16.雪見障子
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この日はどんよりと空が雲に覆われ、日中だというのに景色は重く暗い。冬らしい空色だった。
煉獄杏寿郎は任務の報告の為に鬼殺隊本部に来ており既に用事は済んだが、先日の柱合会議の時に悲鳴嶼行冥より発せられた言葉が気になっていた。
『鬼殺隊の戦力が恐ろしく低下している。継子となり得る者を積極的に探し、継子の枠を増やさなければ』
と行冥は言うものの、今の鬼殺隊の中に柱の鍛錬について来れる者がいるのかは疑問だった。現に、柱の中で継子がいるのは胡蝶しのぶくらいだ。
(俺が甘露寺と出会えたのは運が良かったのだ……)
元来た道を帰っていると、伊黒小芭内がこちらに向かって歩いて来るところであった。首に巻き付いている蛇がチラリと舌を出し、挨拶をしているようにも見える。
「伊黒か!元気そうだな!」
「……喚くな。うるさい」
ギロリと睨まれたが、杏寿郎は「相変わらずだな!」と特段気にしなかった。
「煉獄」
「何だ?」
「お前と甘露寺は師弟関係だったのだな。それ以上でもそれ以下でもないな?今でも関係は続いているのか?どうなんだ?煉獄」
伊黒はなぜか念を押すように聞いてきたが、例の行冥が言っていた継子の件を気にしているのだろうと解釈をした。
「葉子とはたまに会っているようだがな。俺はもはや甘露寺に何も教えることはない!立派に柱としての務めを果たすだろう!」
それを聞いた伊黒は安心したのか「そうか」とだけ言い、その場を去ろうとした。
「待て伊黒。継子は見つかったか?」
「……1人、継子にしてやっても良い奴は見つけた。しかし、人格に少々問題がある」
「問題?」
「階級は
杏寿郎は初めて聞く名前だった。一緒の任務についたことがないのだろう。
「鬼には並々ならぬ憎悪を持ち、鬼は跡形も無く不必要に切り刻み、拷問する癖がある。そこは評価できるが……その為に鴉が正確な討伐数が把握できず階級がなかなか上がらないらしい」
「激しい気性の持ち主だな!」
その程度は不死川をはじめ、他の柱も個性派揃いなので気にならないが。
「問題は同じ任務についた隊士同士を仲違いさせたり、気に入らない者は精神的に追い込んだりと問題行動が度々見られる。しかし能力は高いので、今は1人で任務につくことが多い。人格が破綻しているようだな」
例え能力が高くても仲間と助け合えない隊士は継子には出来ない、杏寿郎はそう思った。蛇柱の伊黒ならば上手く導けるのだろう。
「そうか……俺も早く継子を見つけなければな!」
「……そいつを継子にするかどうかはまだ決めていない。人の話を聞いているのか」
そう言って柱2人はお互いにその場を後にした。
どんよりと曇った空からはぽつりぽつりと雨が降り、手入れの行き届いた均された地面にぽつんと染みをつくり始めている。
・・・
居間で裁縫をしていた葉子は、外からぽつりぽつりと雫が滴れる音がしているのに気が付いた。雨が降って来たのだ。
(いけない!洗濯物を急いで取り込まないと)
庭に干してあった洗濯物を急いで取り込むと、まだ乾いていない衣類を仏間に干した。
(すみません。瑠火さん。ちょっとこの部屋を使わせてもらいます)
仏壇に手を合わせ、葉子は雨の降る空を眺めた。この寒い気温で雨は雪に変わるかもしれない。
(洗濯も米研ぎもこれからもっと辛くなって来るなぁ……)
これからの冬の刺すような寒さを想像すると気が重くなる。
「今、帰った!!」
帰宅を告げる明るく賑やかな声はこの寒さを吹き飛ばしそうな勢いだった。
玄関をピシャンと勢い良く閉め、すたすたと廊下を歩く音が聞こえる。
葉子は裁縫の手を止めて、よいしょと立ち上がると玄関まで向かって行った。
居間を出て、廊下を曲がったところで帰宅をした杏寿郎と鉢合わせをした。杏寿郎は葉子の姿を認めると手を伸ばし、葉子の手を握った。手は驚くほど冷たく、ひやっとした。外は凍えるような冷えこみのようだ。
「帰ったぞ!今日は寒いな!」
「お帰りなさい。杏寿郎さん」
ここ最近、杏寿郎は帰宅をすると葉子の手を握るのが習慣になっているようで、それには葉子はまだ慣れず照れてしまう。先日その場面を千寿郎に見られた時は、千寿郎も赤面をしておりとても恥ずかしかった。
「今日は雪が降りそうな天気ですね」
「全くだ!風邪を引かないようにしなくてはな」
そのまま杏寿郎は自室に向かい、羽織を葉子に手渡し、日輪刀を刀掛けに置いた。
炎柱にのみ着ることが許された羽織は父の槇寿郎から子の杏寿郎へと受け継がれた。その大切な羽織を葉子に手渡してくれるのが、誇らしくもあり嬉しかった。汚れがあれば洗い、穴が空いていれば縫う。ひと通り羽織を確認するが、特に汚れもなく手入れも必要なさそうだった。
羽織を衣紋掛けに皺がつかないように丁寧に掛けていると、杏寿郎が無造作に隊服を脱ぎ出したので慌てて部屋から出た。
「お、お茶を淹れますね。ひと息つきましょう」
「そうだな!着替えたら居間に行く」
葉子はいそいそと台所へ向かった。
湯を沸かした鉄瓶を手に居間へ行くと既に杏寿郎は着流しに着替え、新聞を読んでいた。
その姿が父親の槇寿郎にそっくりで、葉子は心がほわんと温かくなった。
(もっと年齢を重ねたら杏寿郎さんもあんな雰囲気になるのかな……)
だが杏寿郎よりも槇寿郎の方がやや優しげな顔をしている気もする。杏寿郎の方が凛々しい顔立ちなのではないかとも思う。彼の未来の姿を想像して一人、心の中で微笑む。
「葉子、父上の姿が見えないようだが?」
「お昼を食べてから買い物に出掛けられましたよ。正月の飾りを見て来ると……」
「そうか!千寿郎は学校だな。すると今この時間は葉子と2人きりか!」
「そうですね……」
そう言って杏寿郎は葉子をじっと見つめた。なかなか家で2人きりでいる時間は無かったので、珍しいといえば珍しいが。
「…………」
「…………」
沈黙が流れ、どこの部屋に置いてあったか、振り子時計の音がカチカチと聞こえてくる。杏寿郎は再び、新聞に目を落とした。
(この沈黙は何だか重苦しい……!)
