23.窓明かり
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こんこんと部屋の扉が控えめに叩かれた。
「葉子さん、おはようございます。花瓶を入れ替えますよ。朝食は台所に置いてありますけど、早く行かないと猪のガキに食べられちゃいますよ──」
手に一輪挿しを持った隠の山下は、花ごと一輪挿しを下に落とした。中に入っていた水が飛び散り、割れはしなかったもののごとんと鈍い音が部屋に響く。
山下の目にはぽつりと何かを葉子に伝え、起きている杏寿郎が目に入った。
「ちょちょちょちょっと! ちょっと! あれ? これは俺の錯覚? まさか、杏寿郎様が目を覚ましてる? 俺よ、しっかりしろ! 幻覚を見ているんじゃないのか!」
山下はおもむろに壁に頭をがつんがつんと打ち付けた。
「や、山下さんっ! 落ち着いて下さい。本当に落ち着いて……」
葉子はおろおろと山下に近付き、慌てて肩をつかんで止めた。山下の額からは流血し、壁には血がついている。常軌を逸した山下の行動に葉子は少し青ざめた。
「へへへ、痛いや……これは夢じゃないんだ。へへ……」
「さっき目が覚めたのです。ごめんなさい、私が伝えに行くのが遅くなりました」
山下の目は焦点があっておらず、ぐるぐると回っている。
「良いんですよ。感動の瞬間、夫婦水入らずの時間を噛み締めたら良いんですよ。俺は杏寿郎様のご無事をもう、運んで来た時から、ずっと前からそれこそ一睡もしないで心配していましたが、良いんですよ! 俺は奥さんじゃないですし! 目が覚ましたその時に、俺を呼んでくれなくてもこれっぽっちも気にしてませんから! 嫉妬とか、杏寿郎様に一番に声を掛けてもらいたかったとか、そういうことじゃないですからっ!」
山下は涙を流し、さらに額からも血を流しながら早口で言った。葉子はどうして良いかわからず戸惑った。山下の杏寿郎に対する複雑な気持ちがわかるようでわからない。そして山下からは狂気も感じるようで少し怖かった。この人、どうしよう……
ゆっくりと首を動かし、山下の方を向いた杏寿郎は静かに言った。
「山下……俺を運んでくれたそうだな。ありがとう」
その言葉を聞いた山下は目から滝のような涙を流し
「俺、みんなに報告しに行って来まぁすっ!」
大量の涙を流しながら走って部屋から出て行った。
『おい! 煉獄様が目を覚ましたぞ! おい! 煉獄様がな、杏寿郎様がな……』
すれ違う人、すれ違う人、部屋から部屋へと山下は叫びながら移動をしているらしい。忙しない明るい声が蝶屋敷に響く。
するとすぐにどたどたと人が駆けてくる足音が聞こえた。
「煉獄さんっ!」
黒と緑の市松模様の羽織を着た少年と、黄色い髪色の隊士が部屋に飛び込んで来た。この二人は先の任務で杏寿郎と一緒だった隊士である。竈門炭治郎と我妻善逸。
「煉獄さん……良かった」
二人は杏寿郎の寝ているベットに近付き、ほっとした様子で見下ろしている。
「どうぞお座り下さい。鬼殺隊の皆さんの尽力のお陰です。本当にありがとうございます」
葉子は椅子を二つ用意して、二人に座るように促した。善逸は椅子に座ったが、炭治郎は遠慮をして椅子には座らなかった。
「いえ、本当に俺は何も……煉獄さんがいなかったらどうなっていたか。でも本当に良かった」
葉子は山下の落とした一輪挿しと花を拾い、棚の上置いた。山下の持って来ていた花は柊で、柊の赤い粒が部屋に可憐に添えられた。
「俺たち、もっともっと頑張ります。煉獄さんには遠く及ばなくても、もっと……いつか上弦も倒せるように」
「……君たちなら大丈夫だ。俺はそう信じている」
「え……たち? 俺も? これ以上頑張れと?」
善逸が不服そうにおどおどしている中、杏寿郎は力が無いながらも二人に微笑んで見せた。その時──
「ギョロギョロ目ん玉ーーっ!」
部屋の窓から獣がガラス窓を突き破り入ってきた。ガラスは粉々に散り、杏寿郎のベッドの上にも床の上にも砕けたガラス片が飛び散った。
「ちょ、お前っ! バカかよっ! 扉から入って来い!」
「山の主である俺にはわかっていた! 必ず目を覚ますとな! これをくれてやろうっ!」
ガラス窓を突き破り飛び込んで来たのは猪の被り物をつけた嘴平伊之助である。伊之助は杏寿郎に手を差し出した。手のひらには艶々としたどんぐりがいくつか入っていた。さも良い物を与えるかのように胸を張り、堂々としている。
「そんなもん持って来るな! いらねぇよっ! バカッ!」
善逸が横で呆れて叫び、伊之助の頭をぽかりと叩いた。伊之助は叩かれてもびくともしていない。
「まぁ……ありがとうございます」
手の出せない杏寿郎に代わり、葉子が伊之助よりどんぐりを受け取った。どんぐりは穴や欠けている物がなく形が綺麗で、わざわざ選んで採って来たものだというのが分かった。
「本当に……鬼殺隊の皆さんに支えられ、主人は幸せ者です。ありがとうございます」
葉子はにじむ涙を指で拭いながら深々と頭を下げた。
一番辛く苦しい思いをしていたのは家族だろうに。鬼殺隊の家族、ひいては柱の家族はかくも清々しいものなのかと、殊勝な姿に三人は心を打たれた。何と立派な人なのだろう。
その時、勢い良く部屋の扉が開いた。
「凄い音がしましたけど……って、おいっ! 何で窓ガラスが割れてんだっ!」
「あ、あの……これは……」
炭治郎はおろおろとしながら、既に犯人の目星を付け伊之助を睨んでいる隠の山下の前に出た。
「てめぇか! クソ猪! 破片が煉獄様に当たったらどうしてくれんだっ! 殺すぞ」
「おうっ! 隠の分際でこの俺とやるのか! 受けて立つ!」
山下に掴みかかろうとする伊之助を善逸が押さえ付け、山下は炭治郎が抑えている。
「煉獄さんは静かに休んだ方が良いと思いますので、俺たちは行きますねっ! また来ますっ!」
むりやりに炭治郎が三人を部屋の外へと連れて出て行った。ぎゃあぎゃあと騒いでいたが、扉を閉めた途端に部屋の中は静かになった。
「……元気の良い方たちですね」
「全くだ」
ふふと笑った杏寿郎と葉子にガラスの砕けた窓からは風が吹いた。窓にかけられたカーテンはゆるりと穏やかに波打っている。