切り火
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今日は葉子の切り火が不発である。
「あれ?」
石どうしがぶつからないと火花はもちろん出ない。こんなことは今まで一度も無かったのにどうしたのか。何か悩みでも?
「どうした?葉子」
自分でも切り火が1回で出来ない事に驚いた葉子の顔はきょとんとしており、不覚にも小動物のようでとても愛らしかった。
「すみません。もう一度やりますね」
次も切り火が出来なければ面白いな。もう一度その顔が見てみたい。
そんな不埒なことを心の内で願った。
「あれ?おかしい……」
願いが叶ったのか、やはり切り火は不発であった。
またしてもきょとんとした葉子の顔は、小動物のようで愛らしかった。例えるならばしっとりとした瞳の仔犬のような。思わず抱きしめて持ち帰りたくなるような愛らしさ。
頭を撫でたら怒るだろうか?
正直、切り火は任務に行く時に必ず必要なものでもなく、切り火を行わない藤の家もある。あってもなくてもどちらでも良いのだ。気持ちの問題。
しかしいつも葉子は切り火をして送り出してくれる。それが嬉しいので自分はその行為に甘えているが。
葉子が藤の家にいた時はきっと同じように鬼殺隊士を切り火で清めて送り出したのだろう。何人も何十人と。
それを励みに任務についた者もいるのだ。
葉子の言葉を励みに刀を奮った者もいるだろう。死ぬ間際に浮かんだ顔は葉子だったかもしれない。
そう想像すると、胸が締められるような不思議な感覚になる。
同じ命を掛けて共に戦う鬼殺隊の仲間に嫉妬をしているのか。
何と業の深いこと……
そんな思いを振り払うべくとっさに言葉を発した。
「手がかじかんでいるのではないか!?今日は寒いからな!」
自分の言った言葉を間に受けた葉子は、はぁと息を吐いて手を温めた。
それがまた素直な葉子らしく、いじらしい。
「ごめんなさい。もう一度やりますね」
次の切り火も不発であれ。
「あぁ……どうして……!」
やはり切り火は不発であった。
「今日はおかしいです。どうしたのでしょう……これでは杏寿郎さんのお清めができません」
葉子は泣きそうな顔をしていたが、流石にそれには良心がほんの少し痛んだ。自分が不埒なことを願ってしまったせいかもしれない。
葉子、すまない。
だが、そんな顔をする葉子も悪い。どうしてこうも気持ちを掻き立てるのか。
「気にするな!こういうのは気持ちの問題だからな!俺は大丈夫だ!」
「……本当にごめんなさい」
しゅんと
これから自分も死地へと向かうというのに、心の中では目の前の葉子が愛おしく、抱きしめたい衝動に駆られてしまう。
何と業の深いこと……
こんなにも葉子のこととなると
「じゃあ今日はこうしよう!清めなら何でも良いだろう!」
葉子を正面から抱きしめる。
それだけでは飽き足らず、少し体を屈めて葉子の首に顔を埋める。
「な、杏寿郎さん……!?」
突然のことに驚いたのか、葉子は手にしていた火打ち石を落とした。
こうやって固まるところも愛らしい。うぶな感じが良い。つまり、自分は葉子の全てが愛しいのだ。
息を吸うと、葉子の甘い香りがした。この匂いは大好きだった。いつまでもこうしていられる。
葉子の匂いを吸い、体中に巡らせ、記憶に焼き付ける。しばらく会えない寂しさを、今ここで埋めるように。
名残り惜しいと思いつつも、葉子から顔を離せば、不思議と心が軽くなった気持ちがする。他の隊士に抱いた嫉妬も、任務前の邪な思いも綺麗に消えた。
ああ、清められた。
手を伸ばせば葉子がいて、いつでも自分を優しく受け入れてくれる葉子に救われる。
これが清められるということか。
「ようは気持ちの持ちようだからな!これで俺は清められた!」
葉子の落とした火打ち石を拾うと、その手に握らせてやった。
手は冷たく、思いつきで咄嗟に「寒さでかじかんでいる」と言ったがあながち間違いでは無かったかもしれない。
心ここに在らずといった顔をしている葉子を背に
「行って来る!必ず帰る!」
それだけ言うと、羽織を翻しその場を後にした。
任務より帰って来たらまた葉子に清めてもらおう。それが良い。