな呼び方で呼んでもらおうかと、そんな取り留めもない事を想像するのだった。