二人の時間
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『神様。鋼鐵塚さんがどうしようもないこのくずな性根を入れ替えたら──』
膳に置かれた、味噌汁、白米、焼いたししゃも、そして焼き海苔。今朝の鋼鐵塚家の朝食である。
「実江さん、たまには朝ごはんに玉子焼きなんてどうですか? いつも焼き魚だと飽きません?」
「え、そうかな? 蛍さんがいっつも残さず食べてくれるからこれで良いのかなと思ってた……いつも焼き魚じゃ飽きます?」
実江は向いに座ってむっつりと箸を持っている鋼鐵塚に聞いた。鋼鐵塚は箸を乱暴に膳に置き、実江の横に何食わぬ顔で座っている小鉄を睨んだ。
「だから、何でお前がこうも毎日毎日俺の家で朝飯を食ってんだ!?」
「前に言いませんでしたっけ? 鋼鐵塚さんが実江さんと夫婦になれたのは俺のおかげだからですよ」
「そんなわけねぇだろ!」
小鉄は豪快にししゃもを頭からかじっている。よく焼けたししゃもは、ぱりぱりと小気味の良い音を出して小鉄の喉を降りていった。
「前に俺、神様に祈りましたし。優しいお嫁さんを授けて下さいって。その通りになったじゃないですか。朝食くらい何です。安いもんじゃないですか」
「お前な……」
鋼鐵塚がこめかみに青筋をつくりながら立ち上がり、小鉄の胸ぐらをつかもうとしたところ、実江がその手を制した。
細い女の手が添えられただけなのに、大の男の手はぴくりとも動かせない。鋼鐵塚は一瞬面食らった。いや、実江は、妻はそういう人なのだ。下手をすると鬼殺の隊士よりも強いかもしれない。
「まぁまぁ、蛍さん。小鉄君はお父さんを亡くされたばっかりですし、一人で食事するのも寂しいでしょうし。良いじゃないですか。食事の時は人数が多い方が楽しいですし、ね?」
「違うっ! そういうことを言ってるんじゃない!」
そう言うと鋼鐵塚は朝食も食べずにそのまま戸を開け放ち、走って飛び出して行ってしまった。
「……俺、何かまずいこと言いました?」
「うーん……どうかなぁ……まずいことを言ったのは私かも?」
二人は顔を見合わせて、とりあえず朝食を食べましょうと茶碗を持つのだった。
・・・
朝食の時に家から飛び出して行ったきりの鋼鐵塚を探しに実江は山の中を歩いていた。
途中、里の者と会えば夫を見かけていないか聞いたが、会う人会う人みなが一様に「見ていない」と首を横に振る。
へそを曲げてどこかに行くのはいつもだが、だいたいその時は自分の工房で刀鍛冶の仕事をしている。放っておいても良いが、それはそれで顔を合わせた時にまたへそを曲げて口も聞いてくれなくなる。
それは実江が寂しいのでやっぱり探すはめになるのだ。
「今度、鈴でもつけておこうかなぁ……」
よし、刀を届けに里を降りた時にいくつか買って来て貰おうと実江は手をぽんと叩いた。我ながら良い案だ。
走ったり、木を登ったり飛び降りたりを繰り返しているうちにいつの間にか実江は鋼鐵塚と出会った川原に出ていた。
「あれ?……あのひょっとこ……」
川原で一人、ひょっとこの面をつけた男がしゃがんで石を積み上げている。石はある程度の高さまで積み上がるとがらがらと崩れた。
「蛍さんっ! こんなところで……」
実江が話し掛けても鋼鐵塚は無反応だった。小さく曲がった背中がいじけているようにも見える。その隣りに実江も座り、じっと水が流れる川を眺めた。川はさらさらと穏やかに流れている。時折り、鳥の鳴き声がどこからか聞こえ静かで澄んだ山の中だった。
「何だかここに来るのは久しぶりで懐かしいですね。蛍さん、朝食も食べてないからおにぎり作って持って来ましたよ」
「いらん」
「いらなかったら私が食べるので別に良いですけど……小鉄君はいつもだいたい一人で食事をとるって言うから、何だか放っておけなくて。そういうのだめでしたか?」
「それは構わない。それは……気にしてない」
「じゃあ何で怒って出て行ったんです?」
実江の屈託のない瞳が真っ直ぐと鋼鐵塚を見ていた。
鋼鐵塚は気まずくなって、ふいと視線から逃げるように横を向いた。実江は見透かしているのか、本当に知らないで聞いているのかよくわからない。けれど、実江と喋っていると不思議とほんの少しはわき上がった気持ちを伝えてみようという気にはさせる。
くいとつけていたひょっとこの面を上げて顔を出した。
「……別に。打つ時も、研ぐ時も俺は一人になる。……飯を食ってる時や寝る時くらいしか家にいないしな」
「それって……」
鋼鐵塚はばつが悪そうに、ずっと川の方を向いている。ほんの少し、彼の耳が赤いのは気のせいだろうか。
実江は思わずすぐ隣りにある腕をぎゅっと掴んだ。
「何だっ!? 離れろっ!」
「つまり、蛍さんは私と一緒にいられる時間をとても大切にしたいってことですね」
「ばっ……!そんなこと、ひと言も言ってねぇよ!」
「ダメ、離しません。絶対に離しませんよ」
実江に掴まれたら力で逃げられないのはよく知っている。鋼鐵塚は観念してすぐに大人しくなった。
「蛍さん。たまにはこうやって二人で出掛けたり、二人だけの時間を大切にしましょうね」
「実江がそうしたいなら、俺は構わねぇよ」
「そうしたいのは蛍さんのくせに」
「…………」
実江は持って来た袋より竹の葉に包まれたおにぎりを出した。それを二つに割って、ひとつを自分にもうひとつを手渡した。
鋼鐵塚は何も言わずに受け取ると、それをぱくりと食べた。ほどよく塩気の効いた握りだった。実江の炊く米の味。
まさかこの自分が嫁の作った食事を食べられる日が来るとは。本当はいつもいつも何回でも心の中で感謝はしている。
「美味い……」
実江はにっこりと笑って、隣にいる男の肩に頭を乗せた。
さらさらと水の流れる音がする。
静かで穏やかな時間の中、二人はしばらくそのまま川原にいた。
『──刀を愛する心をわかってくれるような、優しいお嫁さんを授けてあげて下さい』
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