17.迷い
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葉子は買い物に出ていた。
味噌に砂糖に塩に……大豆と昆布、鰹節も。
保存のできる物は大量に買い、後で家に届けてもらう。杏寿郎はよく食べるので、調味料や食材の消費も激しい。その為、葉子は定期的に町まで大量の食材や調味料を買いに出ている。
「お嬢さん、さつまいもはおいくつで?」
「100本下さい」
「え?ひゃ、100?それなら明日のお届けになりますけど」
「はい。それでお願いします」
「こんなに買ってくれるのは嬉しいけど、何かお店かなんかやってるのかい?」
「いえ、自宅用です」
「へぇ……」
そんなやり取りを何回か繰り返し、全ての買い物を終えた時には既に夕暮れ時であった。
(いけない。早く帰らないと。夜には出歩くなって言われてるし……)
実家にいる頃より藤の花の香袋は常に持たされていた。鬼は藤の花の香りを嫌い、鬼避けになる。特に煉獄家に来てからは、家にいる時でも必ず身に付けておくようにと強く念を押されている。
さて、急いで帰ろうかと一歩を踏み出そうとした時、側の芝居小屋から人がぞろぞろと出て来た。ちょうど芝居が終わった時間のようだ。
人を避けつつ、その人混みから抜け出そうとしているとふいに声が掛かった。
「葉子さん、ですか?」
驚いて振り返ると、そこには以前に藤の家で世話をした鬼殺隊士の霧島穂高がいた。
長身で見目麗しい彼は小屋から出て来た役者なのかと、通りの人から好機の目を向けられている。
「見知った顔があると思ったら葉子さんでしたね。お久しぶりです。こんなところでどうされました?」
「ちょっと買い物に……」
「ご自宅からはずいぶんと遠い場所ですけれど……あ、そうですか」
穂高はぽんと手を叩くと合点がいったという具合に微笑んだ。
「ご結婚されたのですね。おめでとうございます」
・・・
「……そうでしたか。祝言はまだでしたか。早合点しました。失礼なことを言いましたね。すみません」
穂高は申し訳なさそうに形の整った眉を歪めた。
葉子は帰り道、夜は鬼が出るかもしれないのでと穂高に送ってもらっていた。
藤の香袋があるので大丈夫だと一旦は断ったが、それは完全に防げる物ではない。特殊な能力の鬼もいるのだと強く主張をされ、こうして2人で薄暗い通りを歩いている。
「しかし、家にまで葉子さんを連れて来ておいてまだ祝言を挙げないとはどういう了見なのでしょう」
それは…… 葉子にもわからない。ただ、柱としての任務があるのだろうと漠然と思っていた。杏寿郎は忙しい。家にもあまりいないことの方が多い。
穂高はしばし考えた後に
「……誤解しないで下さいね。葉子さんを悲しませるつもりはありません。相手の方を悪く言うつもりもありません。ただの私の独り言です。一般的な意見ですから……」
そう言って穂高は立ち止まった。
通りは家路を急ぐ人々がすれ違って行く。通り沿いの店には提灯に火が灯され、いよいよ夜の帷が落とされた。
「藤の家で葉子さんは物思いにふけり、悲しそうな顔をされていましたが……今も私にはその時と同じお顔に見えます。葉子さんはそんな結婚で良いのですか?」
そんな顔なんてしていない……と思う。
煉獄家の中にいられてとても幸せだ。ただ、そう思っているのは自分の中だけで、はたからみればそんな表情をしているのか……葉子は自分の頬に手を当てた。
「もし、夫婦になったとしても……どうなんでしょう。辛いのではないですか?葉子さんは自分の幸せを考えていますか」
穂高はふうと一つため息をついた。冬の寒さが息を白く凍らせている。
「親の決めた許嫁ですよね。あなた達の意思は関係ない。もしかして……相手の方も迷っているのでは?葉子さんと結婚して良いのか……他に好きな女性がいるかもしれませんね」
「違います!そんなことあり得ない!」
頭の中が衝撃で真っ白になった。
帰ってくれば必ず手を握り、優しく笑顔を向けてくれる杏寿郎がそんなことあるはずがない。
葉子は自分でも驚く程、声を荒げていた。
穂高は鼻で笑い、形の美しい瞳を葉子に向けた。眼光が猫のように鋭く光っているような気さえする。
「なぜ、それが言い切れますか?現にあなた方は契りを結んでいない。迷いがあるから決められないのでしょう?先に進んでいない。気持ちが無いのですよ。だって親が決めたものですから」
穂高は目を細め、葉子をじっと見つめた。
彼女のこの表情はかなり怒っている。不安と怒りが入り混じり、心細そうでもある。もしかするとそうなのかもしれないと彼女はほんの少しは思ったかもしれない。
水に墨汁を垂らした時のように、黒い感情が水面に歪んで広がった。
可哀想に……
穂高はすらりとした指を葉子の頬に添えた。うっとりとするような妖艶な笑みを浮かべている。
「葉子さん。落ち着いてよく考えてみて下さい。私はあなたの幸せを願ってますよ」
「……っ!触らないで下さい」
葉子は穂高の手をぱしりと叩き弾いた。
「私達の事情も知らないで勝手なことを言い過ぎです。言葉が過ぎますよ。ここからは一人で帰れます。ありがとうございました」
ふいと穂高に背を向けて、葉子は帰り出した。
(思ったより心の強い人だったのですね。意外です。芯があるようだ。相手の男とはなかなかに強固な絆のようですね……)
何だつまらんと穂高はため息をついて葉子に背を向けた。
本当は葉子を家まで送って相手の鬼殺隊士の顔を見てみたかった。2人の邪魔をするつもりはない。ただの好奇心だ。先程の言葉はただ思ったことを言ってみただけ。それをどう受け取るかは相手の勝手だ。知ったことではない。
2人は別々の方向を少し歩いたところで大きな声が通りに響いた。
「葉子っ!!」
何事かと通りを歩いている人が振り向き、穂高もその例外ではなかった。
「こんなに外は暗くなっているぞ!大丈夫か!心配で迎えに来た!」
穂高は目を見開いた。
あいつは。あの派手な髪色は……
「煉獄杏寿郎……」
思わず口からその名が出ていた。
炎柱である煉獄杏寿郎。葉子の相手は鬼殺隊を支えている炎柱だった。
炎柱の姿を見て途端に安心したのか、先程までの葉子とはまるで違う柔らかい表情を相手の男に見せていた。
(なるほど。私に持っていないものを炎柱はいくつか持っているのだな……)
生まれながらに優れた血統。最高位の称号。若く美しい妻。
特に今は柱の席は全て埋まってしまった。手に入れようと鬼殺隊に入隊してから努力をずっとしてきたのに、だ。
早く席が空けば良いのに……
(まぁ……葉子さんが何やら心に引っかかった物を持ってくれたみたいですし。今回は良しとしておきましょう……)
2人が別れたら面白いのに、と穂高はくすりと笑った。
宵闇に霧島穂高の後ろ姿は消え、しばらくすると完全に見えなくなった。