20.彼の人は
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この日、たまたま来ていた隠の山下と手作りすぃーつを持って来た甘露寺蜜璃と葉子の3人は客間にいた。
「えええええ!おめでとぉ!葉子ちゃん!」
「良かったぁ〜俺、破談したらどうしようかと身の振り方をちょっとは考えてたんですよぉ」
山下はぐすぐすと鼻をすすりながら喜び、蜜璃は目をキラキラとさせて葉子の手を握り、大喜びで飛び上がった。
葉子は杏寿郎との祝言が正式に決まったと2人に報告をしたのだった。
「でね!それでそれでそれで!煉獄さんは何て葉子ちゃんに結婚の意思を伝えたのかしら!?知りたい!聞きたい!感じたいの!ときめきたいの!」
蜜璃のあまりの食い付きっぷりに山下は引いた。
(それは言えないでしょ……2人の秘密でしょうに)
葉子は下を向いて恥ずかしそうに顔を赤らめている。
「夫婦になりたいと思っているって……杏寿郎さんと、私が小さい時に親に連れられてこの家で会った時にそう心に誓ったと……」
消え入るような小さな声でぽつぽつと言う葉子は恥ずかしさの余り、両手で顔を覆った。
(えぇ……それ人に話しちゃう!?女子ってこうもぺらぺら明らかにしちゃうの!?女子怖っ)
自分も将来、誰かに求婚したらこんな風に他人に喋られてしまうのかと山下は恥ずかしくなった。
杏寿郎は朗らかで誰に対しても優しい。鬼から助けた相手、又は鬼殺隊の隊士より恋文や想いを打ち明けられることもままあると、他の隠から聞いたことがある。
それでも葉子以外の人に目移りするわけでもなく、今まで浮いた噂も一切聞いたことがなかった。
(目の前に菓子があったら手を伸ばしちゃうもんなぁ……俺だったら)
蜜璃の手作りすぃーつを頬張りながら山下は思っていた。
杏寿郎の1人の女の為のひたむきさは男から見ても恰好良いと感嘆のため息ものだ。
「きゃあああああああ!煉獄さん!煉獄さんったら!そんな何十年越しの愛なのね!一途なのね!煉獄さんがそう決めてたのね!」
「……いや、とりあえず落ち着きましょう。甘露寺様」
「落ち着いてられないわ!この気持ちをどうしたら良いの!?私はどうしたら!」
さすがに恋柱だけあり、どうもこの手の話にはやたらと感受性が強いようだった。
「胸の震えが止まらないわ!どうしよう!とりあえず痛みで落ち着こうかしら!」
そう言うと蜜璃は自身が帯刀している桃色の奇抜な柄の日輪刀に手を掛けた。
「ちょいちょい!ダメですって!落ち着いて!刀なんか触らないで下さい!危ない!」
「だって苦しいの!胸が震えるの!落ち着いてられないもの!」
日輪刀をなぜか抜刀したい蜜璃と、抜刀させまいと阻止している山下とでもみくちゃになっている。
「私も……杏寿郎さんに会えない日は苦しくって。早く任務から帰って来てほしいと……頭の中は杏寿郎さんの笑顔ばかりが浮かんで……家事が手につかない時があります」
葉子のその言葉を聞いて蜜璃と山下の動きはピタリと止まった。
「相思相愛だな!おいぃぃっ!」
叫んだ山下の目からは涙が流れていた。
それはお惚気をもう聞きたくない涙なのか、2人の愛に感動した涙なのか……
恐らく前者と思われた。
・・・
杏寿郎は任務の為にしばらく家から出ている。槇寿郎は部屋で読書にふけり、千寿郎は学校に行っている。
今日もいつも通り葉子は家の前でほうきをはいていた。集めても集めてもきりのない落ち葉を集め、そろそろ見切りをつけて家の中に入ろうとした時に、ふいに視線を感じた。
