介抱
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土鍋の中には粥が入っていた。今朝、千寿郎が作ったものだ。手にしているしゃもじでとろりとした中身をひと混ぜすると、ほかほかとした甘い匂いが湯気と共に鼻をかすめた。
「お粥はこちらに置いておきます。食事の時には椀に取り分けて食べさせてあげて下さい。薬はその後です」
「わかった」
伝え忘れていることはないだろうかと指を折りながら確認し、少し考えてから付け加える。
「汗をかくと思いますで、着替えや手拭きなどは文机の上に出してあります」
「わかった。千寿郎、もう大丈夫だ」
台所にも立った事のない父に本当に大丈夫だろうかと思いつつも、「では行って来ます」と挨拶をして千寿郎は家を後にした。
・・・
食事の時間になった。薬を飲ませるのは食事の後だと言われている。椀に粥を取り分け、盆に匙と水の入った硝子も乗せた。後は必要な物はあるだろうか、そう考えながら葉子のいる部屋へと向かう。
「葉子、入るぞ」
すっと障子戸を開けると、静かに横たわる葉子がいる。寝ているのだろうかと近付くと、目を閉じゆっくりと呼吸をしていた。掛けた布団が呼吸に合わせ規則正しく膨らんでは萎んで行く。ほんの僅かに。
葉子は熱があるので頬は少し上気していた。近付いても起きる気配も無く、本当に怠くて辛いのだろうと察することが出来る。
「葉子、起きて食べられるか?」
「…………」
返事が無い。寝ているのなら起こさない方が良いのか、それともやはり薬を飲む為には起こして食事をさせた方が良いのか戸惑った。看病はあまりした事がないのでわからない。
思えば、妻の瑠火が病床に伏せた時も自分は柱だからと任務に明け暮れていた。日に日に弱って行く妻になす術は無く、自分はわけもわからず憔悴していた。鬼を斬る事で病が改善するわけでもなく、ただただ闇雲に目の前の事をこなしていたに過ぎない。現実から逃げるようにして刀を奮っていたのだ。
ぐったりと布団に横たわる葉子の姿が亡き妻に重なる。
医師からは流行り風邪だと言われている。薬を飲んで静かに寝ていれば二、三日で治ると。で、あればやはり薬を飲ませなければならない。その為にはまずは食事だ。
「葉子、起こすぞ」
横たわる葉子の背中に手を回す。熱があるようで体は熱く、着ている浴衣は汗でしっとりとしていた。
ゆっくりと体を起こしてやると、ようやく閉じていた瞳が静かに開いた。
「……すみません」
「何、謝ることはない。たまにはゆっくりすると良い」
粥の入った椀を葉子に手渡すと、力が入らないのか、布団の上に落としそうになったのですかさず手ごと椀を支えてやる。
「ごめんなさい……」
そう、謝らないで欲しい。
家事の一切が出来ないことに引け目を感じているのだろうか、それとも父である自分に世話をさせる事に後ろめたさがあるのか。そんな些細なことはどうでも良いと言うのに。家族であれば当然だ。今はそう思う。
「薬を飲まなければな。食欲が無くても食べるのだぞ」
自分で匙を持つのも辛そうなので、椀の中の粥をすくうとそれを葉子の口に近付ける。ぱくりと粥を口にし、ゆっくりと咀嚼する。思ったよりも躊躇なく自分の手から粥を食べたのが意外で驚いた。粥をすくい、再び口に近付ける。またしてもぱくりと粥を食べる。椀の中の粥を全て食べさせてやろうと、葉子が粥を口に含んでから次へ、また次へと粥をすくっては口に近付けていたら、とうとう葉子がむせてしまった。
「ご……ごめんなさい」
口に手を添え、指の間からは粥が溢れていた。いや、謝るのは自分の方だ。葉子の食べる早さを全く考慮していなかった。つい、自分の手から粥を食べてくれるのが嬉しくて躍起になってしまったようだ。慣れないことはしない方が良い。
「早くやり過ぎた。悪かった。確か手拭きは……」
千寿郎の言っていた通り、近くの文机の上には着替えや手拭きが置かれていた。手拭きを渡すと葉子は手早く口や手を拭った。
「後は薬を飲むだけだな。着替えも枕元に置いておく。汗をかいたら着替えると良い。薬を飲んでゆっくり寝ればじきに治るだろう。では、俺は行くぞ」
汚れた手抜いを受け取り、立ち上がろうと折っていた膝を伸ばすと、ふいに葉子が袖を掴んで来た。まだしなければならない事があっただろうかと、頭の中で今朝千寿郎より言われた言葉を反芻させた。
葉子を見下ろすと、頬を赤く染めた娘がじっと見つめていた。
「……ありがとうございます」
そう力無く言った葉子が儚く健気で、思わず頭に手を伸ばした。ぽんぽんと撫でてやり、頭に置いた手を額にずらすとやはりそこは熱を持っていた。この熱も薬を飲めばじきに治るだろう。葉子のほつれている髪の毛を耳にそっとかけ、
「ゆっくり休むように。頑張り過ぎだ」
そう一言付け加え、立ち上がる。
葉子は少しはにかみながら嬉しそうに微笑むと、ゆっくりと布団に横たわった。掛け布団を肩まで掛けてやると、安心したように微笑みながら葉子は目を閉じる。深く呼吸をする音を確認すると、静かに部屋を後にした。
食事の後片付けもしなければならないだろうかと、わずかに悩みつつ台所へと向かった。