12.天をも恐れぬ
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二人の交際は非常に順調に続いていた。まだ妻とはなっていない実江が刀鍛冶の里に出入りすることはなかったが、二人はいつもの河原で洗濯をしたり釣りをしたりと仲睦まじい姿を時々、小鉄や鉄穴森に目撃されている。
鋼鐵塚の刀に対する有り余る思いが爆発し、時たま鬼殺の剣士に向けられる事は以前と同じように無くなってはいないが、理不尽なことで怒り出すことは少なくなったように思われた。
「今日も里は平和ですねぇ」
鉄穴森は茶を飲みながらのんびりとため息をついた。柔らかな日差しが部屋を明るく照らしている。
「まさかこんな日が来るとは。俺は鋼鐵塚さんは一生独身だと思ってたので」
「小鉄少年……それは酷い言い草ですね」
鉄珍を囲んだ他の者達も小鉄の言葉に頷いている。
「で、実江ちゃんはいつ里に来るのか蛍から誰か聞いとる? わし、聞いてないんやけど」
「あれ? 知らなかったんですか。何か、今日山の神様に認めてもらう為にどうのこうのって言ってましたよ。それが終わらないと実江さんはお嫁に行けないそうですよ」
小鉄は実江さんから直接聞きましたとさらに付け加えた。
「ふーん、なんやけったいやね。実江ちゃんが来るのを里を上げて今か今かと待っとるんやけど。それで怖いお兄さんはどうなったん?」
鉄珍は目の前の皿に乗せられている甘納豆をいくつか頬張り、鉄穴森に尋ねた。その場にいる者達は好き勝手に菓子と茶を飲み、すっかり寛いでいる。
「鋼鐵塚さんの話によると、実江さんの家に行くとたまに出くわすようですね。それはそれは親の仇かというくらいに睨まれ悪口を言われるそうです。実江さんといると時々記憶が飛ぶそうなのですが、それももしかしてお兄様の仕業かもしれないと」
「この前は呪いの手紙が届いてましたよ。俺、見ました。鋼鐵塚さんが手紙を見た瞬間に固まっててちょっと面白かったです」
しかし命の危険は今のところ無さそうであった。
「激しい人やね。でも、蛍だってそんな事を剣士にいつもやってるんやし、反面教師になるんぢゃないの」
いつもは鬼殺の剣士の刀の具合について、とんでもな態度をとる鋼鐵塚であったが、こと実江に関してはやられる側なのであった。
「反面教師になるかはわかりませんが、実江さんが側についてさえいれば鋼鐵塚さんが暴れても心配はいりませんよ」
力尽くでも彼女なら難なく止めてくれますよと鉄穴森はのほほんと言った。周りの者もその柔い言葉につられ、それもそうですねと呑気に構えている。これでやっと里に安寧がもたらされたと、その場はほんわかとした暖かい陽だまりのような雰囲気に包まれていた。
・・・
川の上流に位置するこの場所は、瀑布から落ちる水で水流が激しく渦巻き、どうどうと絶えず流れる川の音は、荘厳で空気は冷たく人を寄せ付けない。そんな冷たい気高さがこの場所にはあった。
実江はこの日、鋼鐵塚と共に川の始まりとも言えるこの場所に来ていた。
『山の神様に認められなければ私は嫁げないので、一緒に来てくれませんか』
そう言われ、意味もわからず実江に付き従いここまでやって来た。
苔むした岩肌がいくつも繋がり、鋭利な角度のついた巨大な岩が滝を弾き、その先へ行こうとする人の行く手を塞いでいる。荒々しい自然の風景。その風景の中、滝からの水飛沫が掛かる場所に小さな祠と鳥居があった。以前に二人で掃除をしに行った場所は仮の住まいで、こちらの祠が山の神様とやらの本住まいらしい。
水飛沫の掛からない場所に荷物を下ろした実江は、持って来ていた塩とお神酒と米を取り出した。
「山の神様は女の人なので、私は一回男の人にならないといけないのです」
振り返らずに手元を動かしている実江の表情は分からなかった。小皿に供え物を乗せ終え、さらに取り出したのは大きな
「男になるとは? 一体何をするんだ?」
「髪を切ります」
そう言って、実江は持って来ていた鋏を手にした。鋏は太陽の光を浴びて鋭い刃先をギラリと輝かせている。
「母も祖母も、嫁入りする時は必ずこの場所に来て髪の毛を切ったんです。ばっさりと」
「髪を切るのと何の関係があるんだ?」
実江はゆるくまとめていた髪をほどいた。風に乗ってふわりと実江の香りが鋼鐵塚の鼻をかすめる。黒々とした髪は絹糸のように艶やかで美しい。
「山の神様は嫉妬深いのです。夫婦に嫉妬をするので私は男ですって。髪を顎の長さまで切って私は女ではなく男ですってするんです」
山の神は女性と言われ、醜女であるとされている。その為に若い女に嫉妬をすると考えられている。
すると次に実江は白い紙で結び辛そうに長い髪を一つに束ね始めた。切りやすくまとめているのだろう。
「そこまで伸ばすのに時間が掛かったんじゃないのか?」
「でも、また伸びますし……切るのは一度きりですし、みんなそうやってしきたりを守って"我慢"して来たんです」
我慢。本当は実江は髪を切りたくないのではないか。それはそうだ。そこまで伸ばすのに何年かかった。
「私、髪を切ったらしばらく男の子みたいになっちゃいますけど……嫌いにならないで下さいね」
そう、寂しく微笑んで実江は激しく落ちて来る滝の方へと静かに歩いて行った。