11.最後の見合い
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取り残された二人の間には沈黙が続いていた。
実江は改めて卓を前にむっつりと不機嫌そうに座っている鋼鐵塚をちらりと見た。
以前に初めて素顔を見た時も驚いたが、今日のこの時も変わらず、凛々しい眉に形の良い瞳と鼻と口。全てが調和の取れたその端正な顔立ちで自分をじっと見つめている。その顔があまりに眩しいものだから実江は鋼鐵塚を直視出来ないでいた。
こんな真正面で自分を見据えないで欲しい。実江は何と声を掛けて良いのかわからなかった。
「おい、実江。何で黙ってんだ。いつもはそうじゃ無かっただろ?」
そんなことを言われても。実江はずっと下を向いてうつむいていた。恥ずかしくて。この人は自分の顔がどんなに眉目秀麗か自覚はあるのだろうか。
「言いたいことがあるならこの場で言っておかないと後で後悔するぞ。見合いはこれで終いだからな」
「じゃあ……もう、お付き合い前提ってことですか?」
「俺はそれで良いと思ってる。考えを変えるつもりもねぇ」
実江は顔を上げ、鋼鐵塚を見た。照れているのか腕を組みそっぽを向いていた。
年齢は一回りは違うであろう男がそっぽを向いているのは少し可笑しかった。
「じゃあ、言いますけど。その……鋼鐵塚さんのお顔があんまり素敵なので、恥ずかしくて直視できません。見つめられると心臓がどきどきするんです」
「知らねぇよ! そんなの、生まれつきだからしょうがない。さっさと慣れるしかねぇだろうが」
「どうしたら慣れますか?」
「それは……」
それきり鋼鐵塚は黙った。真剣に考えているのか、組んでいる腕は解放されず無言のまま卓の上を睨んでいた。その姿が可愛らしく、実江は思わずくすりと笑った。
「鋼鐵塚さんのお顔を近くでずぅっと見ていたら慣れますかね?」
「そりゃ、どういうことだ?」
実江は少し身を乗り出して、鋼鐵塚の顔に両手を添えた。手を伸ばしたそこに端正な顔がある。
お互いの瞳の中には、笑顔の実江と、驚いて顔を赤く染めている鋼鐵塚がいた。
「恥ずかしいですけど、こうやってずっと見ていたら慣れるかもしれません」
「はぁ!?」
実江の突然の行動に鋼鐵塚は慌てて声もうわずっていたが、なすがままでいた。
すると、ヒュッという音と共に一本の鋭利な何かが鋼鐵塚の横を通り過ぎ、壁にすとんと静かに突き刺さった。小さな矢だった。何だと思う暇も無く、再び矢が風を切り、鋼鐵塚の首を目掛けて飛んで来る。実江は目にも止まらぬ速さで咄嗟に卓の上に置いてある湯飲みを掴み、鋼鐵塚の頸動脈に矢が突き刺さる前にそれをかきんと跳ね返した。ぽとりと畳に落ちたそれもやはり小さな矢であった。誰かが吹き矢で鋼鐵塚の頸動脈を狙っている。
「もう! またお兄ちゃんったら」
鋼鐵塚は実江の手の動きが見えず、呆然と矢が落ちたその場所を顔面蒼白で眺めているばかりである。
実江はすぐ側に落ちたそれと、壁に突き刺さった吹き矢を手拭いを挟んだその手でそっと掴むと卓の上に置いた。
「鋼鐵塚さん、触らないで下さいね。触っただけで手が焼けただれますから。もう、何でこんな物を……置きっぱなしにも出来ないし」
実江はぶつくさと言いながら「ちょっと庭を見て来ます」と、部屋から続く美しい庭へと降りた。
・・・
庭の草木の影で小鉄と実江の兄の実は揉みくちゃになっていた。
「離せ、ひょっとこ小僧。俺はあいつを殺さなければならないんだ」
「まだ何もしてないじゃないですか!」
「これからするだろうが。許せん。妹の、実江の……!」
実は目から血の涙を出すのではないかというくらいにぎりぎりと歯をくいしばり、瞳からは滝のように涙が流れていた。
「あ、やっぱりいた! お兄ちゃん! 吹き矢はダメって言ったじゃない」
小鉄と実がもみくちゃになっているその頭上で、実江は仁王立ちになり二人を見下ろしていた。
