切り火
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葉子は藤の家の娘だ。
鬼殺隊士の世話は勿論、包帯を取り替えたり、傷口を消毒したりとある程度の治療も施せる。家事も炊事もお手の物、とにかくよく働き、人に尽くす事は何ら苦でもない。
大変な任務の鬼殺隊士が少しでも居心地良く過ごして貰え「ありがとう」と言ってくれるのが1番の喜びだった。
そして隊士が次の任務に向かう時に、必ず切り火をした。
切り火とは対象に向かって火打ち石を使い、火花を起こすことにより清めをする儀式のことである。
藤の家にいた時は、新たに任務に行く隊士の為に母が切り火をすることもあれば、もちろん葉子もやった。
日常の中にごく普通に切り火をすることが染み付いているので、葉子にとって切り火をするのはごく当たり前の動作だ。
この日もいつものように任務へと向かう杏寿郎の為に、葉子は火打ち石を持ち、門前まで見送った。
「では!行ってくる!留守を頼んだ!俺は必ず帰って来るからな!」
「はい。ご武運を」
杏寿郎に向かい、両手に持った石どうしを打ちつける……が、
「あれ?」
石はぶつかることもなく空を移動した。もちろん火花は出ない。
「どうした?葉子」
「すみません。もう一度やりますね」
再び、両手に持った石を打ちつける……が、
「あれ?おかしい……」
やはり石はぶつかることもなく空を移動しただけであった。
「手がかじかんでいるのではないか!?今日は寒いからな!」
「ごめんなさい。もう一度やりますね」
杏寿郎に言われた通り、手が冷えてかじかんでいるのかもしれない。葉子は手にはぁと息を吐いて、もう一度石を手に構えた。
三度目の正直。
(失敗できない……!杏寿郎さんが任務に行くのが遅れちゃう……)
いつになく、真剣な眼差しで手元を見る。
こんなに切り火をすることに集中をしたのは生まれて初めてだ。
両手を広げ、石を打ちつける……が、
「あぁ……どうして……!」
やはり、石は空を移動しただけでぶつからなかった。火花はもちろん出ない。
「今日はおかしいです。どうしたのでしょう……これでは杏寿郎さんのお清めができません」
葉子は泣きそうになった。
切り火の儀式をすることが何か成果に繋がるのかはわからないが、これで何かあった場合「あの時の切り火ができなかったから……」と一生後悔するのだろう。
「気にするな!こういうのは気持ちの問題だからな!俺は大丈夫だ!」
優しい杏寿郎は葉子に心労をかけまいと、ぽんと肩に手を置き励ましてくれた。
「……本当にごめんなさい」
杏寿郎は真っ直ぐと葉子を見つめながらしばらく考えた。
「じゃあ今日はこうしよう!清めなら何でも良いだろう!」
突然、葉子を正面から抱きしめると少し体を屈めて葉子の首に顔を埋めた。
「な、杏寿郎さん……!?」
突然のことに、葉子は手にしていた火打ち石を地面にぽとりと落とした。
ふわりと髪が頬を撫で、そこが熱を持ったように熱くなる。
顔がほてる。体が熱い。
杏寿郎は葉子の首元で大きく息を吸い、息を吐いた。
ほのかに熱を持つ吐息が首や耳元にかかる。
それがくすぐったくもあり、恥ずかしくもあり、ぞくりと皮膚が泡立つ。
こんなところ人に見られでもしたら……
ゆっくりと葉子から顔を離した杏寿郎は満面の笑みであった。
もう離れて行ってしまうの?
恥ずかしいと思うと同時に、名残り惜しい気持ちが疼く。寂しい。これからしばらくは杏寿郎と会えなくなる。
「ようは気持ちの持ちようだからな!これで俺は清められた!」
杏寿郎は地面に落とした火打ち石を拾うと、呆然と立ち尽くしている葉子の手に握らせてやった。
「行って来る!必ず帰る!」
それだけ言うと、炎柱の羽織を翻し忽然と姿を消した。
「ご……武運を」
まだ夢を見ているようなふわふわとした感覚の中にいる葉子は、声を出すのがやっとであった。