カフェーの道具①
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一枚板で出来た立派な卓の上に、それは置かれていた。うさぎの耳のついた髪飾りであった。正式な名称は「カチューシャ」というらしい。
「知り合いのカフェーの経営者から貰ったんですけどね。何でも不良品だそうで、店では使えないそうですよ」
目の前に座る男は、この奇妙な髪飾りを見ても何でもないことのように女中の運んで来た茶を呑気に飲んでいた。
「カフェーでこれは何に使うのだ?」
「女給が頭に付けてご奉仕するんですよ。槇寿郎さん、カフェーをご存知無い?」
それは意外でした、とわざとらしくこの男は言うが、カフェーの存在は知っている。そして店によっては男性客に如何わしい奉仕をすることも知っている。金さえ払えば店の二階の個室に連れて行かれ、女給と何でも出来るらしい。何でも。
「これ、私の店では使いませんし槇寿郎さんに差し上げますよ」
「いらん」
こんなもの何に使えと言うのか。
目の前の男、橘はこれまたわざとらしく大きなため息をついた。
「わかってないですねぇ、これを葉子さんにつけて貰ったら目の保養になりますよ。きっと似合いますよ」
「お前なぁ…… 葉子を何だと思ってる。息子の嫁だぞ。カフェーの女給じゃない」
すると、橘はどんと卓を叩いた。置かれていた湯飲みがぐらりとほんの少し揺れた。
「わかってない。女給じゃないのが良いんじゃないですか。素人がつけるから良いんですよ。それにこれ、本物のうさぎの毛を使ってるんですよ。捨てるのも忍びないですし。私の顔を立てると思って持って帰って下さいよ。それと、あなた私にいくらかツケがありますね。一刻も早く返して下さい」
「いや、それは待て……」
急に二人で飲み食いに出た時に、手持ちの金が少なく支払いを肩代わりしてもらう事がしばしばあった。この男はその時の支払いを言っている。
「本当はこの場に葉子さんを連れて来て装着しているところを見たいところですが、どうも私は彼女に警戒されているようなので槇寿郎さんの話で我慢しますよ。あ、そうだ今度写真機を買っておいて撮影して貰えば良いんだ。そうしよう」
橘は良い案が浮かんだとぽんと手を叩いた。この男は何故にうさぎ耳にそこまで固執するのか。写真機を個人で持つとなると、とんでもなく金が掛かるだろう。金持ちの好事家はこれだから理解に苦しむ。
「それに……本当は槇寿郎さんも見てみたいのではないですか。うさぎ姿の葉子さんを」
にやりと、橘がとても商売人とは思えない腹黒い顔をして指摘をしてくるものだから、何も言い返せなくなってしまった。
・・・
強引に渡されたふかふかとしたうさぎ耳の髪飾りを持ち帰った槇寿郎は、自室へこもっていた。こんな物を持っているのが知られたら変な目で見られるに違いない。家の玄関からは誰にも会わずにこの部屋まで帰って来ることができた。ほっと肩を撫で下ろす。
(しかし……)
槇寿郎は手にしている耳をじっと眺めながら、考え込んだ。
この耳を居間に置いておけば勝手につけるだろうか。それとも土産と称して渡せばつけるだろうか。いや、待てよ。女学生の間で流行っているらしいと言えばつけるだろうか。
うさぎ耳を家に持ち帰ってからと言うもの、いかに自然に葉子につけてもらうかの算段を考えている自分に酷く驚いた。この髪飾りはそこまで魅力があるというのか。知らず知らずに引き込まれてしまう力があるようだった。獣耳恐ろしや。
(いや、しかし。肌触りが良くて癖になりそうだ)
槇寿郎はうさぎの毛を使っているという耳を撫でながら思った。少し灰色の混ざった毛は撫でれば椿油を使ったのかと思うほどに滑らかで、毛に逆らって撫でればふかふかとした毛の感触が実に気持ちが良かった。
(この時間、葉子は夕飯の支度中か。すると、割烹着をつけているな。着物、割烹着、うさぎの耳……)
何だそれは、完璧じゃないか。
そうと思えば槇寿郎はうさぎ耳を持ったまま立ち上がり、部屋から出て行った。