9.花見
▼
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
二段のお重箱に、ちらし寿司、煮物、卵焼き、昆布巻き、そして切った果物と色とりどりの食材が敷き詰められている。
千寿郎は釜の置かれたその横で小鍋に入った粥をゆっくりとかき混ぜていた。
「二段で足りるかな?」
「足りると思います。兄上は食べないので」
家の中では動く事を許された杏寿郎が、いい加減に花見をしたいと言い出したのだった。ただ、口に出来る食事はこの一週間程は粥のみと医師より言われている。
「じゃあ運ぼうか」
「はい」
葉子が二段のお重を運び、千寿郎は小鍋に入った粥を運ぶ。粥は出来立てで、ほんわかと湯気が立っている。
台所から二人が出て行き庭に向かうと、先に蓙(ござ)にあぐらをかいて座っている槇寿郎がいた。一人で手酌で酒を飲んでいる。桜の木の下で焔色の髪が風にふわりとなびいていた。
「父上、運んで来ましたよ!」
振り返る槇寿郎が、そのままゆっくりと立ち上がる。
「杏寿郎を連れて来るか。部屋からこちらをじっと睨んでいて怖いからな」
皆で部屋の方を振り返れば、布団から起き上がり瞬きもせずにじっとこちらに顔を向けている杏寿郎と目が合った。あの表情は一体何を思っている顔なのだろうか。
葉子は布団から出てここに来る杏寿郎の為に、折り畳み式の高座椅子をぱたぱたと広げそこに置いた。
槇寿郎が杏寿郎に肩を貸し二人でゆっくりと寝室から出て来た。
「重い」
「すみません父上!」
はつらつとした物言いに勘違いをしそうになるが、腹と胸に包帯はきつく巻かれまだまだ完治には程遠い。
葉子の手も借りて、やがて杏寿郎は高座椅子に腰を掛ける。冷えないように、厚手の羽織を杏寿郎の肩に掛けてやればさりげなく葉子の手をそっと握りその手を膝に置いた。槇寿郎も千寿郎も二人の手が繋がれている事に気が付いたが、特段何も言わずに放っておいた。葉子だけは、頬を少し赤らめて俯いている。
「あー……では、杏寿郎の快気祝い……じゃないな。帰宅……を祝して乾杯」
槇寿郎はさらっと形だけの音頭をとり、手元にある徳利を再び手酌で傾けている。葉子と千寿郎は甘酒で乾杯をした。ふと、頭上を見上げれば、青空の間には新緑と桜の桃色が広がっている。そして視線を少し下に向ければ、明るい焔色が同じくこちらを見つめていた。握られている手はさらにぎゅっときつく握られた。離す気はないらしい。
「葉子。どうだ、この桜は」
「本当に大きくて立派ですね。四人が下に座ってもすっぽりと枝が覆ってますものね」
杏寿郎も顔を上に向け、下から桜を眺めていた。ひらりと花びらがいくつか舞ってはゆっくりと下りて行く。
花びらがちょうど近くに来た時に、杏寿郎は手を伸ばしひょいと花びらを捕まえた。そしてその花びらを葉子に手渡した。
手から手へ、桃色の一枚は静かに移って行った。
「葉子は一生懸命花びらを追いかけていたな。やはりあの時の面影が少し残っている。今の顔の方が俺はずっと好きだがな!」
遠慮なく声を大にして言い放つ杏寿郎に葉子はいよいよ顔を赤くして、手のひらの花びらをじっと見つめるばかりである。
「杏寿郎……そういうのは部屋でやってくれないか。聞いているこちらが気恥ずかしくなる」
くいとお猪口を傾けた槇寿郎はやれやれとため息をついた。その顔はしかし嬉しそうだった。
「つい! 桜を見ていたら気が大きくなってしまって!」
父と兄の二人の様子を千寿郎はにこにこと眺めている。
「葉子、そこの玉子焼きを取ってはくれないか」
「杏寿郎さんはお粥しか食べれませんよ」
「よもや! 花見で粥だけとは! 味気ないにも程がある。ひと口くらいは大丈夫だろう。取ってはくれないか」
「いけません」
ぴしゃりと言い切られ、杏寿郎は肩をがっくりと落とした。
葉子は小鍋から粥を椀によそったその時に、桜の花びらがひらりと粥の中に入った。
「杏寿郎さん、お粥だって味気がありますよ。見て下さい。とっても可愛い」
その場にいた全員が葉子の手の中にある粥を覗き込んだ。
「色が添えられたじゃないか。良かったな杏寿郎」
「白に桃色で綺麗ですね。椀の中にも桜が咲くなんて」
「うーむ、色は、まぁそうだが……」
風が吹き、桜の枝を静かに揺らす。さわさわと木々も会話に参加しているようだった。
こんな幸せな時を迎えられたことを葉子は心の中から天に感謝をするのだった。
桜は美しく咲き誇り、花びらを散らしながらも懸命に家族の帰りを喜んでいた。