葉子は気を紛らわす為に、途中で投げ出していた裁縫の続きに取り掛かった。針を動かす手を早めていたら
「痛っ……」
チクリと針を指に刺してしまった。
「大丈夫か!」
杏寿郎はさっと近付き、葉子の手を取った。ぷっつりと血が滲み出る。
「見せてみろ。止血をした方が良い」
「だ、大丈夫です……これくらい」
葉子は近くにあった手拭いで血を拭った。白地に赤が滲み、杏寿郎は心配そうに手を握ったままだった。
手を引いてみても、葉子の手は杏寿郎から離れることが出来なかった。しっかりと握られているのだ。
(え……?)
帰って来た時もお互いに手を握ったばかりなのに、この時ばかりは手を離してくれない杏寿郎を妙に意識してしまい葉子は自分の心臓がドキドキと鼓動を早くしているのに戸惑った。
ふと手元から顔を上げるとすぐ側に杏寿郎の顔があり、力強い瞳と目があった。瞳に吸い込まれそうでこれ以上目を合わせられなかったので、葉子はすっくと立ち上がり、ぴたりと締められている障子に近付いた。
「さ、寒いですし!今、もしかして雪が降っているかもしれません」
不自然に上ずった声で、閉じられていた雪見障子を上にすべらせる。すると……
「あ……雪……」
はらはらと雪が舞い降りていた。
「杏寿郎さん。雪ですよ!雪」
「雪か!」
杏寿郎も障子の間から覗く雪の景色を見ようと側にやって来た。葉子が見ているその場所に顔を近付ける。
「これは積もるかもしれないな!」
「明日の朝が楽しみですね」
この辺りはなかなか雪が積もる地域でもない。雪が珍しい葉子には、雪が降るというのは冬の風物詩のようでいくつになってもわくわくするものだった。
ふと、葉子は自分の頬にさわさわと触れる感触に気が付いた。杏寿郎の髪であった。
こんなに近くにいたのかと、ハッとして顔を離すと杏寿郎も振り返った。
再び2人は見つめ合う形となった。
「…………」
「…………」
なぜ、お互いに黙ってしまうのだろう。
今日は何だか変だ。今日ではなく、今、この時間が変だ。妙に意識をしてしまう。
再び振り子時計の音がカチ、カチ、カチと規則的に聞こえてきた。家には2人以外誰もいない。
静けさに心臓の鼓動が相手にも聞こえているのではないかと思ってしまう。
杏寿郎と葉子はお互いに向き合い、黙ったままだった。
それからどれくらいの時間が経ったか……
お互いの息遣いを感じる。
燃えるような赤い瞳に捕らえられ、今度は瞳から目を逸らすことは出来そうになかった。
無垢な瞳を向けられて、そこから視線は動かせなかった。
心臓の鼓動は先ほどよりも早鐘をうち、だが心は穏やかだった。
このまま流されてしまいそうだった。流されても良いと思う自分がいた。
しんしんと雪が降り、辺りは静けさに包まれている。
「葉子……」
なぜ名前を呼ぶの。
「杏寿郎さん……」
名を呼ばないでくれ。
2人は雪が舞い降りる景色の中で、ゆっくりと顔を近付けた。お互いの手はそっと重ねられている。
手はほんのりと熱を持ち、肌の温もりを感じさせる。
吐息がかかりそうな程に距離が近づいて行く。
杏寿郎の手は葉子の頬にそっと優しく添えられて……
「ただいま帰りました」
ガラガラと玄関が開けられ、学校から千寿郎が帰って来た。
即座に2人は座卓の端と端に離れた。まるで脱兎の速さだった。
「兄上!帰られていたんですね!雪が降ってますよ!」
「……む、そうだな。今日は……寒いからな」
どこかよそよそしい兄と、下を向きながら一心不乱に黙々と裁縫をしている葉子に首をかしげた千寿郎だった。