12.問いかける
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蝉の鳴く季節になった。
木々はすっかり青葉となり、日中の日差しはじっとりと暑く、日陰にいてもその熱は体にまとわりつく。今日もみんみんと蝉がけたたましい音を出しながら一生懸命に木にとまっている。
葉子は部屋の中から、団扇を仰ぎつつ庭を眺めていた。庭ではあまりの速さに姿は追えないが、空を切る音と、何かを打ち付ける音が激しくしている。二人が庭で打ち合いの稽古中だ。
そろそろ休憩かな……
よいしょと立ち上がり、台所へと向かうと既に置いてあったカステラを皿に乗せる。自分の分と杏寿郎と槇寿郎の三人分。そして水出しの麦茶を用意して盆に置き、縁側に向かった。
葉子がちょうど縁側に出たところで、木刀が弾かれ、ざんと庭の地面に突き刺さる。杏寿郎の手にしていた木刀が槇寿郎によって弾かれたのだ。
「脇が甘い。まだまだ本調子ではないな」
「そのようです!」
縁側に座った葉子を見て、二人も縁側に近寄った。
「そろそろ休憩にしませんか。だんだん日が上って暑くなってきましたし」
「うむ! そうしよう!」
二人に手ぬぐいを渡し、空いている硝子の中に麦茶を注ぐ。あっという間に濃い茶色の液体は硝子に並々と注がれた。硝子は陽を反射して縁側の木目が眩しく輝いた。
「俺は湯を浴びに行ってくる。広い湯船に浸かりたい。夕飯までには帰る」
それだけ言い残し、くいと麦茶を飲み干すと槇寿郎は部屋の中へと消えて行った。着替え、支度をしてそのまま近所の銭湯にでも行くのだろう。
「杏寿郎さん、調子はどうですか? 前に比べたら随分と動けるように見えますけど」
「うむ、体は動くようになったが、呼吸と神経と体の動きがまだ完全に繋がっていないな」
手ぬぐいで顔を拭き、麦茶を手に取った。葉子は槇寿郎の食べないカステラを杏寿郎の皿の上に乗せてやり、団扇でゆるりと仰いでやった。ふわふわと髪がなびいている。
「せっかく家で静養しているからな。任務に行けるようになるまでに、今までの自分よりもさらに高みを目指したい! 呼吸、足運び、腕、体の向き……父上から教わる事は全て自分のものにしておきたい」
「そうですか……」
任務にはどう足掻いても行くのだろうなと、葉子は思った。
庭の木々に向く杏寿郎の瞳は力強く、真っ直ぐで、揺るぎない。
鬼と対峙する危険はこの先も任務に出れば変わらない。しかし家にいれば安全だ。元炎柱もいる。
このまま家にずっといられれば良いのに……
鬼殺隊の柱である以上、それは叶わぬ望みなのは重々承知しているが。
「……葉子、俺が任務に行くのが嫌か?」
「いえ、まさか……そんなことは……」
杏寿郎に言われ、そんなに沈痛な面持ちでいたかと、葉子ははっと顔を上げた。穏やかに自分を見つめている赤い瞳と目が合った。
「今回の怪我は葉子と夫婦になってから一番大きな怪我かもしれないな。無様な姿に驚いただろう?」
「無様だなんて、そんな風には思っていません。立派なお役目です。それはもちろん怪我もなく帰ってきて下さると嬉しいですが……」
「そうだな」
杏寿郎は葉子の手の中にあった団扇を取って、自分でゆるゆると仰いだ。太陽のような色の髪がさらさらと揺れている。
「俺がまだまだ未熟だから葉子にそんな想いをさせるのだな。不甲斐ない。これからはもっと鍛錬し、己を鍛えなければ」
見つめられる瞳は燃えるように熱く、その意思の強さが感じとるようにわかった。
「だが、葉子。鬼と戦い、俺はさらに剣技を磨く。それを繰り返し、高みを目指していく。前回よりも今回の方が、今回よりも次回の方がさらに強くなれる」
それよりもさらに強い鬼がいた時はどうなるのだろう……今回のような怪我では済まないのだろう。
葉子はふとそんな思いが頭を過ったが、それは考えてはいけないことだとすぐに思いを振り払った。こんなに毎日鍛錬をし、柱まで上り詰めた杏寿郎がまさか。今回の鬼だって倒したではないか。隊士を守りながら。
「葉子、約束しよう。俺は絶対に死なない。葉子を悲しませるようなことはもうしない!」
「……わかりました。私も杏寿郎さんが任務に専念できるように、しっかり家のことを守ります。お料理も頑張りますね」
その約束がどこまで守られるのか葉子にはわからない。杏寿郎は人々を鬼から守る鬼殺隊であり、柱であり、そして歴代の炎柱を輩出する煉獄家の嫡男であり、自分の夫。
自分は夫が己の生き方を全うできるように支えるのが役目で、それが煉獄家に嫁いだ者の使命だ。
葉子は後ろの仏間にある仏壇をちらりと見た。仏壇に備えてある位牌は彼らの母親のものだ。二人の息子をこんなにも立派に育てた人。
私は夫が己の生き方を全うできるように支えるのが役目──そうですよね? 瑠火さん。
心の中で反芻し、日がさんさんと当たる庭に視線を移した。庭には先ほどの稽古で出来たいくつかの傷が地面にあった。踏み締め、土が舞い、地面が少しえぐられた跡がある。
杏寿郎は毎日毎日、庭でも稽古場でも気が付けばいつも稽古をしている。いつでも任務に出られるように、鬼と戦えるように鍛えている。その努力が無駄になるはずがない。
葉子は隣にいる杏寿郎を見た。真っ直ぐと前を向き、その横顔は精悍だった。
私は夫が己の生き方を全うできるように支えるのが役目──そうですよね?
もう一度心の中で杏寿郎に問うてみた。彼が答えることはないが、揺るがない意思を秘めた力強い瞳が「そうだ。悪いが頼んだ」と言っているようにも見える。
杏寿郎の怪我は回復し、そろそろ任務に出られるのだろう。鬼と対峙する以上、どんなことがこの先あっても全てを受け入れる。それが私の役目だ。
「……杏寿郎さん、お風呂で水浴びをして来てはどうですか? また午後に稽古をするのでしょう?」
「そうだな。午後は稽古場でする。日が暑いからな」
「その間にお昼の準備をしますね。今日はざる蕎麦にしましょう。玉ねぎの天ぷら付きですよ」
「それは良い! 楽しみだ」
杏寿郎は立ち上がり、団扇を持ちながら廊下を進んだ。葉子は盆に空いた硝子を乗せ、台所へと向かった。
庭の蝉がみんみんと暑苦しいほどに声を張り上げている。