3.帰宅後
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「兄上!お帰りなさいませ」
杏寿郎が自宅へと帰ると、とたとたと廊下の奥から千寿郎が駆け寄って来た。見た目がそっくりな彼は杏寿郎の実弟で、八の字のやや気弱そうな眉毛をさらに弓なりに曲げて笑顔で兄を出迎えた。
「あれ?姉上は……」
「杏寿郎っ!帰ったか!」
次に、2人の兄弟にそっくりな顔の大人が廊下から凄まじい速さでこちらに向かって来た。彼が通り過ぎた廊下はその風圧によって、障子がガタガタと揺れていた。父親の煉獄槇寿郎である。
「やや!?何事だ!なぜ連れていないのだ!」
いつもなら無精髭をはやし、着流しをさらに着崩して着ている父が、この日は髭をきっちりと剃り、いつもは着ない来客用の着流しを着ていた。
杏寿郎が1人で帰宅をしてきたことに他の2人はなぜだろうかと怪訝に思っているようだった。
「俺とした事が!まったくもって不甲斐なし!」
特段、しょんぼりとしている様子もなく、本当に不甲斐ないと思っているのか疑問に思うような大きな声ではつらつと言った。
「あの……とりあえず家に入りましょう。兄上」
居間へと移動をした3人は、神妙な面持ちで座卓を囲んでいた。沈黙が重苦しい。
「……というわけで、今度迎えに行った時に連れて来る手筈をとりました」
「何があったのだ。杏寿郎。なぜ次なのだ?迎えに行ったのではなかったか?」
槇寿郎は湯呑みを座卓にことりと置いた。
「俺のことを全く覚えていないようで、家に連れて帰るのは気が引けたのです。人さらいのような真似はできません」
「ううむ……俺は3日前から酒を断って今か今かと待っていたのだが」
「申し訳ございません。父上」
しんと、静まりかえる。
心待ちにしていたものがなかった時の喪失感。それを表すように、庭の落ち葉がひらりひらりと風に舞っていた。
「案ずるな。杏寿郎。これは家同士の取り決めだ。外堀は既に埋めてある。あとは時間の問題だ」
槇寿郎はその力強い瞳を息子に向けた。
「あちらのご両親も、娘と改めて話をすると言っていました」
「そうか。何の問題もない。良いか。日輪刀と同じだ。燃やすのだ!押して押して押して押しまくる!押してダメならさらに押す!それが煉獄家の教えだ!」
「はい!」
槇寿郎は今にも手にしている湯呑みを握り壊しそうなほどに力を入れている。座卓も壊れるかもしれない。
「今日……姉上が来ると思い、夕飯は牛鍋の予定だったのですが……」
千寿郎がぽつりと言った。
特別な日に食べる特別なもの。今日は、まだ見ぬ姉を思って特別に用意をした夕飯だったのだが……
「3人で食べるしかあるまい!」
「うむ!牛鍋も良いな!」
すでにある程度は賑やかだが、1人増えて、4人でわいわいと鍋を囲むのはまだ先になりそうだ。
・・・
葉子は両親と向き合う形で、座卓を前に正座をしていた。「座りなさい。話があります」と、煉獄杏寿郎が出て行った後に母より言われたのだった。
ふうと、母は息をひとつ吐き、背筋を伸ばし、改めて葉子と向き合い口を開いた。
「葉子、あなたと炎柱である煉獄杏寿郎様は許嫁です。あなたが幼かった時に、親同士で決めたのです」
葉子は何も言わなかった。静かに俯いていた。
「兼季家の本家は代々、火の神である火産霊命を祀る神社の神主です。本家には女子が産まれなかったので、分家の我が家が選ばれた……というわけです」
親に勝手に決められた結婚相手のようだが、葉子は特段、反発しようという気も起きなかった。「ああ、そうですか」と、己の境遇を不思議と受け入れている自分がいた。
相手のことをよく知らないわけで、好きとか嫌いとかそんな感情は芽生えない。
「葉子と煉獄様は一度だけお会いしたことがある。まぁ、葉子は小さかったから覚えてもいないだろうが……なぁ?母さん」
母の隣で同じく姿勢を正して座っていた父が静かに言ったが、母は父の言葉に何の反応もしなかった。ただ、葉子を真っ直ぐと見ていた。
「煉獄家は代々、炎柱を輩出している名家です。葉子はそのご子息に見初められたのよ。辛く、大変なことがあっても家に戻って来られると思わないこと。我が家の敷居は二度と跨がない気持ちで行きなさい」
「……行きなさい?」
「次に煉獄様がお見えになった時に、葉子はもう婚約者としてあちらの家で暮らすという手筈になっています」
母は淀みなくぴしゃりと言い切った。
展開が早すぎやしないか。昨日、今日と会ったばかりの人の家で急に過ごすことになるとは。
「今回、葉子が煉獄様のことを覚えていないことに気を使われて帰られました。これは私の落ち度です。許嫁の話をすれば、自分の境遇に嘆いた葉子が、他の殿方に心変わりをし、駆け落ちでもするかもしれないと懸念したのです。娘と話をして来なかった私の失態です」
父は横でうんうんと頷いた。
母の視線はずっと葉子に向けられていたが、この時は視線を下に向け、俯きがちになった。
今まで許嫁がいるという話を聞いた事もなかったのはそういう訳か。
しかし、親に信用されていないことの方が葉子には響いていた。色恋沙汰のことはよくわからない。そんなに激情家でもない。好きな人も今までできたこともない。
もしかして……今まで家に来た鬼殺隊士を治療が終えてからさっさと帰していたのはそういうことだったのかと今さらながらに思った。
葉子が年頃の娘に成長してからは次の指令を伝えに鎹鴉が来る前に、母は傷の癒えた隊士を体良く送り出していた。
「私なんかが転がり込んで逆にご迷惑では?」
「煉獄様はお母様を早くに亡くされて、今はご兄弟とお父様の3人で暮らしているそうです。女手があるととても助かるそうよ」
「煉獄様と会ったろう?立派な青年になられて。父さんも安心しーー」
「煉獄様は任務の合間にいらっしゃるので、次にいつお見えになるかはわからないの。明日かもしれないし、もっと先かもしれない。いついらっしゃっても良いように、葉子は支度をしておきなさいね」
「はい……」
葉子は絶対に嫌だと断る理由もないので、親の言う通りにするしかなかった。