8.山の女
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三人は里より程よく離れた町の庭園が美しいことで知られる料亭にいた。この料亭、以前に鋼鐵塚がお見合いをした時の料亭である。この辺りには見合いをするのにちょうど良い広さの格のある料亭と言えばここしかないので、この日実江も見合いの為にこの場所にいた。
「さすがに庭に三人も人がいたらバレるんじゃ……」
小鉄は心配そうに尋ねた。
「大丈夫です。小鉄少年。私達は以前もこの場所で鋼鐵塚さんの見合いを何回か偵察しましたからね。身の潜め方には慣れたもんです」
「何だと!? お前達そんなことしてたのか!?」
しまったと鉄穴森は一瞬思ったが「静かにして下さい、実江さんにバレますよ」と強気で言ったら慌てて鋼鐵塚が黙ったので特にお咎めは無かった。ほっと肩を撫で下ろす。
綺麗に刈り揃えられた低木に身を潜めている三人は庭から濡れ縁の奥の実江のいる部屋を眺めていた。そこには二人の男女が卓を前に向かい合っている。
そうか、見合いはこんな感じなのだなと庭から実江達を眺めている鋼鐵塚は思った。
実江は緊張しているのかずっと顔は下を向いたままだった。こちらまで緊張が伝わって来るようだ。
若緑色の着物を着て、いつもはゆるく一つにまとめている髪をしっかりと結い上げた実江はそれはそれは可憐であった。そこに憂いが添えられ、輝くような若さの中に不安が入り混じり、そんな姿を見るだけで胸が締め付けられる思いがした。
実江達が卓を挟み、挨拶をしている傍らで小鉄は身震いをしている。何事かと二人は小鉄を見やるが、
「さっきから気になってるんですけど……何だか俺にはあそこに禍々しい空気が淀んでいる気がしてならないんです」
小鉄が指差す方向は、ちょうど三人の隠れる低木の向かい側。錦鯉の泳ぐ優雅な池の反対側であった。確かに空気がどんよりと重く冷たい雰囲気を醸し出していた。日が当たっているはずの場所なのに日影があるような、そんな感じだ。
「確かに……あそこだけ空気が淀んでいますね。ん?」
鉄穴森が何かに気が付いた。視線を動かさずにじっと見ていると、植えられた低木の後ろに隠れて人がいるのが見てとれた。実江の兄だ。
「あの禍々しい空気は実江さんのお兄様から発せられているようですね」
「うわぁ……」
小鉄は身震いをした。以前に鋼鐵塚目掛けて暴れ猪を仕掛けた本人である。妹のこととなると見境が無いのか、怪しげな道具を使いまるで鬼のように容赦なくけしかける人物だった。鉄穴森にも刃物を向けている。そいつが時を同じくしてこの場に潜んでいる。
つまり、この場で身を潜めている人数は四人。よくもまぁバレないものである。
「ともかく、静かに実江さんを見守りましょう。私にはこの見合いがどうも妙な感じがしてならないのです」
鉄穴森は腕を組みながら唸った。
「普通はお見合いは双方の親なり仲人なりが立ち会うじゃないですか。それが見て下さいよ。初めから二人きりですよ……」
鋼鐵塚は「二人きり」という言葉に腑が煮え繰り返りそうだったが、我慢した。持って来ていた包丁を持つ手に力が入る。
確かに鋼鐵塚の見合いの時も必ず育ての親である鉄珍が同席していた。それがどうだ。実江の方にも相手の男の方にも誰も同席していない。文字通り二人きり。
「……男は櫻木という名の材木問屋らしい。初めから双方の仲人は立てないで見合いをしようと、そういう話だそうだ」
実江より見合いの話を既に聞いていた鋼鐵塚が言った。
「え? 櫻木? この辺りじゃ一番大きい材木問屋じゃないですか」
小鉄の言葉に他の二人はハッとして縁側の奥にいる実江と男を見た。
若緑色の着物を着た実江の向かいに座る男は和やかな笑顔を向けて座っている。実江と年もそう変わらない見た目をした水々しい色男であった。まさに絵に描いたような二人であった。
鹿威しの甲高い音が庭に響く。
「どう見ても鋼鐵塚さんに勝ち目は無いですよ。あの人えらい男前ですもん。品がありますし。しかも年も鋼鐵塚さんより若いんですよね? 極め付けは金持ちとか……」
鋼鐵塚は言葉を無くした。確かに向こうにいる男の方が認めたくはないが何倍も魅力的なのではないかと思う。何と言っても財がありそうだ。材木問屋の若奥様とちやほやされるのだろう。それも悪くは無さそうだとも思うが、果たして山育ちの実江に問屋の若女将が務まるのだろうか。甚だ疑問である。
鉄穴森の言うように、商人でも何でもない実江に見合いの話が持ち込まれたこと自体が妙な違和感を感じる。
「いや、小鉄少年。気持ちですよ。心が通い合うかどうかですよ。実江さんの気持ち次第ですからね。決してお金じゃないですよ」
鉄穴森も鋼鐵塚に気を使ってそうは言うが、にこにこと穏やかに実江に話し掛けている男は、見るからに品があり、物腰も柔らかく、そして何より優しそうであった。
間違っても包丁を持って「万死に値する!」などと叫び、人を追いかけ回したことは今まで一度もなく、そしてこれからも一生そんなことはしないのだろう。
重苦しい雰囲気が三人を包む。