名字呼びが多め。
6.連れて来たら?
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チンと勢い良くトースターから食パンが飛び出した。食器棚から取り出した皿に焼けたパンを乗せ、冷蔵庫から苺ジャムとマーガリンを出してテーブルへと向かう。台所では母親が焼けたソーセージと目玉焼きを皿に取り分けている。
篠藤家の朝の光景である。
父親はコーヒーを飲みながら新聞紙を眺めている。ふと母親が思いついたように顔を上げた。
「ねぇ、光希。最近楽しそうに学校に行くようになったけど……まさか彼氏……できたの?」
持っていた新聞紙をくしゃりと握り、父親が慌てて顔を上げた。母親の言葉に驚いた光希も見ていたテレビの画面から母の方に視線を向けた。
「まさか。あるわけないよ」
「そう? じゃあやっと友達できた?」
母親が目玉焼きの乗った皿を光希と父親の前に置き、再び台所へと戻って行った。
「うん。友達はできたと思う。友達で……彼氏なんかじゃないよ」
「良かったじゃないか。光希。どんな子なんだ?」
「数学がとにかく苦手で先生にいっつも怒られてる」
光希は苺ジャムを食パンに塗りながら、玄弥のことを思い出していた。数学が苦手で照れ屋。そして気遣いのできる優しい人。両親の口ぶりより高校生になってやっとできた友達が女子だと疑っていないようだった。初めてできた友達が男子だと言ったら驚くだろう。
「へー、光希が数学教えてあげたりしてるの? あなた、学年で一位だもんね。仲良くしなさいよ」
「うん。時々教えることもあるけど、学校の休み時間だと時間が足りなくてなかなか……たぶん中学の時の基礎がわかってないから理解するまでに時間がかかると思う」
父親は再び新聞紙に視線を戻した。母親は昨日の夕飯の残りをレンジで温めている間に、まな板や包丁を洗い出した。ブゥンと電子レンジの起動している音がしている。
ふと、母親が思いついたようにシンクから顔を上げて言った。
「今度、お友達を家に連れて来たら?」
「え……」
「光希のお友達にお母さんも会ってみたいし。どんな子か気になるし。だって、入学からずっと無愛想にしてた光希と友達になってくれた子でしょう? 挨拶しておかないと」
「うん……それはそうだけど」
両親は光希の友達が女子だと思い込んでいる。まさか人相の相当に悪い大男が家に来るとはつゆほどにも思っていないだろう。玄弥を……不死川玄弥を家に呼んでも良いのだろうか。光希は焦った。そして両親に悟られないように平静を装った。
「父さんが休みの日だったら車を出しても良いぞ。その子の家まで迎えに行っても良いかもな。遠くに住んでる子なら家に来るのも大変だろうしなぁ」
「あ、それは大丈夫。家はたぶんそんなに遠く無いと思う……たぶん」
もし、玄弥を家に呼ぶにしても父親のいない日にした方が良い気がした。
ピーと食事の温めが終わったことを告げる甲高い音が電子レンジからすると、母親は洗い物の手を止めてエプロンを外した。
「うちで勉強会したら良いわよ。リビング使っても良いし、光希の部屋でも良いし。事前に言ってくれたら何か買って来るし。駅前のシュークリームとか」
「うん……」
そもそも玄弥を家に誘ったとしても、断るだろうなと光希は思った。彼は見た目よりもずっと繊細で思慮深い。誘ったらどんな表情をするだろうか。そんな彼を見てみたい気もした。断られたらそれはそれで別に良い。承諾したとしても父親のいない日を見て家に連れて来よう。母親には玄弥を会わせても良い気がした。
光希の両親はいつまでたっても友達らしい友達のできない光希を心配していた。友達ができたと言ったことで、やっと高校生らしい学校生活を送れるようになったと安心したのだろう。
別に不死川玄弥は彼氏でも何でもなく、友達を家に連れてくるくらい普通のことだろう。親を喜ばせるつもりで彼を家に連れてきても良いかもしれない。
「……今度家に誘ってみる」
光希はそんな気持ちになった。
・・・
ミシッという乾いた音と共にチョークが黒板に強く押し付けられ粉々に砕けた。
「玄弥、テメェ……俺の説明を聞いてたのか?」
数学教師の不死川実弥は首に青筋を浮き上がらせ、見るからに怒りを露わにしている。問題の答えを玄弥に求めたところ、見事に答えられなかったからだ。
元々、答えられない生徒には厳しい態度をとるのだが特に実弟の玄弥には容赦が無く、周りが冷やりとするほどであった。
玄弥はその場に立ったまま拳を握り覚悟をした。殴られる。
開かれている襟をさらに開き、気合を入れた実弥はこれから殴りに行くからなと玄弥の机に近付いて来る。当てられていない他の生徒は実弥と目を合わせずに下を向いたままだ。
そこへ、終礼のチャイムが鳴り響いた。
「チッ……」
玄弥をひと睨みして実弥は教壇へと戻って行った。
数学の授業が無事に終わり、実弥が出て行くと教室内の空気は一気に緊張から解き放たれた。ぐったりと椅子に座った玄弥に光希はそっと近付いた。
「不死川君、大丈夫?」
「まぁ何とか……」
机に突っ伏している玄弥の表情はわからない。
「ねぇ、毎回数学の時間大変じゃない?」
「すっげぇ疲れる……兄貴、容赦ないから」
「予習したら良いと思わない? あてられても答えられるように」
玄弥はゆっくりと顔を上げると、下から恨めしそうに光希を見上げた。
「予習の仕方がわからない。教科書読んでも何が書いてあるかさっぱりだ」
「一緒にやろうよ。私の家で教えてあげる」
玄弥が一瞬固まった……気がした。そしてすぐにまた机に突っ伏した。
「……家に来ない?」
かなりの間をあけてから玄弥は振り絞るように言った。
「……いや、それは有り難いけどよ。申し訳ない」
見えている玄弥の耳が赤い。照れているのだと光希は思った。思慮深い玄弥には女子の家に一人で行くことにかなりの抵抗があるのだろう。戸惑っているのかもしれない。
「我妻君と竈門君も一緒だったら平気でしょ?」
「…………」
「私は構わないよ。お母さんも良いって言ってたし。数学の時間にいっつも殴られたりしてるのは何て言うか……見てて可哀想だし」
玄弥はゆっくりと顔を上げた。少し落ち着いたのか、顔はそこまで赤くは無かった。
「じゃあ……あの二人にも声を掛けてみるか……」
ぽつりと発せられた言葉に、光希は心が弾んだ。