嫉妬している
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その場所は海に面した乾いた土地だった。青空と砂色のコントラスト。写真を切り取ったように美しい景色は、ここがまるで外国のようだと人に錯覚をさせるのだ。
一歩を踏み締める度にきゅっと靴が砂にめり込んだ。少し傾斜のある砂山を歩けばさらに足が砂にめり込んでゆく。
砂丘を歩くことがこんなにも大変だったとは。すたすたと普段と変わらない様子で前を歩く同僚に暁子は後ろからついて行くのが精一杯で、だんだんと離れてしまっていた。
時々後ろを振り返り、暁子が追い付くのを待ってくれているその人は嫌な顔ひとつせず穏やかに微笑んでその場で待っていた。
やっと追い付いた暁子は、
「……煉獄先生は体幹があるから砂の上を歩くのも平気なんですね。さすがです。私は運動不足がたたってますよ」
「いえ、篁先生がスニーカーが良いとアドバイスをくれたお陰です」
杏寿郎は片方の足からスニーカーを脱ぎ、中に入った砂を落とした。砂はさらさらと地面に落ちた。杏寿郎の履いている白いスニーカーには砂がつき、薄いベージュ色に染まっていた。暁子の白かったスニーカーも今はベージュ色に染まっている。この日の為に新調したと言っていた買ったばかりの真新しいスニーカーが砂で汚れてしまっていた。
「せっかく買ったばっかりのスニーカーが汚れちゃいましたね。今日は特に空気も乾燥してるのか砂が舞い上がってますし」
暁子と杏寿郎の視線の向こうでは、砂嵐のように砂が巻き上がる中できゃあきゃあと騒ぐ女子生徒達がいた。
「靴は汚れるのが当たり前です。気にしていません。せっかくの篁先生からのアドバイスを受け止めることができて良かった!」
「そう……ですか? それは良かったです」
時々、杏寿郎は暁子に対し不自然なほどにとても肯定的で首を傾げてしまう。ただ、他の生徒に対しても前向きに励ましたり助言をしている姿を良く見掛けるのでそれが煉獄杏寿郎という教師なのだと最近では思っている。生徒や他の教師達からも慕われており、情熱を分け隔てなく生徒に注ぐ姿に暁子も密かに彼を尊敬していた。
修学旅行の日程中はずっとバスの座席が隣同士になると聞いていた為、いろいろとこの機会に話がしたいと暁子は思っていた。てっきり胡蝶カナエと座席は隣りになると思っていたが、突然に「お前は煉獄の隣りな」と宇髄天元より言い渡されたのだ。
「この場所は初めて来ました! 篁先生も初めてですか?」
「いえ、前に一度来たことがあるんです」
暁子の言葉を聞いた途端、それまでにこにことしていた杏寿郎の表情が一瞬、強張った気がした。
「あそこからの景色が素敵で……あそこまで行きたいんですけど、煉獄先生はどうぞ先に行って下さい。時間もありますし」
「篁先生は以前に来たことが……?」
暁子が指差す丘の上に視線を向けると、すぐに杏寿郎の視線は暁子へと戻ってきた。朗らかな表情はしていたが、瞳の奥が笑っていないような、空気が張り詰めた緊張感が漂っている。
「はい、学生の頃に一度だけ。その時は歩くのがこんなに大変じゃなかったと思うんですけど……やっぱり年をとったかなぁ」
暁子はへらりと笑ったが、杏寿郎はにこりともせずに黙ってじっと顔を見つめている。何か癪に触ったことを言っただろうかと暁子は冷やりとした。太陽のようにいつもにこやかな彼が突然に真顔になるのは少し怖い。
「私を待ってたら時間がかかるので、どうぞ先に行って──」
「ならばこうしましょう」
杏寿郎は暁子の手を取ると、ぐいと腕を引っ張って歩き出した。
