夢でも
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葉子が庭で洗濯物を取り込んでいると、一羽の鴉が塀に止まった。杏寿郎の鎹鴉である。杏寿郎がこれより任務より帰宅をするのだ。葉子は急いで洗濯物を籠に入れ、いそいそとした足取りで室内へと戻る。ちょうど手にしていた籠を濡れ縁に置くと、玄関の引き戸がガラガラと開けられた。
とたとたと玄関まで行くと杏寿郎が草履を脱ぎ、上がり
「お帰りなさい」
「ただいま」
「お風呂が沸いています」
「いや、藤の家で済ませて来た。ありがとう」
炎柱の羽織を受け取ると、ふと杏寿郎の手には白い花が握られているのに気が付いた。
「立ち寄った藤の家で庭一面に
羽ばたいている鷺に似た白い花は神秘的で、本当に小さな鷺達が杏寿郎の手より数羽飛び立って行くかのようであった。
「葉子はいつも家を守ってくれているからな。せめてものお礼だ」
「まぁ」
それは杏寿郎から葉子への贈り物。気取らない細やかな優しさであった。
「部屋にさっそく飾りましょう。ありがとうございます」
「寝室の床の間が良い」
「わかりました。一輪挿しを取って来ますね」
葉子は大事そうに花を受け取ると、急いで部屋へと戻って行った。
・・・
その日の夜明け、細い光が障子戸から差し込み、夢か現か幻なのかどちらかわからないぼんやりとした意識の中で葉子は優しい風景を見た。
そこは川なのか湖なのか池なのか、とにかく葉子は水辺にいた。水面の波紋は虹色にゆらゆらと色を変え、辺りは草木の緑がつややかに輝いている。鳥のさえずりや木々の囁くような騒めきが心地良かった。辺りの景色は水霞がたちこめ遠くの景色は全く見えない。しかし不思議と恐ろしい気は少しも起きなかった。
そんな景色に見惚れていると、自分の着物の裾を掴まれた感覚があった。ふと足元を見ると小さな小さな手が懸命にぎゅっと裾を握っている。白い浴衣を着た知らない童子だった。輪郭は濃い霞に包まれており姿形はほとんど分からなかったが、紛れもなく知らない童子であった。
「あなたは誰? どうしたの?」
葉子はそう声を掛けたが、童子は何も言葉を発しない。裾を掴む小さな手は、離すまいと爪の色が薄らと白くなる程に力いっぱい裾を掴んでいるらしい。この場所が怖いのだろうか。迷子だろうか。何とか助けてやりたいが。屈んで童子に目線を合わせるが、なぜか童子の顔は見えなかった。空間がそこだけぼんやりとしているような。しかし、童子は安心したのか葉子にぎゅっと抱きついた。
「葉子、──」
杏寿郎の声がする。
自分を呼ぶ声と、もう一人知らない名前を呼んでいる。その名前ははっきりと聞き取れない。
童子は途端に葉子から手を離し、杏寿郎の声のする方へと駆けて行った。生い茂る草をものともせずに駆け、真っ直ぐに向かった先は杏寿郎の元であった。
童子は屈んでいた杏寿郎の腕の中に飛び込むと、輪郭を包んでいた濃い霞が途端に晴れた。童子は顔こそ見えないものの、明るい焔色の髪色であった。杏寿郎は勢い良く抱きついて来た童子を軽々と抱き抱え、立ち上がる。
「葉子もこっちへおいで」
微笑みながら手招きをしている。腕の中にいる童子も振り返る。その顔は──
「泣いているのか?」
隣りで寝ていた杏寿郎がむくりと起き上がった。薄暗い部屋の中、心配そうに葉子の顔を覗き込んでいる。
葉子の瞳からは涙が一雫頬を伝っていた。
「夢を見ていました」
葉子は涙を拭いながら起き上がった。そうか全ては夢だったのかともう朧げになっている先程の風景を思い出していた。
「怖い夢でも見たのか?」
杏寿郎は手を伸ばし、葉子の頬にそっと触れた。温かい手だった。葉子は思わず頬にあるその手を握りしめる。
「違います。よくわかりません。ですが……何だか胸が締め付けられるような、愛おしい夢だった気がします」
「そうか……」
杏寿郎は何かを懐かしむように、目を細め一つ息を吐いた。
「俺も夢を見ていた。美しい夢だった。七色に耀く水辺に葉子がいた。葉子がいて……」
杏寿郎は今度は葉子に握られている手を握り返し、自分の方へと引き寄せた。それにつられるように葉子は杏寿郎の胸の中へすとんと収まる。
「鷺草の花言葉は知っているか?」
葉子の長い黒々とした髪を優しく撫でながら問うた。
「俺の願いが叶ったのかもしれないな」
杏寿郎はちらりと床の間に飾られた鷺草に視線を移した。顔を見上げるとそこには優しげに微笑んでいる杏寿郎がいた。