甘いのはこちら
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葉子は夜の遅い時間に裁縫をしていた。古くなった着物を仕立て直し、巾着などの小物にしようと行灯の明かりの中で奮闘していた。小物を作るのは別に急ぎではないが、この日は任務に行った杏寿郎の帰りを待つために少しでも起きていようと心に決めていたのだった。
ふぅと一つため息をつき、裁縫の手を止めて、文机に置かれた小皿を見やる。小皿の中には四角い小さな欠片が何枚か入っていた。
『大福などに比べたら値段が相当に高くて驚いた。だが、たまにはこういうのも良いだろう』
槇寿郎はそう言って、最近町で売り出し始めたという"チョコレート"という名前の板状の菓子を一枚買って来たのだった。
初めて食べて驚いた。固かった茶色い板が舌の上でじんわりと溶けて、口の中に豊かな香りと味が広がる。今まで食べたことのない不思議な味。優しく濃厚な味。
これはぜひ杏寿郎にも食べさせたいと思った葉子は、日持ちがするのかもわからなかったが、数日中に帰って来るであろう杏寿郎の為にこうしてチョコレートを小皿に分けて部屋に置き、帰りを待っているのだった。
もう千寿郎も槇寿郎も寝ているのだろう。家の中はしんと静まり返り、時計の振り子の音だけが遠くで規則正しく鳴っている。その時、
ガラリと玄関の引き戸が開けられ、そして閉められた。草履を脱ぐ音が聞こえ、廊下をすたすたと歩く音が近付いて来る。その音は部屋の前でぴたりと止まり、ほんの少しの間を置いてから障子がするりと開けられた。
「葉子、こんな時間まで起きていたのか?」
「お帰りなさい。杏寿郎さん」
「……どうした。眠れなかったのか?」
葉子は立ち上がり、杏寿郎より羽織を受け取る。羽織はふわりと葉子の腕にかかり、寄り添うように枝垂れた。
「杏寿郎さんが帰って来るのを待っていたのです。渡したいものがあって。薪をくべて来ます。お風呂は少し待ってて下さいね」
・・・
杏寿郎が風呂から上がったのは夜更けも過ぎた未明であった。隊服より浴衣に着替え、髪はまだ濡れているために、肩には手ぬぐいを乗せている。
「こんな時間まで起きているのは珍しいな! 渡したいものとは何だろうか?」
「これです。槇寿郎さんが買って来て下さったのです」
葉子はそう言って、布団の上に座った杏寿郎へ梅の描かれた小皿の上に鎮座しているチョコレートを見せた。小さなそれはほんの三つの欠片しかなかった。
「チョコレートだな!」
「とっても美味しかったので杏寿郎さんの分をとっておきました」
たった三枚しかないチョコレートを自慢げに見せるのも気が引けた葉子は、自分も含めた槇寿郎と千寿郎との三人で分けたのでこれしか残りませんでしたが、と控えめに付け加えた。
「確か和菓子とは違った甘さの菓子だな! 前に食べたことがある」
杏寿郎は一つ欠片を手に取ると、口の中に入れた。口の中でゆっくり溶けて無くなったそれは濃厚な甘さで疲れを癒やしてくれるような、そんな不思議な気持ちにさせる。茶色い固い見た目とは裏腹な、優しい食べ物。
「そうでしたか……てっきり初めてかと」
葉子は杏寿郎もチョコレートを初めて食べるのではないかと思っていただけに、少しがっかりとした。初めての感動を分かち合いたかった。
「確か甘露寺から貰ったのだったか……だが、こちらの方が甘いと思うぞ。残り二枚だな。分けよう」
杏寿郎はまた一つ欠片を手に取ると、葉子の前に差し出した。なぜわざわざチョコレートを差し出して来たのかわけもわからず受け取ろうとすると、
「体温でもう溶けて来た。そのまま食べたらどうか。早く」
「え?」
ずいとチョコレートを顔の前に出されたので、気恥ずかしかったが杏寿郎の指よりそのままチョコレートにぱくりと食いついた。
そしておもむろに指がチョコと共に口の中に入れられ、口内をなぞった。
「!?」
驚いて目を見開いていると、確かに杏寿郎の瞳は猛禽類のように悪戯っぽくぎらついた。この人は時々、ふいに仕掛けて来る時がある。それは彼の中で情欲が疼いた瞬間なのだ。
指が引き抜かれると同時に葉子は押し倒され、唇が荒々しく重ねられる。何度も何度も角度を変え、上唇をついばまれ、中に入って来る舌は熱く絡まる。どちらの吐息かわからないが、それはとろけるように甘く熱く、甘美な香りがした。
名残り惜しそうに葉子の唇から離れた杏寿郎は、
「こちらのチョコレートの方がやはり甘い」
そう意味深に微笑んで、再び唇を重ねるのだった。