見え隠れ
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その場所は古来より観月の名所であった。背には松林が広がり、目前には海と砂浜が箱庭のように見事に調和している。夜には波の音を聞きながら空に浮かんだ月を眺めるのだ。満月は海面にももう一つ浮かんでいる。
暁子は雷神を見た。
耳をつん裂く大きな音と共に鋭い光が信じられない速さで地を駆け、木を上り、月を背に人が空に向かって飛翔した姿は神そのものだとその時は思ったのだ。
「……ってなんでこんな夜にこんなところを女の子が出歩いてるのおっ!? 鬼が出るって村で噂になってたよね? 家から出るなって言われてないの? 鬼知ってる? さっきみたいな気持ち悪い感じのヤツぅぅぅ!」
さっきまで雷神かと思っていたのは暁子と同い年くらいの少年で、ごろんと首が落ちた異形の者を指差し、
「あ゛あ゛あ゛ーっ! 気持ち悪い、怖い怖い怖い怖い、目が見開いてこっち見てるぅぅぅ!」
甲高い声で絶叫をした。
この人が自分で斬り落としたというのに何を言っているのだろうと暁子は困惑した。少年は林の方を見てびくびくと震えていた。「まだいるっぽいよぉ……もう、本当に嫌っ!」と耳に手を当てて怯えている。
目の見開いた異形の者はぼろぼろと朽ち、やがて灰となって風が運んで行ってしまった。
「あの……ありがとうございます」
「えぇ!? うん、まぁ……それほどでも?」
暁子がぺこりと頭を下げると、少年は途端にでれっとした。鼻の下を伸ばし、ぐねぐねと体を動かし忙しない。
「鬼の噂は知ってます。でも、どうしてもやらなきゃいけないことがあって……」
「……やらなきゃいけないこと?」
「はい」
暁子の父は今、漁に出ている。この場所に帰って来れるようにと岬の先で松明を燃やし、帰着の際の目印としなければならない。父は真っ暗な海の中をただ一人漂っているのだ。
その説明をぽつりぽつりと自分を異形の者から助けてくれた人に伝える。
「でも、漁にはしばらく出てないって……村の人が」
「うちは……こんな時でも漁に出なければ生きて行けないので」
暁子は下を向き、自分の拳をぎゅっと握った。初対面の人にいう言葉ではない。恥ずかしく、惨めであった。着ている着物も継ぎ接ぎだらけで薄汚れている。こんな自分をこの人はどんな目で見つめているのだろう。哀れむような目で見ているのだろうか。暁子はそんな表情を見るのが怖くて顔を上げられないでいた。
「……うん、わかった。お父さんが帰って来れるように。君が松明の火を安心して付けられるように、俺が鬼を一掃するから」
それ以上、何も聞かずにこの人は全てを承知したのだ。それを優しさや気遣いと言わずして何と呼ぶのだろう。
暁子が顔を上げると彼は任せろと言わんばかりの表情で自信ありげに胸を叩いた。
「俺は我妻善逸。この辺りに鬼が出るってことだったからそれを倒しに来たんだ」
やはりこの人は雷神なのだと思った。黄色い見たこともない髪の色をした優しい神様だ。遠い異国からの使者ではないだろうか。その人の言葉に緊張で張り詰めていた気が一気に緩んだ。
「ありがとうございます……私、怖くて。鬼が出るって言われてる場所に一人でいるのが怖くて……何度も帰ろうと思って……でもお父さんも一人で頑張ってるし」
ぽろぽろと涙が出た。涙は次から次へと頬を伝い自分で止めることができなかった。
「ええっ!? 泣かないでぇ! わかったから、わかってるよぉ! 俺だって怖いもん。一人で鬼と戦えって鬼畜の所業だよ。ああ、でも俺頑張るからさ! 泣き止んでええ! 俺、女の子に泣かれるとどうして良いかわからないんだよぉぉ」
善逸はあたふたと慌てながらポッケからハンカチを取り出し暁子に手渡した。その優しさに怖かった思いも、一人で寂しかった思いもどこかへ行ってしまったようだった。ころころと表情の変わるこの人は面白い人だ。そして心強い。
暁子は渡されたハンカチで涙を拭いた。ハンカチからは温かな優しい香りがした。その人と同じような明るい温かな香り。
「……ありがとうございます。私は暁子と言います」
「暁子ちゃん、鬼はまだいるから俺が一緒についてるよ。鬼はきっと暁子ちゃんを狙いに来るだろうから」
「はい……」
「あ、でも大丈夫大丈夫! 鬼が来たら俺が叩っ斬るから。うん。きっと……たぶん、大丈夫だと思う。きっと、恐らく。うん、たぶん」
たぶん、きっとと繰り返す善逸にほんの少し不安を抱いたが、一人でいるよりもずっと心強い。
「あの岬にある松明に火をつけないといけないんです。日が落ちる前に火はつけたのですが、消えているのでまたつけに行かないといけないんです」
暁子が指差す方角には月と星が煌めく夜空があった。岬の先に何か建物のようなものがあるようだが暗くてよくわからない。
「わかった、一緒に行こう。しっかり手を繋いで、ぎゅっと離さないように、それはもうしっかり繋いで。指と指を絡めながら」
「はい」
言われた通りに善逸の指に指を絡ませると、ビクッと肩が跳ねてしっかりと握り返してきた。
岬を目指し二人はしっかりと手を握りしめ砂浜をゆっくりと歩いた。二人の足跡が砂浜にずっと続いている。
「何だか夜に二人ででぇとをしているみたいだねぇ、うへへへへ」
「でぇと?」
「あ、いや、何でもないよっ! 松林の方に鬼はたぶんいるからなるべく砂浜を歩こうねえっ!」
「はい」
波の音がやけに響く夜だった。