見え隠れ
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岬の先には暁子の言う通り、小さな囲いがあった。これに火を灯すのだろう。簡素ながらも長年使われた形跡があり、辺りの地面はすすだらけだった。
石で組まれた囲いの中に持って来ていた油を染み込ませた布を投げ入れマッチで火をつける。とたんにぼうっと火が灯り、暗い夜空を照らした。
「わぁ、明るい……」
善逸は関心したように燃え上がる炎を眺めた。
「この岬は海に出ていても遠くから見えるんです。これで大丈夫です」
二人は暗い海の方を見た。月がかすかに海面を照らしているが、船はどこにも見当たらない。月の光が当たらない漆黒の闇の中に暁子の父はひとり漁に出ている。
じっと海の方を見ていた暁子は善逸の方に振り向いた。
「我妻さん。ありがとうございます。父もこれで帰って来れます」
深々と頭を下げた。
「いやいやいやいやいや! それほどでも? 女の子を……困ってる人を助けるのは当たり前ですしっ!」
礼を言われたことがそんなに嬉しかったのか、善逸は顔を赤くして手を振った。そして「それに」と付け加えた。
「鬼を倒せるのは俺たち鬼殺隊しかいないから……」
その時ざわざわと辺りの松林を揺らし、善逸の声は暁子には聞こえなかった。
「このまま火が消えないようにずっと見ているの?」
「いいえ、この火は一度つければめったなことでは消えないようになっているんです。家で父を待ちます。我妻さんもどうぞいらして下さい。お礼を……」
「ちょっと! それはつ、つまりそういうお誘いですかぁ!?」
突然に善逸は後退り、顔を真っ赤にして頭からは煙が出ていた。暁子はただ純粋に礼をしたかっただけだが、何かを勘違いしたらしい。
「夜に女の子の家を訪ねると言うのは! いかがなものかとっ!」
「そうですか?……残念です」
「いや、あの! 行きますけども! 行かせていたただきますけども! まずはお父様に挨拶をしておきたい気もするし、順番というものもありますけれども! よ、夜に女の子の家に行くってのはつまりはそういう? 暁子ちゃんはもう心の準備ができてるってことなんだね!?」
暁子は意味がよくわからなかった。
頭から煙を出し顔を真っ赤に一人でぺらぺらと喋り続ける善逸は放っておき、砂浜の方へと戻ることにした。家へは砂浜を通り、松林を抜けた先である。
「あ、待ってぇ!」
すたすたと先を歩いた暁子だったが、善逸が恐ろしい速さで走りすぐさま追い付いた。一瞬だった。その足の速さにも暁子は驚いた。この人は本当に何者なのだろう。
波の音を背に、元来た砂浜を二人で戻る。ぽっかりと空に浮かぶ月は煌々と輝いていた。
暁子が先を歩き、その後ろを善逸がついてくる。砂浜を横切り林を抜け、一本道をしばらく進むと木造のあばら家が見えて来た。壁にできた隙間を板で塞ぎ、屋根も今にも崩れ落ちそうな人の住む家というよりも物置き小屋のように見えた。
隙間からは小さく明かりがもれている。家の中には誰かいるのだろう。
建て付けの悪い引き戸をがたがたと揺らしながら開けると、囲炉裏には火がついており、その奥に誰かが寝ているようだった。
「火をつけてきたよ。お母さん」
暁子の声に、奥にいる母親はか細い声を発した。
「お帰り。ありがとう。夜に怖かったでしょう。囲炉裏で暖まりなさい」
「お母さん、やっぱり鬼がいた。でも助けて貰ったよ。お礼にと思ってその人を連れて来たの」
母親はゆっくりと起き上がると、布団の中から土間の方に振り返った。
母親の頬はこけ、髪に艶はなく何かの病を患っているのは一目瞭然であった。
「まぁ……ありがとうございます。見ての通りの暮らしをしておりますので、何もお礼はできませんが…… 暁子、上がってもらいなさい」
「いえ! あの、お構いなく」
善逸の言葉を無視して暁子は土間の棚から湯呑みを取り出した。
「どうぞ、お上がり下さい」
善逸よりも先に家へ上がると囲炉裏にかけられている鉄瓶を取り、湯呑みに湯を注いだ。湯気がほわりと立ち上る。奥からはゆっくりと母親が起きて来て、暁子の隣りへと座った。
「何だかすみません……」
暁子の母親は善逸の姿を見るなり、じっと感慨深げに見つめた。腰に帯刀している鞘に視線を送ってすぐに真っ直ぐと善逸に顔を向けた。
「……この辺りに鬼が出ると言われはじめたのは先週のことです。村では行方不明になる人も出て大騒ぎになりました。漁はすぐさま中止になったのですが、我が家は私がこんな状態ですので薬を買わなくてはならず……漁に出ているのです」
薬を買うには金がかかる。それは知っている。鬼が出ることを承知でこの家族は漁をしているのだ。どんな思いで漁に出ていたのだろうか。怖かっただろうに。だが、暁子も母親も心から安堵しているのが善逸にはわかった。
「本当にありがたいことです。村の人たちも漁に出れます。何とお礼を言ったら良いか」
「お母さん、我妻さんはね。雷が一直線で出て凄い速さで……鬼をあっという間に倒してくれたの」
母親は少し驚いたような顔をした。
「そうでしたか……昔、私も助けられたことがあります。その時も稲光とともに光をまとった人を見た気がしたのです。もの凄い速さでした。早すぎて人の姿は確認できませんでしたが、貴方の羽織には見覚えがあります」
善逸はとっさに着ている羽織の襟に触れた。黄色い柄の三角模様。じいちゃんから贈られたものだ。
「地響きのような雷鳴が鳴って……月を背に高く飛び上がって……一瞬でした。私は空に雷神を見たのかと自分の目を疑ったのです」
母親と暁子は背を正し、善逸の方に向くと指をついて深々と頭を下げた。
「本当にありがとうございます。きっと貴方は雷神の化身なのですね。私達親子を助けて下さりありがとうございます」
母親は畳につきそうなほどに頭を下げている。
「いえっ、本当に頭を上げて下さい。俺は……そんな大した人じゃありません。お母さんを助けたのは俺の師匠です。俺なんかよりもずっと立派な人です。俺はまだまだじいちゃんには及ばないですし……」
善逸は下を向いて持っている湯呑みをじっと見つめている。母親を助けたのは鳴柱として活躍していた慈悟郎じいさんだと思った。
「でも……今のこの姿を見たらじいちゃんは少しは安心できるかな」
ぽつりと言った善逸の言葉はしんと静まり返る家の中にやけに響いた。
「私も……我妻さんに助けられた時、雷神かなと一瞬思いました。ほんの一瞬ですけど。我妻さんは立派な方です」
善逸が湯呑みから顔を上げると暁子が微笑んでいた。
「……ありがとう」
こうして任務を終えた善逸は夜遅くに蝶屋敷へと帰るのであった。
それ以降、村では鬼の噂はぴたりと収まり暁子の父親も他の者たちもより一層、漁に勤しんだ。善逸が来たあの日、雷鳴と天に走る稲妻を見た者が後を絶たず、雷さまが鬼を一掃してくれたのだと村ではしばらく言い伝えられたという。
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