10.招かれざる客人
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花はすっかり散り、桜の木には新緑の葉が青々と芽吹いている。日中の日差しもほんのりと夏の暑さをおびてきている、そんな穏やかな日の午後であった。
「ふむふむ、良いでしょ。さすがに若いからね。傷はふさがったね。稽古はできるね。でも任務はまだダメよ」
医者の男は杏寿郎の胸に当てていた聴診器を乱暴に鞄に入れ、バチンと鞄を閉めた。そして分厚い眼鏡を指でつまみ、上げたり下げたりしている。
「やけに治りが早いけども。私の忠告無視してご飯食べたね、こりゃ」
「む……いや、そんなことは……いや! 食べましたっ! つい! 出来心で!」
杏寿郎はそれはそれは大きく目を見開き、自分の襟を直しながら言った。その隣りで葉子は杏寿郎の肩に羽織をかけてやった。
「すみません……先生に言われていたのですが、どうしても聞かなかったので……私の監督不行き届きです」
しゅんと肩を落とし、申し訳なさそうに葉子は言った。すると医者はくしゃくしゃに折り畳んだ帽子を服の内ポケットから出してケラケラと大きな笑い声を上げた。
「食欲があるってことはもうほとんど治ってるようなもんだからね。大したもんだよ。よっぽどお嫁さんの料理が美味いんだろうね」
「仰る通り! 葉子の料理は最高なのです! 高級料亭にも引けをとらない!」
「杏寿郎さん、そんなに大きな声で言わなくても……」
帽子を被り「よっこらしょ」と立ち上がると、医者は曲がった背中をさすりながら
「ふむふむ。仲良きことは美しきかな。いちおう、最後に見させてもらうよ。任務はその後からだね。まぁ大丈夫だと思うけど、いちおうね」
医者はそれだけ言うと、振り返りもせずにすたすたと部屋を出て行った。葉子は慌てて医者について行き、玄関先で立てかけてあるステッキを医者に渡した。犬の頭の彫られたステッキ。持ち手の部分がつやつやとしている。
「ありがとうございました」
「うんじゃ、また来るよ。槇さんにもよろしく」
しわのたくさん入った帽子をとり、挨拶をする医者に深々と頭を下げ、葉子は医者の姿が見えなくなるまで見送った。
ぽかぽかとする陽気に空を仰ぎ見れば、雲はゆっくりと流れ鳥が空を羽ばたいている。良い天気だと、葉子は嬉しく思った。
鳥は屋敷の上で旋回している。よく見ればその姿は黒々と艶やかで鴉のようだった。
「鎹鴉? 要さん?」
翼を大きく開げ空を悠々と舞う鴉に見惚れていると、鴉は門の前の塀に止まりカアとひと声ないた。毛並みや声の感じからして杏寿郎の鎹鴉、要ではないようだ。
人の気配がして振り向くと通りの先に人がいた。その人は腕に怪我をしているらしく、三角巾を首から掛けて右腕を吊るしていた。
「あなたは……」
葉子は眉間にほんの少し皺を寄せ、招かれざる訪問者を怪訝に思った。
なぜ、この場所にいるのか。以前、失礼な言葉を掛けられたことは覚えている。霧島穂高。杏寿郎と同じく鬼殺隊の隊士。もう二度と会うことはないと思っていたのに。
霧島はすたすたと葉子の前まで来ると、深々と頭を下げた。
「……何のご用でしょう?」
葉子は自分が思っているよりもずっと冷たい声を発していた。そんな自分に冷やりとする。
「炎柱、煉獄杏寿郎様の邸宅がこちらだと聞きましたので。これを」
三角巾で吊るしていない方の手には取っ手のついた籠を持ち、中には様々な果物が入っていた。小ぶりな西瓜にいちぢく、びわ、夏みかん。初夏の果物であった。
「お見舞いの品です。皆さんで召し上がって下さい」
特に感情の読めない表情で、霧島は籠を葉子に手渡した。
「あの、でも……一体?」
「先の任務は煉獄様とご一緒しました。彼は身を呈して我々を守って下さった。そのお礼です」
お礼と言うわりには感謝の気持ちが込められているのかいないのか。淡々と無表情に説明をする霧島の真意がよくわからなかった。葉子はこの果物を有り難く受け取って良いものか迷った。まずは杏寿郎に合わせた方が良いのではないだろうか……そんな気がした。
「あの、ではどうぞお上がり下さい。任務でご一緒したのでしたら、お顔を合わせた方がお互いに安心すると──」
「それは結構です」
葉子の言葉をぴしゃりと遮り、霧島はそれはそれは大きなため息をついてふふと笑った。大きな三角巾を首から吊るし、痛々しい姿ではあったが、不覚にも本当に綺麗な姿形の人だと葉子は思った。だが、その姿の下には得体の知れない底意地の悪さがある。葉子はこの男が嫌いだった。
「正直に言います。煉獄様がいなかったら、私も他の隊士も死んでいました。あの方と私の圧倒的な格の違いを見せつけられました。正直、悔しくて仕方がない。自分自身にも許せない。ここには来る気は無かったし、来たくも無かった。でもそれでは彼に貸しを作ったままでしょう? それが我慢ならなかった。それだけですよ。どうぞ受け取って下さい。お身体をお大事にと伝えて下さい。では」
そう言うと、霧島はくるりと背を向けて来た道をすたすたと進んだ。
「あの! ありがとうございます! 霧島様もお身体をお大事になさって下さい!」
霧島に聞こえるように、葉子は近隣の住民にも聞こえるような声をあげた。霧島は振り返りもせずに、そのまま通りの角を曲がり見えなくなった。
近くの塀に止まっていた霧島の鎹鴉は、二人の様子を見届けてからばさと飛び立った。陽に照らされ、翼を開げた鴉の影が地面にできてはすぐに消えた。