甜瓜
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すっかり空は日が落ちて、店の明かりが道を照らす賑やかな通りを歩いていた。
早く帰らないと──
葉子は少し遠出をし、今日は銀座の百貨店まで行っていた。初めて見る華やかな衣類や小物に目を輝かせランチにカレーライスを食べ、土産にメロンを買っていたらこんなにも遅い時間になってしまった。買い物に夢中になってしまった。
夕飯の支度は気にしなくて良いと義理の父の槇寿郎は言っていたが、既に時間は夕暮れ時を過ぎ、辺りは居酒屋の賑やかな声が聞こえている。
早く帰らないと──
早歩きで先を進む。
葉子はあまり夜には出歩かないので、昼と夜の町の風景の違いに少し戸惑っていた。酒を飲み、上機嫌になった客達が通りで大きな声を上げている。店先で座り込み、独り言をぶつぶつと言っている人もいる。そんな知らない表情を見せる夜の町は少し不気味で怖い。
早く帰らないと──
風呂敷に包まれたメロンを大事に抱え、先を急いだ。前方の柳の木の下に三人の男が大声で楽しそうに話をしていたのが見える。その中の男の一人と目が合った。
嫌な感じがする。
葉子は気付かないふりをして、男達の横を通り過ぎようとした。
「おじょうっさん」
やけに明るい声が辺りに響いた。ここで振り向いたり、立ち止まってはいけない。そのまま聞こえないふりをして無視をしよう。
「何だよ聞こえてねぇのかよ」
男の腕が急に伸びてきて、葉子の手を乱暴にとった。
「痛いっ……」
手にしていたメロンがごろんと地面に落ちて、風呂敷から飛び出した。
「お、果物じゃん」
男は葉子の手を掴んだまま、自分に引き寄せた。別の男がメロンを拾う。
「そんなに急いでどこに向かってるのかな? 夜の町は危ないぜ? 俺たちが送ってやろう」
「まぁた始まった」
「ごめんなぁ、女に振られたばっかりでさ。ちょっと付き合ってやってくれよ」
周りの男たちも止める気はないらしく、へらへらとしている。
「結構です」
腕を振り解こうとするが、女の力ではびくともしない。男は葉子の腕をさらに引き寄せ、顔を近付けた。酒の強い香りが男からしている。不快だった。
「……大声を出しますよ」
「誰も聞いちゃいねぇよ。たかが送るって言ってるだけじゃねぇか。けちけちするなよ。減るもんじゃねぇしなぁ?」
「いや、減るだろう」
「んあ?」
男が振り返ると、すぐ後ろにランプを持った背の高い男が立っていた。着流しを着た、毛先が緋色の奇抜な見た目の男。相手を責めるわけでもなく、ぼんやりと赤い瞳で男たちを見つめている。
「槇寿郎さんっ」
葉子は緩くなった男の腕を振り解くと、槇寿郎の側に駆け寄った。
「遅いと思って来てみれば……若い女が夜に出歩くのはやはり良くないな」
「すみません……」
「さ、帰るぞ」
「え、いえ、あの……メロンが」
葉子の視線をたどって槇寿郎が男たちの方を見ると、一人の男がメロンを持っているのが見えた。
「買ったのか?」
「はい、お土産にと思って……」
槇寿郎はメロンを持つ男を目を細くして睨むと、男の肩はびくりとはねた。ただならぬ雰囲気を感じ取ったらしい。
「な、何だよ旦那かよ。ずいぶんと年上のじじいじゃねぇか」
「そ、そうだそうだ! 俺たちは何にもしてねぇからな。夜道は危ないって声を掛けただけじゃねぇか。感謝はされても、責められるいわれはねえからな!」
槇寿郎は深いため息をつきながら、地面に落ちていた木の枝を拾った。拾った枝を握り、やれやれと頭を掻いた。
そして一歩足を踏み出した。手にしていたランプの炎が小さく揺らめいた。
「な、何だ──」
男が声を出し終わる前に、槇寿郎は男に肉薄し腕と腰を枝で突いた。次に隣りにいた男二人の首筋も叩いた。男たちは目を白くさせながらぐらりと地面に倒れ、槇寿郎の手にはいつの間にかメロンが乗っていた。メロンに傷が無いのを確認をすると、
「葉子、帰るぞ」
手にしていた枝をぽいと捨てて、一人、何事も無かったかのように先を歩き出した。葉子は慌てて後を追う。
夜の喧騒から少しずつ離れて行くと、槇寿郎の持つランプの灯りがいっそう明るく見えた。
「あの、ごめんなさい。ご迷惑をお掛けしました」
「ああ、久しぶりの買い物だったからな。気持ちは分かるが。千寿郎が心配している」
「すみません、本当に……あの人達は死んではいませんよね」
「峰打ちだ。今晩は寒くないから、風邪も引かんだろう」
「そうですね……」
それきり、二人は黙ってしまった。砂利を踏む音がやけに夜に響いていた。
やがて、一歩前を歩いていた槇寿郎が歩を止めた。
「……杏寿郎に頼まれているからな。葉子の身に何かあっては俺も困るのだ」
「はい、すみません……」
「それもあるが……さっきは何と言うか、腹が立ったと言うか……」
「はい……?」
槇寿郎は歯切れ悪く、がしがしと頭をかいている。不思議そうに見上げる葉子を少し振り返り
「旦那はともかく、じじいと言われたのが何よりも腹が立った。俺と葉子はそんなに年が離れているか? いや、まぁ離れてはいるが……」
「槇寿郎さんは、おじいさんじゃないですよ? いつも変わらず素敵です。さっきも動きが見えなくて、流石だな、凄いなって思いました」
「……そうか」
それだけ葉子の口から聞くと、再び前を歩き出した。
片方の手に持ったメロンを鞠のように手のひらで少し上に投げては、受け取ることを繰り返しながら歩いて行った。
メロンが上に飛んでは、ぱちんと槇寿郎の手のひらに戻っていく。
「俺も葉子がなかなか帰らないと気が気でなくてな。酒の味が不味く感じた。……とにかく何も無くて良かった。葉子は大事な家族だからな」
振り返らずにぽつりと言った言葉は、葉子にはっきりと聞こえたのだった。
槇寿郎の手のひらの上のメロンは丸々と見事で、月のように明るく見えた。