8.山の女
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獅子脅しの甲高い音が響く。
実江と男は上質な設えの部屋にて向かい合っていた。実江よりもずいぶんと年上のはずの男の見た目は若々しく、それでいて優しげで品があった。今までこんな人とは接したことがない。
村や町に出て時々見かける男達は皆、汗水垂らし、どことなく垢抜けないような、そんな洗練されていない木とつさがあった。実江はそれが嫌いでは無かったし、むしろ好ましく思っていた。それがどうだ、目の前の男、櫻木という名の男は汗もかいたことがないのではないかというくらいに涼しげで、手から伸びる指は豆が一つもなく綺麗だった。汗をかいて働く人の手ではない。
実江は特に話したいこともなく、男を知る気にもならず下を向いて黙ってうつむいていた。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。今日は仲人もいませんし、ざっくばらんに話をしましょう」
そうにこやかに話し掛けてはくれているが、実江は早くこの場を切り上げて帰りたかった。
「実江さんはこの山に生まれ育ったのでしたね。町には時々出られるのでしょうか」
「はい。時々。本当にたまにです」
「そうですか。では基本的には山で暮らしていらっしゃるのですね」
男はにこにこと微笑んでいた。
「実江さんは山と共に生きて来たのだなとひしひしと感じます。擦れていない、清らかさがおありだ。お顔を拝見してすぐにわかりましたよ。新緑の微風が頬を撫でるような……そんな爽やかさがありますね。美しい」
これは褒められているのだろうか。よくわからない例えで実江は困惑した。田舎娘だと馬鹿にされているような気もする。
「今日は、あなたとじっくり話がしたい」
急に櫻木は実江の手に触れ握った。その手つきがねっとりと肌を舐めるようで気味悪く感じ、とっさにその手を離した。
「おや」
口ではそうは言うが、櫻木は全く意に介さず今度はすっくと立ち上がり実江のすぐ隣りに座った。
「なぜ今日は仲人を立てないかとお思いでしょう。私はぜひ実江さんと二人きりで話しておきたい件がありましてね」
櫻木はこそっと実江に耳打ちをした。吐息が耳にかかり、実江はそれも気味悪く感じ、思わず立ち上がった。
男を突き飛ばしても良かったが、櫻木が有名な材木問屋なのは知っている。そして女好きで名が通っているのも知っている。そんな櫻木だがこの辺りでは有名な大商人である為に無下にも出来ず、実江は立ち上がると言った。
「櫻木様。庭に、庭に行きましょう。緑が綺麗ですよ」
「そうですね。歩きながら話をするのも風情があって良いですね」
そして二人は四人の男が隠れている庭へと向かった。
美しく整えられた庭に出た二人は実に絵になる美男美女であった。
庭に敷き詰められた玉砂利を踏みしめて一歩一歩と錦鯉の泳ぐ池へと進んだ。鯉は近付くと餌をくれるものだと実江達の元へ集まって来る。
「鯉が見事だ。餌をくれると集まって来るのがまた滑稽ですね。この何も考えてなさそうな鯉の目が良い。それで話と言うのはですね……」
櫻木は池の鯉達に餌をあげる素振りを見せ遊びつつ、さっそく話を切り出した。
「私、こう見えても実江さんよりも一回り年上なのですが。ご存知の通り、家業は江戸より代々続いております材木問屋です。地域の木材の特性を見極め業者に卸す。まぁそんな感じです」
鯉を眺めていた櫻木は実江に視線を移した。獲物を狩るような、得体の知れない鋭利な色が見え隠れする。この男は所作や口調は優しげであるが怪しい。山で身に付いた実江の勘がそう自分に訴えている。
「いろいろな山や木材を見て来て気付いたのですよ。山は女性だと。人々に恵みをもたらし、慈しむ。時には荒々しく人を寄せ付けない。そんなところが女性と似ているとね。そこで私は自分の気持ちに気付いたのです。山と共に生きている女性を娶りたいと。私は山や木々が好きだ。そんな山と共に生きる女性に崇高さと畏怖の念を感じる」
じっと熱のこもった瞳を寄越してくる櫻木が気味悪かった。言っている内容がよくわからない。理解が追いつかない。
そんな実江の気も知らない櫻木は一歩にじり寄って来た。
「私はこの辺りの山は四人手に入れた。実江さんで五人目になります」
獅子脅しの甲高い音が響く。
「私の五人目の妻になりませんか?実江さん」
「それは、つまり妾ってことですか?」
櫻木は整った顔をふっと笑みに変えた。
「妾ではないですよ。妻です。五人目の妻。衣食住は保証しますし、子が出来ても認知します。妻達はみなお互いを尊重し、仲良くやってますから安心して下さい。ただ、会う時は私から家に行きます。妻から私の家に来るのは揉める原因になるのでそれはできませんが」
実江は頭が真っ白になった。この男は妾になれと言っている。こんな失礼な内容の話だからこそ立ち会い人がいないのだ。見合いではない。ただの軟派だ。実江は怒りでふるふると手が震えた。
「もし、私の妻になったら実江さんは来たばかりになりますしね。優先的に会いに行きますから安心して下さい。それに……若くて美しいですし、妻の中では最年少かな? じっくり手取り足取り"いろいろ"と教えてあげますから」
そう言って実江の手を取ろうとしたところで、
「てめぇ! 実江を何だと思ってやがる! 殺してやる!」
すぐ側にある低木より獣の咆哮なような叫び声が聞こえると共に、小鉄と鉄穴森に羽交い締めにされている鋼鐵塚が出て来た。
手には包丁を持ち、余りの激昂に髪は逆立ち、腕や甲には青筋が立っていた。
「離せ! 殺す! 殺してやるっ! 生きたまま地獄に送ってやる! 離せ!」
「は、鋼鐵塚さん。気持ちはわかりますが殺生は……」
鉄穴森の言葉はもはや聞こえていない。鋼鐵塚の瞳には、怯えて青ざめている櫻木が映っている。
「小鉄少年! わ、脇を! 鋼鐵塚さんの脇を! 犯罪者にしてはなりません!あぁっ!」
小鉄が脇をくすぐるより早く、鋼鐵塚は鉄穴森の手を振り解き、ぶるぶると情けなく震えて尻もちをついている男に襲い掛かった。
あわや、鋼鐵塚はとうとう殺人を犯すのかと誰もが思ったその時、突然に櫻木は「うぐっ……」という声と共に口から泡を吐き倒れた。
何事かと誰もが唖然としていた中、少し離れた低木より別の男がふらりと現れた。実江の実兄の谷地森実である。吹き矢を手にし、明らかに不機嫌な顔で四人の前に進み出て来た。
「死んでいません。ただの神経性の毒です。この塵糞野郎はここに捨て置きましょう。実江、帰りますよ」
「でもこのまま置きっぱなしには……」
実は塵を見るような凍てつく視線を倒れている櫻木に向けると言い放った。
「……突如の胸の発作で倒れたと料亭には伝えておきます。この糞野郎は記憶も残っちゃいないだろうから気にすることはないですよ」
そう言うと実江の手を引っ張り、残された三人に一瞥するとさっそうとその場からいなくなった。
「我々も逃げましょう。じきに料亭の人が駆け付けて来ますから」
「神経性の毒って……怖っ!」
三人は泡を吹いて倒れている男をそのままにしてその場を後にする。
兄に手を引かれて小走りの実江は振り返ると、こちらを心配そうにちらりと見ている鋼鐵塚の後ろ姿が目に入った。