5.君に決めた
▼
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ふいに鉄穴森は背後に人の気配を感じた。
「本当だ…… 実江さん喜んでる。そんな人がこの世にいるだなんて……」
「動くな」
「えっ?」
低く威圧的な男の声に小鉄が振り向くと、鉄穴森が両手を上げ、首には鎌があてられていた。
鎌を持ち、鉄穴森を人質にとっているのはごくどこにでもいるような好青年で、とても人を傷付けるような人物には見えなかった。それが返って怖かった。
男の目は据わり、静かに怒りと怨みを含んでいるようだ。
「何だあのひょっとこは?なぜ妹と一緒にいる」
「妹?あなたは実江さんのお兄さんですか?」
「俺の質問に答えてないぞ」
首に鎌をあてられている鉄穴森はふるふると震えていた。
「……あの人は俺達の里の者です。鋼鐵塚と言います。里は隣りの山にあります。別に不審者じゃありません。妹さんとなぜ一緒にいるのかは俺達もわかりません」
男はふいに鎌を持つ手をあっさりと下ろした。そして首に掛けていた奇妙な形をした笛を吹く。
笛の音は聞こえなかったが、その時、森の中からザワザワと激しく草木を掻き分けてこちらに何かが向かってくる音が聞こえた。ベキベキと低木をなぎ倒し、地面を力強く駆け、すぐ側まで走って来ているようだ。
草木がなぎ倒され、姿を見せたのは猪であった。
やや大ぶりの丸々と太った猪で、興奮しているのか口からは涎を垂らし、頭をふり、目は血走り、川を跳躍し真っ直ぐと掛けている。
その先には鋼鐵塚と実江がいた。
「暴れ猪だ!鋼鐵塚さんっ!ぶつかる……!」
小鉄は大声を出したが、声が届くよりも先に猪の走る速さの方が早く、鋼鐵塚目掛けて突進をしている。
鋼鐵塚にぶつかる!その筋骨隆々の肉体は一体何の役に立つのか、猪くらい弾き飛ばせと思ったその時、
実江は咄嗟に鋼鐵塚を突き飛ばすと、まるで鬼殺隊士かと思う程に華麗に跳躍し、空中でくるりと身を翻し、落下と同時に暴れ猪の首に手刀を入れた。
猪はたちまち大きな土埃をあげて、ゴロンと横たわる。
すとんと地面に着地をした実江は慌てて鋼鐵塚に駆け寄った。
「怪我はありませんか?大丈夫ですか?」
「あ、ああ……」
尻もちをついた鋼鐵塚は実江に突き飛ばされたと思ったら、迫り来る猪がどさりと横たわり、そして実江には心配をされている。
頭の中の処理が追いつかない。
実江は倒れている鋼鐵塚に手を差し伸べ、起こすのを手伝ってやると少し乱れた自分の着物と、鋼鐵塚の服をぱんぱんと整えた。
そして何でもないことのように、倒れている猪の側に近寄った。
「大きな猪だなぁ……ぼたん鍋がたくさん食べれそう」
実江は猪の横腹を指でつつとなぞると、脈と臓器の位置を指の腹で押しつつ、心臓付近に何のためらいもなく先程鋼鐵塚が渡した包丁を突き刺した。
猪は一瞬びくりと体が大きく痙攣し、血がどくどくと溢れ出した。
その光景を鋼鐵塚は呆然と眺めるだけであった。何この娘……
「鋼鐵塚さんのくれた包丁すごい切れ味です!さっくりと止めをさせました!わぁすごい」
行動と似合わない歓声を上げて喜ぶ実江に、凄いのはあなたの方ですよと心の中で思ったが声は出ない。その光景に鋼鐵塚は少し震えた。
「私、猪を持って帰らないといけないので……今日はありがとうございました。また今度」
実江はそう言うと、おもむろに猪の足を持ち、引きずり出した。
心臓から流れ出る血は道のように赤い絨毯を作っている。
その光景を遠くから眺めていた小鉄と鉄穴森は唖然とした表情でことの一部始終を見ていた。
「チッ……なんだってあいつを庇ったんだ?」
鎌を持った男は盛大な舌打ちをすると、禍々しい視線を2人に送りつつ、森の中に消えて行った。
「……はっ!?鋼鐵塚さん大丈夫でしょうか?行きましょう」
2人が鋼鐵塚の元へと駆け寄ると、大の男は呆然と突っ立っていた。ただただ、実江の消えた方角を眺めていた。
辺りは仕留められた猪の血が溜まり、血は引きずられた後を残し、周りは鋼鐵塚のこしらえた石塔がある為に、本物の地獄のような凄惨な現場となっている。
「鋼鐵塚さん。大丈夫ですか?怪我しませんでした?」
こくこくと首を上下に振るだけで、鋼鐵塚は声を発しない。
「実江さん……何ですかあの動きは。鬼殺隊に入った方が世の為になるんじゃ……」
「しかし、小鉄少年。あの身体能力なら、暴れる鋼鐵塚さんも一瞬で仕留め……もとい、抑えることができるのでは?」
小鉄と鉄穴森は顔を見合わせると天からぱぁと光が差した。
「デカい猪も引きずってましたね!仕留めた……もとい、大人しくなった鋼鐵塚さんも引きずって家まで帰ってくれそうですね!」
小鉄は鼻息荒く興奮した。
「鋼鐵塚さん!男なら腹を括って求婚しましょう!実江さんに!もう決まりですよ!里の為にも!こんな面倒臭い男を操れるのは彼女しかいませんよ!」
珍しく鋼鐵塚も特に反論するわけでもなく、大人しいので鉄穴森はおやと思った。
「しかし……私、鎌を突き付けられましたからね。実江さんのお兄様に。あれは常軌を逸してますよ。妹思いもここに極まれり……ですか。鋼鐵塚さん、かなりの覚悟をしなければいけませんね」
鉄穴森は自分の首に手を添えてさすった。
「あいつ、しかも怪しい技を使って暴れ猪を呼び寄せましたよ。何なんですかね?本当に実江さんの家族ですか?通りすがりの天狗とかの類ではなくて?」
「顔が似ていたので兄というのは本当でしょう。何、障がいがあるほど愛は燃えるのですよ。鋼鐵塚さん、私も応援しますので頑張りましょう!」
2人の中では既に決まったものとして勝手に決めつけられてしまったが、鋼鐵塚も悪い気はしなかった。
ただ……
里の女も炊事をする時に、鶏や魚を捌いているところは見た事があったが、猪を仕留めるところは見た事が無かったので驚いた。というより少し怖かった。
これから家に帰った実江は巨大な猪をも何の躊躇も無く屠殺するのだろう。血を抜き、皮をはぎ、内臓を取り除き、調理し食う。
いや、待てよそれを言ったら我々の作る日輪刀も鬼を殺傷する特殊な刀だ。しかも鬼は元々は人間だ。
どちらも人が生きるのに必要なこと。
いや、しかし。あんなうら若き可憐な乙女が何の躊躇もなく猪の心臓をひと突きし、何百キロもあるだろう猪の巨体を引きずっていた。
これはとんでもないことなのではないか。
もし、夫婦になったとしていつもの癇癪を起こし暴れでもしたら自分もあの猪のように、瞬で……
鋼鐵塚は戦慄した。
「ぼーっと突っ立ってないで行きますよ!鉄珍様に報告しなきゃ!」
「お見合いの話も止めた方が良いでしょうねぇ」
既に2人は乗り気であるし、鋼鐵塚も実江は良いとは思うが。思うが……
(……もう少し考えたい)
鋼鐵塚蛍37歳。いろいろと慎重になるお年頃。