19.そこに立つのは
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凄まじい圧だった。
力で押し負け、押し返されまいとその場に踏み止まる。一撃一撃が重く、刀で受け止めるのが精一杯だった。これが上弦なのか。なぜこの場にいる。いや、考えるな。神経の全てを目の前に集中しなければ即座に命は無くなるだろう。
目がかすむ。左目は潰れてしまった。己の身がたとえ朽ちようとも、必ずあの隊士は助ける。そして鬼は倒す。それが柱たる者の使命だ。
真っ直ぐと鬼を見据え、大きく息を吸い、呼吸を整える。そして足に力を入れ地をざんと蹴った。
「参ノ型、気炎万象! 肆ノ型、盛炎のうねり!」
鬼は笑いながら軽々と避ける。戦い自体を楽しんでいるようだった。そうやって笑いながら今まで対峙した鬼殺隊士も殺して来たのか。そう思うと、鬼は必ず滅してやると体の中からまだ力が湧く気がした。俺はまだ戦える。
「伍ノ型、炎虎!」
「破壊殺、乱式!」
鬼の圧はさらに増し、鋭利な殺気が肌を突き刺す。びりびりと鼓膜が震えるようだった。負けやしないと心を保ち、日輪刀の柄を握りしめる。燃え上がる炎が虎の形をとりながら激しい勢いで鬼に迫る。
「杏寿郎っ!」
鬼は名前を呼びながら嬉々として叫び、拳を真っ直ぐに出して虎を真っ向から迎え撃つ。鬼の拳を目前で交わし肉薄する。振り下ろした刀は確かに鬼の肉を切り裂いた感触があったが、そこまでだった。
土埃が風で流され、現れた鬼は胸にかすり傷を負っただけだった。胸に手を当てたところから傷が塞がっていく。皮膚はしなやかではあるが、鋼のように硬く今まで対峙した鬼とは比べ物にならない程に強靭な肉体だった。
一体、今までに何人もの人間を喰ってきたのだ。
静けさの中、誰かの浅い呼気が近くで聞こえる。苦しそうだった。それは自分から発せられたものだった。そうと気付くと、全身から悲鳴のような痛みが押し寄せてくる。
血がぽつりと滴り、赤色で地面を染めた。
「もっと戦おう、死ぬな杏寿郎。全て無駄なんだよ。既に俺の傷は完治してしまった」
息を吸う度に、息を吐く度に苦しく、骨が軋むような痛みを感じる。鬼は何とも感じていないらしく、憐れみにも似た視線を寄越してくる。苦しそうな呼吸音がやけに耳につく。
「どうあがいても鬼には勝てない」
そうなのかもしれないと思う。この鬼は、上弦は本気でやりあっていない。全ての力を出し切っていない。俺はなめられている。
風が吹いている。自分の激しい息づかいは風が掻き消してはくれず、ひたすらにうるさい。
風は羽織を揺らし、髪を揺らし、視界も揺らいでいる。傷口から冷えていく。体から熱を奪っていく。
「もっと戦おう、死ぬな杏寿郎」
この鬼は名をずっと呼んでいる。遠くでは少年隊士も叫んでいる。だめだ、君は喋るな。傷口が開く。
いよいよ視界が大きくぼやけてきた。限界が近い。このまま倒れてしまえば彼らはどうなる。若い隊士を死なせたくはない。乗客は? まだ乗客の避難は済んでいないはずだ。
風が吹いている。自分の息づかいだけが聞こえる。その音もどこかぼんやりと遠くで聞こえるようで、耳も聞こえなくなってきているのかもしれない。
その時、唐突に葉子との言葉が頭に浮かんだ。
『人はいつか死にます。遅かれ早かれ誰にでも等しくその時は来ます』
ああ、自分は今ここで死ぬのだ。そうなのだろうな。上弦の鬼を前に死ぬ。
夫に先立たれ、やはり妻を、葉子を泣かすのは自分だったのだ。
『その時まで笑って一緒に過ごせれば、私はその時が来てもちっとも悲しくありませんよ』
嘘だ。嘘なのはわかる。葉子は時々不安を自分の心の奥に押し殺していた。俺に負担を掛けまいと健気だった。柱の妻として精一杯に送り出していた。いつもそうだ。
『うんと強くなってね』
幼い葉子の声が交差していた。
幼い頃に桜の木の下で交わした約束を思い出した。柱になったのは誰だ。厳しい稽古にも耐え、葉子を迎えに行ったのは誰だ。今、この場に立っているのは誰だ。心臓の鼓動が大きく脈打つ。
『たくさんの人を救って下さいね』
上弦とやり合えるのは誰だ。乗客は、他の隊士はどうなる。俺が倒れた後に誰が上弦と戦うのだ。どんな想いで葉子は俺を送り出していたのだ。
苦しい息づかいの中、空気を大きく吸い、呼吸を整える。全身を研ぎ澄ませ、呼吸に集中しろ。鬼は必ず滅する。心に強く誓った。
日輪刀の柄を強く握った。吐く息は次第に鋭い音へと変わっていった。
「ここにいる者は誰も死なさない!」
肩を落とし、日輪刀を下方へと構え姿勢を低くとる。全身を血液が巡り、体が熱くなるのを感じた。熱が体を覆う。空気が重くなる。みしと既にひびの入っている骨が軋んだ。痛みはとうに感じていない。心を燃やせ。己の力を全て出し切ろ。限界を越えろ。
「俺は炎柱、煉獄杏寿郎!」
すまん、葉子。俺はここで死ぬ。だがせめて、柱としてすべきことは果たす。
足を一歩踏み出し、力を入れると地面がめり込んだ。
「玖ノ型、煉獄!」
日輪刀を構え、鬼の正面へと真っ直ぐに駆けた。