「わ、煉獄先生っ……!」
「この方が早い」
周りに生徒達がいるのも構わず、先を歩く生徒達を通り過ぎ、他の教師達が見ているのも構わずに杏寿郎は歩いた。教師同士が手を繋いでいる場面を生徒が見たら何と思われるだろう。
「おい、見ろ。煉獄先生と篁先生が修学旅行にかこつけて手つなぎデートしてるぜ」
ほら、言わんこっちゃない。暁子は恥ずかしくて顔を下に向けた。
近くにいた教師である天元が他の生徒を焚きつけ、それを面白がった生徒達も「職権乱用かよ」とか何とか言ってスマホで写真を撮り始めた。
「宇髄先生っ! ち、違いますっ! 誤解です!」
「はいはい、誤解でも何でも良いからさっさと貰われてやれよ」
「へ?」
天元が言った言葉が理解できず、暁子は手を引っ張られるまま歩いた。足は自然と前へ前へと進み、あっという間に山の頂上まで来ることが出来た。その間もすれ違う生徒達や同僚達には写真を撮られ、「ついに!」と声を上げる者もいた。杏寿郎はずっと手を掴んだまま無言で前を歩くだけであった。暁子は突然のことに理解が追いつかず、スニーカーに砂が大量に入っていることを気にとめることも、美しい景色を眺める余裕も無かった。
「やっとついた」
暁子の手を離した杏寿郎は、今まで登ってきた砂丘を見下ろし、そして空と海を眺めた。風が足元の砂塵を舞い上げ、暁子はとっさに腕で顔を覆った。
「確かに素晴らしい景色だ!」
杏寿郎は腰に手を当て、遠く地平線を眺めている。
「俺はどうやら過去に嫉妬をしたようです」
言葉の意味がわからず、暁子は何もいえなかった。
「篁先生は過去に誰とここに来たことがあるのだろう? こんなにも遠い地だ。きっと旅行だろうと思うとその過去の思い出を塗り替えてやりたくなりました!」
「えっと? それはどういう……?」
「篁先生、初めて会った時からずっと好きでした! 結婚を前提としたお付き合いを願いたい!」
杏寿郎は片方の膝をつき、姿勢を低くすると右手を差し出してきた。目は大きく見開き、自信と希望に満ちている。
暁子は信じられない思いで目の前の杏寿郎を呆然と見つめるしかなかった。不自然な程に自分に肯定的だったのは、つまりそういうことだったのかと今更ながらに思った。
「よ、よろしくお願いします……」
その瞬間「わぁ」と大きな歓声が周りから聞こえて、シャッターを切る音と拍手が鳴り響いた。暁子はまるで芸能人にでもなった気になったが、恥ずかしくて顔が熱くなっていた。
「今日から篁先生ではなく、暁子と呼ぼう!」
「え、あ、はい?」
杏寿郎は突然に暁子を抱きしめ、ひょいと横抱きにするとその場でくるりと回転をした。暁子は目が回り、何がなにやらわからず振り落とされないように必死に杏寿郎のシャツを掴み顔ばかり眺めていた。
『職権乱用出たよーっ!』
『めでたいから何でも良いよ』
『煉獄先生やっと実ったね。おめでとう』
生徒達は口々に感想を言い合い、二人を動画で撮影し始めた。天元をはじめとする他の教師達も集まって来た。
「……何をしているんだこの二人は」
「修学旅行にかこつけて、公開プロポーズだとよ」
「あらあらぁ、素敵ね。一生の思い出になるわねぇ」
「派手で良いなぁ! おいっ!」
「めでたい……理事長にも画像を送っておこう」
悲鳴嶼行冥が涙を流しながらスマホを構えた。
撮られた写真には暁子を横抱きにしたまま満面の笑みで写る杏寿郎と困惑した表情の暁子が海を背に、青空と砂丘と共に写っていた。
後日、行冥より送られて来た画像を見た産屋敷理事長は「砂の上だけど、何だか魚を獲ったみたいに見えるね」と笑ったらしい。