水辺の攻防
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ウォータースライダーは何種類かあるようで、私達が選んだのは浮き輪を使わずに己の体でそのまま滑る種類のものにした。
先に滑っている人々はプールに放り出される終了地点で楽しげにきゃあきゃあ言い、そのままプールへドボンとダイブしている。
しかし、私はいざ自分の順番になると上から見る景色は断崖絶壁に立っているようなそんな錯覚に陥り足がすくんでいた。
(こんなに高さがあるの!? 嘘、怖い!)
先輩は私の前に意気揚々として一人で滑って行った。
後ろにも人が並んでいる。「早く行け」と後ろの人から無言の圧力がかかっている気がして足が震える。ここで自分がもたもたしていたら周りに迷惑が掛かる。私は意を決して座り、手摺りから恐る恐る手を離した。
手を離した瞬間、流れる水と共につるんと勢い良く滑り出す。
(こ、こんなに速いもの!?)
あっという間にカーブに来て、そのまま一気に流されて行く。想像していたよりもずっと速さが出ていて、周りの景色は全くもってわからない。終了地点に差し掛かり、事故でも起きたのかという程の勢いのままプールに放出。弧を描くように空を飛び、額に手を当てて「派手に飛んだなぁ」と楽しそうに眺めている宇髄先輩を飛び越え、全身でプールに飛び込んでいた。
(何……あり得ないんだけど)
凄まじい勢いでプールに落ちたので、私は呆然としていた。怪我が無いのが不思議だ。そこへ先輩が笑いながらやって来て
「随分と飛んだなー、なかなか面白かった。それ、暁子の履いてるそれが摩擦を少なくして余計に速さが出たんじゃねぇの?」
指をさしたのは脚を全て覆っている黒のラッシュガード。
「よし、また滑ろうぜ」
「やだ! あの速さ怖いですよ!」
「じゃあ脱げよ」
「う……それは」
・・・
結局、先輩がウォータースライダーにまた行きたいと引き下がらなかったので、仕方なく脚の方のラッシュガードは脱ぎ、何回かウォータースライダーで楽しんだ。普通に滑る分にはそこまで勢い良く滑らないので思っていたよりもずっと楽しかった。
「次はどこに行こっかなー」
先輩は至極ご機嫌で施設内の地図を確認している。
水着の上にショートパンツを履いているとはいえ、こんなに丈の無い短パンを普段は絶対に履かないので太ももはほぼ出ている。自分の脚にももちろん自信は無いので脚はきっちりと閉じて、なるべく小さく縮こまっていた。
「よし、行くぞ。次は温泉だ……って、何でそんなとこでしゃがんでんだよ?」
先輩は同じようにしゃがみ、私の顔を覗き込んで来た。
「やっぱり、こんなに脚を露出してるのが恥ずかしくて……脚も細くないですし」
「お前なぁ……」
やれやれと一つため息をつき、よいしょと立ち上がる。
「わかった、わかった。とりあえず休憩するか。そこに座ってろよ。飲み物買って来る」
言われた通りに側にある二人掛けのベンチに座って待っていた。脚はぎゅっと閉じて、小さく、極力肌の露出面積を少なくして。
先輩がいなくなってから時間が随分と経った頃にちらちらとこちらに視線を寄越す人がいるのに気が付いた。男の三人組。知り合いでも何でも無い。少し軽そうな見た目の三人はこそこそと何やら話し合い、こちらを見ている。何だろう。嫌だな。その内の一人が歩み寄って来た。
「あのー、お姉さん一人? 誰か待ってるの?」
「…………」
知らない。こんな人達。きっとお金を巻き上げられる。私は黙って無視を決め込んだ。
「良かったら俺らと一緒に遊ばない? 友達の子も一緒にどう?」
何だろう。お金目当てじゃない? ナンパというやつだろうか。この私に? なぜ? ちょろそうな女だと思われたに違いない。早くどっかに行って欲しい。先輩早く来てくれないかな。
「おいおい、俺の連れに何か用か?」
そこに、飲み物を持った先輩が現れた。男達の雰囲気が一気に凍り付いたのが分かる。それもそのはず、目の前に現れたのはどこかのモデルかと思うような見目の色男だ。長身で体格も良い。同性から見ても、その肉体に惚れ惚れしてしまうだろう。
「暁子に声を掛けるな。さっさと消えな」
動物を追い払うかのように手をシッシと返すと、一瞬だった。「お邪魔しましたっ」と男達は逃げるようにしてその場から去って行った。
「暁子はな、警戒してるようで隙があんだよな。そういうところが危なっかしいんだよ。良い加減自覚した方が良い」
ぶつぶつ言いながら先輩はベンチにどかりと座ると、さも当然というようにさりげなく肩に手を回して来た。
「まぁ、とりあえず落ち着けよ」
「ありがとうございます……」
ほらよと差し出されたオレンジジュースを受け取り、ストローに口を付ける。ジュースはめいいっぱいに氷が入り、キンキンに冷えていた。
「下を脱いでからのウォータースライダーはどうだ、楽しかったろ。その時の暁子は別に今と違って脚を気にして無かったように見えたけどな」
そして先輩はさりげなく太ももに手を置いた。ぺちぺちと私の太ももを軽く叩く。そこには全然いやらしさが無く、恥ずかしいとかそんな感情は微塵も芽生えなかった。
「で、これは何だ?」
「太ももですけど……私の」
「そうだな。ももだな。俺にもあるし、あの人にもある。何ならあの子どもにもあるし、あそこの男にも、あっちにいる爺さん婆さんにもあるな。人体のただの部位だ」
肩に回している方の手で軽くあれそれと指さしをしている。
「こんなただの人体の部位に意味を持たせてるのは見てる側の問題だし、暁子の問題でもある」
何が言いたいのだろう。人々の楽しげな声があちこちから聞こえて来る。先輩はどこか遠くの風景を眺め、しばらくの沈黙が続いたと思ったらこう言った。
「で、これは何だ?」
私の胸元を指さした。
「それもただの肉の塊りだろ。つまり、だ。人が持って生まれたただの部位に意味を持たせてウジウジくよくよ悩んだり、悶々とするのは馬鹿げてるっつーことだよ。視野が小せぇんだよな。そんな中にいたらいつまで経っても良い作品は創れない。世界は広くてもっと楽しまないと自分の世界は作れねぇよ」
言っている意味がわかるようなわからないような。横を見ればすぐ隣りで先輩が真っ直ぐと私を見据えていた。思いの外鋭い視線で背中が冷やりとする。
「ゼミのヤツらも心配してる。先生も言ってたぜ。芸術は表現しなきゃならねぇのに、どうも周りを気にして萎縮してるってな。俺もそう思う。何があったかは知らねぇけど、殻に閉じこもるのはもうやめておけ。今日からお前はありのままの暁子で行けよ」
そして先輩は胸元のチャックに手を掛けようとしてその手を止めた。
「俺が脱がしてやっても良いが、自分で脱げ。人から何と思われようが、言われようがそんなの気にすんなよ。自分が自分ならそれで良いだろ」
宇髄先輩は大学の中でもその破天荒な作品作りで有名だった。この人の方こそ、人からどう思われているのか少しは気にした方が良いと思ったけれど、そんな宇髄先輩だからこそ言葉に重みがあるような気がする。先輩はいつも輝いていて楽しそうだ。その生き方が羨ましいと実は思っていた。今も思っている。
私も変わりたい。このままでは良い作品は一生作れない。
「……ラッシュガード脱ぎます」