除夜の鐘(冨岡義勇)
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除夜の鐘が、冷たい夜ふけに厳かに鳴り響く。定期的な間隔で静かに厳かに。
規子はその年の瀬からまさに新年を迎える音を背中に聞きながら、村はずれの寺から誰もいない自分の家へと帰っている途中であった。
普段はほとんど人の来ない村はずれの小さな寺だったが、この日はぽつりぽつりと参拝客が来るのだ。
規子もいつもは夜に出歩かないが、この日は特別だからと深夜のこの時間に1人で出歩いていた。
いつも見慣れている村の風景も、今は真っ暗で、自分の足元を照らしているのはぼんやりとした心許ない月明かりと提灯の灯だけ。違う世界に迷い込んでしまったようだと、規子は家に帰る足を少し早めた。
すると、後ろの方でどさりと何かが地面に落ちる音がした。
雫がぽたりぽたりと落ちる音と、獣のような唸る息遣いも聞こえる。
これは振り向いてはいけないと、規子は走った。
怖い。
規子は必死で足を動かした。
それは何の前触れもなく突然天から降ってくるのだ。誰にも選べない。
息も絶え絶えに、動かしていた足がのろのろとおぼつかなくなる。しかし、規子の後ろのモノは、特に追いかけてくる気配はなかった。
(良かった……上手くまいたみたい。怖かった……)
激しく上下する肩を落ち着かせようと、規子は深呼吸をした。
深呼吸を何回かした時に、空気の中に土砂の湿ったような臭いが混ざっていることにふと気が付いた。
かたかたと提灯を持つ手が震えた。
いる。たぶん自分のすぐ後ろにいる。
怖い。これは何?
「女ァぁ。気付かれたぁあア」
首筋をザラザラとした太い冷たいものがべろりとなでた。
「アあぁ……良いい。柔らかいなあ、良い匂いだぁあ。ご馳走だなあぁあ」
体は恐怖で動かないが、目だけを動かして自分の左側を見た。
首筋をなでたのは、そのモノの口から出ており、緑色の目がいくつか付いていた。舌のようだった。まさに化け物。
すると首筋にぷつと痛みを感じた。小さな傷が出来たようで、痛みを感じる。そしてそこをべろりと舐められた。
「ほぁあ……良い味だなあぁ……!?ん?お前稀血だなぁァあ」
背中にぺったりと張り付いていた化け物は飛び上がると、どしんと規子の2間先に降り立った。
小石と土煙が巻き上げられ、薄れて行く煙から覗いたのはとてもこの世の物とは思えない恐ろしい姿の化け物だった。
目のついた舌を口からぶら下げ、顔と思われる部分には目はなく、体は規子の倍の大きさはあった。
「今日は良い日だァア。稀血だもんなぁア。上から喰おうか下から喰おうか。頭からも良いなァぁア。爪の先まで残さず全部喰ってやるよォォおお」
「壱ノ型 水面斬り」
突如、人の声がしたかと思ったら上空より水流と共に人が降りてきて化け物の首を恐ろしい速さで切断した。
化け物の首はごろりと地面に投げ出された。
「何が起きたあァあ!何が起きたんだよぉおおお!まだ喰ってないぃい!稀血ィィい!」
首を切断されても尚、地面に転がった頭から化け物は叫んでいたが、やがて塵となり粉々に消えて行った。
とりあえず命は助かったようだと認識をした規子はその場に腰をついた。いつの間にか手に持っていた提灯の灯りは消えている。
化け物の体の方が朽ちていくすぐ後ろに、人影があった。
カチリと化け物の首を討ち取った刀を静かに鞘に収め、くるりと振り返ると規子の方に歩み寄る。
「……怪我はないか?」
暗闇で顔は良くわからなかったが、長い髪の左右で柄の違う独特の羽織を着た男のようだった。
「……助かりました。ありがとうございます」
規子はまだ震える足を懸命に堪えて立ち上がる。
「礼には及ばない。鬼を狩るのが鬼殺隊の仕事だ」
鬼。さっきの化け物は鬼だったのか……
自分が伝記などで伝え聞いている姿とは随分違った。恐ろしかった。そして自分を喰おうとしていた。一歩この人物が来るのが遅かったら自分は死んでいた。そう思うと体の震えはさらに大きくなった。
「……怪我をしている」
男はおもむろにポケットより小さな容器を取り出すと、己の指に軟膏をつけ規子の首筋に塗った。
「あの!ちょっと……」
突然のことに驚いた規子は、慌てて一歩後ろに下がった。薬を塗ってくれたのだろうけれど、何の前触れもなく首筋に触れられ驚いてしまった。有り難いけれど、戸惑ってしまう。
「これで傷が残ることもないだろう」
すると、どこからか鴉が飛んできて男の肩に着地した。
「……勘三郎。蝶屋敷か本部に行って藤の香袋を。この人は稀血だ」
さわさわと鴉の体を撫でてやると、鴉はバサバサと大きな音をさせて羽ばたいて行った。
「まて!勘三郎!そっちの方角じゃない!」
そんな男の言葉を無視して鴉は北の方角へと空高く羽ばたいて行った。
「…………」
「…………」
男はくるりと規子の方に向き直ると、地面に落ちていた提灯を手に取った。
「……灯がない。家まで送ろう」
・・・
男はとても言葉足らずな人だったけれど、何とかぽつぽつと話してくれる内容を整理するとこうだ。
鬼殺隊という組織にいて、人を喰う鬼を退治するのが役目だそう。
特に大晦日のこの日は参拝の為に夜中まで人が出歩く為、鬼が活発に人を喰うらしい。その為に見回りをしているのだという。
夜中に出歩くのは勝手だが、命がおしければあまり夜に出歩かない方が良いと念押しをされてしまった。
規子の家に着くと、飼っている柴犬の栗丸が男にけたたましく吠えた。
「栗丸!静かに!この人は命の恩人なんだから!」
栗丸はそれでも警戒の色を消さず、唸り声を上げている。
(あ……すごい離れたところに立ってる)
男は栗丸からかなり離れた場所で突っ立っていた。男も犬を警戒しているようだ。
仕方がないので、栗丸を縄に繋ぎ玄関より離れた場所につないだ。男はようやっと規子の側にやって来てずっと持ってくれていた提灯を手渡した。
「今日は本当にありがとうございました。何とお礼を言ったら良いか……良かったら家に上がって下さい。お礼を……」
「いや。まだ見回りをしなくてはならない。休んでいる暇はない」
「そうですか……」
男は玄関の方を向いたまま即答だった。まだ名前も聞いていないのに。命の恩人とはここでお別れか。
「藤の香袋を。それを今度持って来る。いつになるかはわからないが」
先程、鴉に命じていた件のようだ。香袋が何の役に立つかはわからないが、それを届けに来てくれるらしい。
「……ありがとうございます。あの、お名前を聞いても良いですか?」
「……冨岡義勇」
それだけ言うと、義勇はすっと風のように消えていなくなった。
「……良いお年を……冨岡さん」
独り言のように呟いた言葉は果たして彼に届いたのであろうか。
冷たい夜に除夜の鐘が遠くで静かに響いていた。