2.祝いの品
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広大な産屋敷邸の庭に桜が咲いている。まだ満開では無い。控えめに咲いている桜はこれからが本番と、余力を蓄えているようでもあった。
青い空と桜の桃色と、地に敷き詰められた玉砂利の白色と。いつ来ても手入れの行き届いた庭はため息が出る程に美しかった。
その美しさとは対照的に、会う度にただれが顔を侵食して行く産屋敷耀哉の姿を見るのは心が痛む。この病という名の呪いは一族より鬼の始祖を輩出した為の業なのだという。鬼舞辻無惨を葬むれば呪いを断ち切ることができるのだろうか。耀哉様の代で何とか始祖を倒したい。
風に吹かれても尚、花びらを散らさずに揺れている桜を眺めながら杏寿郎はそんなことを考えていた。
部屋の奥の襖が開かれる気配を感じ、杏寿郎は咄嗟に膝をつき頭を下げた。しずしずと足が畳をすって進む音が聞こえる。その音は近くまで来るとぴたりと止まった。
「杏寿郎、顔を上げておくれ。急に呼び出してごめんね。それとまずはおめでとう」
顔を上げれば、慈愛に満ちた眼差しで微笑んでいる優しい顔と目が合った。耀哉の両隣りには二人の童子が父の手を取り静かに佇んでいる。
「本当は駆け付けてお祝いがしたかったのだけど、体調が優れなくてね。杏寿郎と葉子さんの晴れ姿を見たかったな。後で、私からのほんの心ばかりのお祝いを届けさせるから受け取っておくれ」
「ありがとうございます」
杏寿郎の姿を目を細めながら満足そうに見つめ、少しの間を置いてから耀哉はまた静かに語りかけた。
「短期間で二十人の被害が出ている。先に現場にいる隊士から十二鬼月かもしれないとの報告があった。杏寿郎、行ってくれるかい」
「御意」
春風が庭の木々を撫でて行く。さわさわと静かに小枝は揺れて、これから任務に出る杏寿郎を案じているようでもあった。
・・・
葉子は千寿郎と共に庭の桜の木を見上げていた。今日は暖かい。朝晩はまだ少し冷えるもののすっかり季節は春らしくなったと感じる。太陽の日差しを手で隠しながら桜の木を眺めているとふと、千寿郎が指をさした。
「あれを見て下さい。咲いてます!」
「本当だ、咲いてるね」
木の天辺、一番太陽の陽を浴びているであろう場所の蕾がいくつか開花をしていた。桜が咲いたら庭の木の下で一緒に花見をしようと杏寿郎と約束をしていたので葉子は毎日桜を眺めては今か今かと開花を待っていたのだった。
「咲いたら散るのは早いよね。見頃は一週間くらいかな」
「どうでしょう。ここ最近、日中とても暖かいのでもっと早いかもしれません」
杏寿郎は三日前より任務に出ている。いつ帰って来るかはわからない。帰りは数日中かもしれないし、もっと先かもしれない。桜の見頃に間に合うと良いのだが。
「杏寿郎さん、花見に間に合うかな……」
「兄上に手紙を出して知らせておきましょう。任務中だとは思いますが、きっと励みになるはずです」
二人で桜を見上げていると、ふと背後に人の気配がした。
「桜咲きましたか? 呼んでも誰も返事しないので留守かと思いましたよ」
煉獄家に出入りしている隠の山下である。家人の返事が無くても、勝手に家の敷居を跨いで許されるのは長年煉獄家に仕えている彼の特権だ。手には桐で出来た箱を持っている。
「お館様からお祝いの品が届いてますよ」
「まぁ……嬉しい」
お館様とは鬼殺隊を束ねる当主のことである。葉子は会ったことも話したこともないが、山下の話を聞いたり、こうして祝いの品を賜るのを見る限り、隊士想いの人なのだということがわかる。一目だけでもお顔を拝見したいと思うが、当主の屋敷は秘し隠されており、隊士がお目通りを叶う事すらも珍しいことのようだった。きっと葉子にとっても天のように遠い存在の人なのだ。そんな人からの贈り物は後世まで大事にとっておこうと心の底から思うのであった。