実は小鉄の腕を後でつかんでいたその手を離し、突然に解放された小鉄はつんのめりそのまま地面へと倒れてしまった。慌てて鉄穴森は小鉄に駆け寄り、後から鋼鐵塚も慌てて現場へと合流する。
手入れのされた美しい庭に人が五人。途端にその場は賑やかになった。
「お兄ちゃん、どうしてこういう事をするの? 鋼鐵塚さんを殺そうとしたでしょ」
その場にいた三人は戦慄した。
この前の見合いの時は、記憶を失って倒れる程度の毒を見合い相手の男に撃ち込んだ実だったが、今回は人を殺すことのできる程の致死量の毒を用意したらしい。実江がとっさに助けていなければ鋼鐵塚は今頃三途の川を渡っていた。
そして実江の口からはっきりと「殺そうとしていた」と伝えられ、実の明確な殺意を前に三人はいよいよ震えた。この兄妹、一体何者なのか。そして「妹想い」という言葉では片付けられない兄の歪んだ兄妹愛。こんなに好青年風の見た目の男なのに。この男には心に鬼が宿っているのか……
「理由はありませんよ。ただ、殺らねばならないと本能のままに感じただけです」
実は澄ました顔で、小鉄との取っ組み合いで服についた土や葉をぽんぽんと払いながら立ち上がる。
「私、鋼鐵塚さんとこの先、夫婦になるんだからね。だって好きだから。今度そんな真似したらお兄ちゃん大嫌いになるからね! 許さないから」
実江のその言葉に実の動きはぴたりと止まった。
「何と男前なのでしょう…… 実江さん、素晴らしい」
「女子にこんなこと言わせるなんて、鋼鐵塚さんの男としての面目丸潰れですね」
「お前達好き勝手言い過ぎだぞ!」
実江が誰の耳にも聞こえるようにはっきりきっぱりと言い放ったものだから、鋼鐵塚も鉄穴森も小鉄も誰もが赤面をしていた。
それを聞いた実はぐぬぬと歯が砕けんばかりに食いしばり、肩を震わせながら鋼鐵塚の前まで進み出ると、乱暴に指を鋼鐵塚の胸に押し当てながら言い放った。
「良いか、見合いはな。後日双方共に手紙でやり取りの返事をするのだ馬鹿者。今、この場で誓いを結ぶんじゃないぞ。私は認めない。絶対に。父と実江と、お天道様が許しても私は認めませんから」
どこの悪役の負け惜しみかという台詞を吐きながら、実は庭の奥、そのまた奥の建物の影にするりと消えて行った。
「……ごめんなさい。兄はいつもはあんな人じゃないんです。どうしちゃったんだろう?」
くるりと振り返った実江は、三人に申し訳なさそうに謝った。
「大丈夫ですよ。実江さん、きっとお兄様は今は気が動転しているだけですよ。そりゃあ誰だって妹が男といちゃいちゃしている場を見たら悲しみます。それに前は鋼鐵塚さんが殺人を犯しそうな時に、咄嗟に助けてくれたじゃないですか。お兄様も今は必死に気持ちの整理をつけようとしているのですよ」
「ホントかなぁ? 何が大丈夫なんですか? 俺には明確な殺意があるように見えましたけどね。あれは本気の目だった……」
重い沈黙が辺りを包んだ。喜ばしいはずの見合いの席が台無しにされた。兄のせいで。しかし、兄想いの心優しい実江はそんな風には思えなかった。思いたくなかった。
「でも……兄が何と言おうと私の気持ちはもう変わらないので、これからよろしくお願い致します」
そう、三人に向かい頭を下げた実江は庭の緑の中に咲いた一輪の花のように可憐であった。だが決して可憐なだけではなく、潔く、勇猛でしなやかだった。
刀に似ている。
鋼鐵塚はぼんやりとそんなことを思っていた。
実江によって一命を取り留めた鋼鐵塚は、見合いの正式な礼に乗っ取り、手紙をしたため、実江より色良い返事を貰うのであった。
こうして双方の親公認で、結婚を前提にした付き合いが始まる。里ではあの鋼鐵塚にやっと嫁が出来たと少々早合点し、里の者は狂喜乱舞した。三日三晩の祝いが勝手に行われ、それを目の当たりにした鋼鐵塚は激怒をしたが祝いは決して止まなかった。
今回の見合いが文字通り二人にとって最後の見合いとなった。