見え隠れ
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握られた手に力を入れると、ぎゅっと握り返してきては後ろを振り向き鼻の下を伸ばした。その顔はだらしがなくて何だか嫌だなと思った。
「あの」
「なぁに、暁子ちゃん」
二人は波打ち際で立ち止まった。
「鬼って何ですか? この辺りで人がいなくなったのも鬼の仕業ですか?」
「うん。鬼っていうのは人を食べる化け物だよ。夜になるとこうして人の血肉を求めて歩き回るんだ」
「え……」
「でも大丈夫。その為に俺はここにいるんだから。鬼でも熊でも何でもやっつけてやりますよっ! へへへへ」
そう言って善逸は握っている暁子の手を撫ではじめた。背中がぞわとする程に驚いて思わず手を引いたが、善逸は全く気にもとめていない。
暁子はいつの間にか鬼を仕留めていた雷神だと思ったあの時の善逸の姿と、今この場で鼻の下を伸ばしている善逸の姿があまりにもかけ離れ、本当に同一人物なのか怪しく思えてきた。
「ほら、俺から離れちゃ危ないよ。手を繋がないと」
再び手を差し出してきた。善逸はそれはもう怪しいほどの満面の笑みで、本当に鬼がいるのか暁子はいぶかしく思った。
「あの、本当にまだ鬼が?」
善逸は耳に手を当て、神経を研ぎ澄ます。
「まだいる。波と林の音が邪魔してわかりにくいけど……鬼の音が微かにしてる。俺から離れないで」
「は、はい」
その時、急に善逸が岬の方に顔を向けた。
「今、何か動いた。松明は岬の先の方にあるんだよね?」
「そうです。岬の先に火を灯す台があるんです。まだ日が落ちない時に火を付けたのに……いつの間にか消えてたんです。火を付けないと……お父さんが」
鬼は人が岬に来ることを知っているのだ。岬の先は人目に触れず死角となっている。そこで待ち伏せをしていれば火を見に来た人を食らうことができる。わざわざ探しに行かなくても良いわけだ。
鬼は岬にいる……善逸はごくりと喉を鳴らした。
意識を無くさなくても鬼と対峙できるようになってはいたが、鬼は怖い。やはり怖い。だが、自分が戦わなくては暁子を鬼から守ることも火を灯すこともできない。暁子の父親も帰って来られない。やるしかない。
振り返ると、暁子は善逸の手をしっかりと握り不安そうにうつむいた。
「……暁子ちゃん。俺がいるから心配しないで。お父さんも帰って来れるように火を灯さないとね。行こう」
善逸の言葉に返事をするように、暁子は静かにうなずいた。
二人はしっかりと手を繋いだまま、岬へと向かった。その間も暁子の心臓の音はばくばくとうるさく鳴り、恐怖が伝わってくる。善逸はなるべく怖がらせないように時々後ろを振り向いては笑顔を作ってみせたが、暁子は善逸の顔を見ると眉間に皺を寄せ、暗い顔をするのでなぜだろうかと不思議に思った。
鬼独特の音が波の音に混ざり聞こえてくる。鬼は岬で待ち伏せをしている。確信が持てた。音は聞こえるがまだ目視は出来ない。心音がばくばくと早鳴っている。その心音は自分のものも混ざっていた。
歩を止めると、暁子からはぴんと糸が張ったような甲高い音が聞こえた。緊張の音である。善逸は日輪刀を鞘からするりと取り出した。月の光に照らされて黄金に輝く刀身が光った。
「…… 暁子ちゃん。木の影に隠れて絶対にここから動かないでね。大丈夫、すぐに終わらせるから」
善逸は深く息を吸い、身構えた。全身に意識を巡らせる。指先から足のつま先まで全ての感覚を呼び起こす。口からは鋭い呼吸音がしている。ぱりぱりと電光が発し、電光は体全体を駆け巡った。
足を一歩踏み出し、
「霹靂一閃」
地を蹴った。
空気を切り裂く乾いた音と共に、真っ直ぐと稲妻が走る。暁子があっと思うと同時に、何かが空に飛んだ。人とは思えないおぞましい顔が血飛沫をあげて弧を描き吹き飛んだ。
善逸が刀についた血をひと振りすると、静かに日輪刀を鞘に収めた。その後ろ姿は月を背にし、暁子にはとても神聖なものに見えた。美しかった。月光に照らされた黄色い髪は白のようにも金のようにも見えて、神々しい。
暁子は空いた口を閉じることができなかった。やはり雷神を見たのだ。そう思った。
呼吸を整え、善逸は暁子に振り向いた。
「やった? やったよね? 怖かったよぉ!」
木の側で呆然と立ち尽くす暁子にひっしと抱きつき、すがるようにして叫んでいる。
「これでこの辺りは安心になったけど、俺の心臓はばくばく鳴りっぱなしだよおぉ! 暁子ちゃん、俺を慰めてくれよお!」
涙をぽろぽろと流しながら善逸は暁子の着物の裾を掴んでいる。ぎゃあぎゃあ泣き叫ぶところへ、どこからか雀が一羽飛んできて善逸の耳たぶをつつく。
「痛いっ! 何だよチュン太郎! 俺は慰めてもらってるんだよっ!」
耳がちぎれるんじゃないかというくらいに激しく引っ張り、善逸の耳たぶからはほんの少し血が出ていた。
「え? 早く火をつけろって? そ、そうだった。暁子ちゃんのお父さんが海に出てるんだった」
やっと暁子の着物の裾を離し、二人は岬の先へと向かった。