視線はどこからなのかと辺りを見ても特に人影は無く誰もいない。
(おかしいな……誰かに見られたと思ったけど)
葉子は気味が悪くなり、着ていた羽織の前裾をきゅっと締めていそいそと家の中に入った。
その翌日。
葉子はこの日もきりなく落ちてくる落ち葉を片付ける為に、家の前でほうきをはいていた。
(また……視線を感じる)
辺りを見回しても誰もいない。家の前の通りから通りの角まで行ってみたが誰もいない。ふと、家の後ろの竹薮に近付き竹の中を見回した。
真っ直ぐと乱立する竹のその奥の木の後ろでガサッと物音がした気がする。
葉子は慌てて家の中にいる槇寿郎を呼びに行った。
「……この辺りは治安が良いことで有名なんだがなぁ」
葉子と一緒に家の外に出た槇寿郎は物音がしたという竹薮の中を眺めた。
「それに長いこと家には男しかいなかったので、女子を狙うような怪しい輩に狙われることもないと思うのだが……」
「私の気のせいかもしれません。すみません。お食事の途中に……」
朝、槇寿郎は遅く起きたので遅れて1人で朝食をとっていた。その為に手には箸が握られている。
「む?」
突如、槇寿郎は手にしていた箸を竹薮の中に投げた。
シュッと風を切る音が聞こえ、箸は一本の木に真っ直ぐと突き刺さる。
「……まぁ、大丈夫だとは思うが。用心にこしたことはない。今日も冷えるな。葉子、家に入ろう」
槇寿郎は箸の突き刺さった木の辺りを睨むと、葉子を先に家へ入れてから玄関の中へと入って行った。
冷たい北風が竹薮を通り過ぎ、葉が騒がしくざわめく。
しばらくして竹のざわめきが落ち着いて来た時、箸の刺さった木の後ろより男が静かに出てきた。
(さすが元柱だけあるな……)
鬼殺隊の水柱である冨岡義勇だった。
なぜ水柱がここにいるのか。それは義勇自身もよく分かっていなかった。
(煉獄の祝言の話しを聞き、家まで来てはみたが……)
来てその後に何をしたいのかが自分でもよくわからなかった。とりあえず体が先に動いてしまったのだ。
同じ柱である煉獄杏寿郎とは特段話しをする間柄でも無く、お世辞にも親交があるとは言えない。向こうは顔を合わせれば挨拶をするが、それだけだ。
しかし、炎柱がこの度祝言をあげるらしいと他の柱が話しをしているのを聞き、何日か前からこうして煉獄家の近くまで来てみては、眺めて帰るだけという不可解な行動をとっていた。
(
一度も会ったことのない人物と話すのは気が引けたし、会ったところで何と声を掛けて良いのかもわからなかった。
『煉獄が山吹と祝言を挙げるってよ』
確か宇髄天元だったか。それを言ったのは。自分は会話には参加していなかったので遠くで聞いていただけだが、"祝言"と聞いて咄嗟に思い出したのは姉のことであった。
姉は祝言を控えた前日に鬼によって殺された。
幸せの頂きにいたはずの姉は、突然にその未来を奪われた。その前後のことはあまりよく覚えていない。
今でも結婚が決まった時の、頬を少し赤らめ幸せそうに話した姉の笑顔が忘れられない。
夫となるはずだった男はあまりの出来事にしばらく床に伏せているようだった。今となっては会う術がないので、どうなったかは知らない。
ただ、確かなのは自分の内に残ったのはどうしようもない虚無。それは今でも大きく自分の中に穴を空けていて、塞ぐ術がわからない。
穴を塞ぎたいのに。今でもチリチリと時たま苦しくなる。
(……帰るか)
家人も家に入ってしまったし、ここにいつまでもいてもしょうがない。
(もう来るのはよそう。気付かれた)
義勇はその場から冷たい北風と共に消え去った。
竹のざわめきがいつまでも響いていた。