山下はしばし桜を眺めてから率先して客間に向かい、二人も山下の後に続いた。
葉子が茶を運んで来て、山下より差し出された手紙を受け取る。産屋敷耀哉からの手紙である。その手紙は驚く程流麗な字で書かれており、書面だけでもその人物の格が表れているようだった。
「……杏寿郎さんが不在の際はどうぞ私の手でお開け下さいとのことです」
杏寿郎が任務に出ている為の配慮であろう。当主より任務が下されるのだから当たり前だが。葉子は丁寧に手紙を元のように折り畳むと、大事そうに飾り棚の引き出しに仕舞った。
「杏寿郎さんが先に開けなくて良いのでしょうか?」
「手紙にそう書いてあるなら大丈夫だと思いますけど。杏寿郎さんもそんな事で怒ったりしませんよ」
山下がそう言うのであれば、葉子が一番に箱を開けてしまっても大丈夫そうだ。不思議と山下がそう言うのであればそうなのだろうと、葉子も隠の山下には絶対の信を置いている。
さっそく葉子の手によってゆっくりと桐の箱を開けると中からさらに一回り小さな漆器で出来た箱が出て来た。その美しく黒光りする漆器を卓の上に置いた。
「うわぁ……ずいぶんと綺麗な箱ですね」
「こんなに立派な箱を下さったのですね」
「いやいや、たぶんこの中身だと思いますよ。重さがありましたから」
さらに恐る恐る漆器でできた箱を開ける。落としたりしないよう、細心の注意を払う。
すると、中からは陶器でできた犬の置物が二体出て来た。顔は人の子のようなふっくらとした可愛らしい顔で、体は犬の形をした入れ物のようだった。
「わぁ、可愛い入れ物ですね」
「
「犬筥?」
葉子と千寿郎は山下に顔を向けた。すると山下はしたり顔で説明をしだした。この時ばかりは葉子と千寿郎よりも幾分か年上で良かったと思うのであった。長く生きている分、彼女らよりもほんの少し知識がある。
「あれ? 犬筥知りません? 犬って安産の象徴じゃないですか。出産と安産と。あと子犬はすくすく育ちますし、子の健やかな成長も願ってるわけですよ。魔除けにもなりますし。お産の時に枕元に置いといたりするみたいですよ」
「へぇ……出産の時に」
葉子は犬筥の一つを手に取り、持ち上げて眺めている。犬の体には梅と松の吉祥文様が色鮮やかに描かれている。
「可愛らしい置物ですね。中には何を入れるのでしょう?」
「お守りとか化粧道具とかを入れてたみたいですけど、別に何でも良いんじゃないですか?」
「お守り……」
葉子はおもむろに立ち上がると客間から出て行った。出て行ったと思ったらすぐに戻って来た。小箱を手にしている。
「お守りがたくさんあるのです。槇寿郎さんが出掛けたついでに買って来てくれるのです」
確かに小箱の中にはいろいろな寺社仏閣のお守りが入っている。家内安全、厄除け、学業、金運、健康、安産、身代わり……様々な種類のお守りであった。葉子はそのお守りを犬筥に次々に入れ始めた。
「ちょうど全部入りました。良かった」
かぽりと蓋をする。犬筥の中には安産祈願どころでは無く、様々な願いが入り過ぎてこの犬の置物はいろいろな意味で非常に重いのではないかと山下は思った。子どものようなあどけない表情をした犬筥には少し重労働過ぎではないだろうか。だが、水をさしてはいけないと黙っていた。
「もう片方には何を入れるのですか?」
千寿郎がもう片方の蓋を取りながらにこやかに聞いた。
「もし……子が出来たらその時に手紙でも入れようかな。字が読めるようになったらその手紙を渡して」
目を細め嬉しそうにそう言った葉子に、千寿郎も山下もはっとした。子とはもちろん杏寿郎との子だろうか。二人は杏寿郎にそっくりな焔色の髪をした赤子を想像したのだった。きっと快活で玉のように愛らしいに違いない。
春の陽気に照らされながら、各々はまだ先の未来を想像しているのだった。
桜の蕾は一輪、また一輪とゆっくり開花して行く。