21.羽衣
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規則正しくいくつも並んだ墓の奥。周りの墓とは明らかに広さの違う区画がある。
手が届きそうな程の大きさの鳥居が1つ。その奥に門で区切られ、灯籠が左右に並んだその先の突き当たる場所が煉獄家の代々の墓である。
墓が何基か並び、一番端の一番真新しい墓が杏寿郎と千寿郎の母親である煉獄瑠火の眠る墓だ。
「やっと葉子と2人で月命日のこの日に挨拶に来ることが出来ました。母上……」
持って来た花を墓に添え、手を合わせた杏寿郎は静かに言った。
葉子もそれにならい、墓に向かって手を合わせる。
冷たい風がさらりと頬を撫で、杏寿郎の髪も風が吹くたびにふわりと優しく揺れていた。
『……杏寿郎をよろしく頼みます』
凛とした美しい女の声が聞こえたと同時に一陣の風が吹き荒れた。境内の木々をざわめかせ、あっと思うより早く葉子の襟巻きが吹き飛ばされる。
薄い肌色の襟巻きは宙に舞い、風に揺られてゆっくりゆっくりと落ちて来ると瑠火の眠る墓へとふわりとかけられた。
「よもや!」
杏寿郎は目を見開き、驚いているようだった。
「よもや!こんなことがあるとは!母上も喜んでいるようだ」
杏寿郎にも声が聞こえたのだろうか。
美しい声だった。きっとその声の主こそ母親の瑠火なのだろう。葉子は不思議な心持ちで墓を見つめた。
怖い感じはしなかった。優しい、見守るような。まさに母親だった。
「……母上は能が好きだった。特に"羽衣"という演目が好きだった」
杏寿郎は母を思い出しているかのように、穏やかな口調で言った。そして墓にかかった襟巻きを手に持つと葉子の首元にそっと巻いてやった。手はまだ襟巻きを握っている。
「羽衣の演目は知っているか?」
「いえ……知りません」
「そうか……きっと、いつか一緒に観に行こう」
「はい」
杏寿郎の瞳には葉子が映っていて、じっと不思議そうにこちらを見つめていた。
杏寿郎は首元の襟巻きをまだ握ったまま言った。
お互いに手を伸ばせば触れられる距離よりもさらに近い。
冷たい風が木々をざわめかせ、風が2人を包んでいる。不思議と寒くは無かった。
「……ある男が松の枝に引っかかる衣を見つけた。その衣はこの世の物とは思えない色香を放ち、男は衣を持ち帰ろうとする。すると、女が現れてそれは自分の物だと言う。女は天女であり、その衣がないと天に帰れないと泣いた」
突然に杏寿郎は語り出した。羽衣の内容だろうか。演目の内容は知らない葉子だったが、杏寿郎はかまわず続ける。
「天界の衣と知ってますます衣を手放したくない男だが、涙を流す天女に心を動かし、天人の舞楽を見せるのなら衣を返すと言った。しかし、舞を見ぬうちに衣を返せば舞を踊る前に天に帰るのではないかと疑う。天女は"そのような疑いは人間界のことであり、天には偽りはない"と男を諭す……」
杏寿郎はそこで言葉を止めた。そしてしばしの沈黙のあとに再び口を開く。
「葉子、天女に諭された男は衣をどうしたと思う?」
「そうですねぇ……やっぱり衣は返したのではないでしょうか?天女には泣かれてますし、諭されてますし?」
「……そうだな」
杏寿郎はふっと笑うと、首元に巻かれた襟巻きをきゅっと絞め、葉子をさらに自分へと引き寄せた。お互いの胸はくっつきそうだ。
炎を思わせる瞳の中に、猛禽類を想像させる猛々しい色がちらりと見え隠れする。
「俺だったら一度決めた事は二度と覆さない。何と言われようが返さないし、泣いても諭されてもダメだ。許さない。絶対にだ。葉子……もう後戻りは出来ないが本当に良いのだな?」
葉子は微笑み、襟巻きを掴んでいる杏寿郎の手に自分の手を添えた。手は存外冷たかった。
「女に二言はありませんよ。杏寿郎さん」
葉子の瞳は真っ直ぐと杏寿郎を捕らえていた。猛禽類をも包み込むどこまでも広がる空のような広大さがそこにはあった。
今日のこの天に抜けるような青空のように澄んでいて、一切の淀みがない。
「さすが!勇ましいな!葉子には敵わない!」
「もう……冗談はやめて下さい」
襟巻きから杏寿郎の手をどけると、2人は再び瑠火の墓前で手を合わせた。
(瑠火さん。私も覚悟を決めました。杏寿郎さんと一生を添い遂げます。必ず側で支えます)
冷たい風はそよそよと2人の間を流れ、どこからともなく微かに梅の香りがした。ほんの微かに。