4.物々交換
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鋼鐵塚はこの日、手に包丁を持っていた。
優しい鬼殺隊士を脅す為でも、人を殺める為でもない。
実江に渡そうと代々鋼鐵塚家に伝わる包丁を研ぐ技術でわざわざ包丁をこしらえたのである。
先日、実江と一緒に山に登った時に「さすがです!すごい!」と褒められたから気分を良くして研いでみたわけではない。
別に理由はない。ただ、何となく。そう。何となく。暇だったし……
己にそう言い聞かせ、いつもの川に来てみれば、実江はさっそく川で洗濯をしていた。
「あ、鋼鐵塚さんっ!」
鋼鐵塚の姿を認めると、実江は大きく手を振り名前を呼ぶ。それが堪らなく嬉しくて、鋼鐵塚はぐねぐねと動きがおかしくなったが、実江は全く意に介さず大きく手を振りにこにことしていた。
「鋼鐵塚さん。今日も来ると思ってました。良かったぁ会えて」
好意をはっきりと言葉に乗せて来るものだから、鋼鐵塚の体は熱を持った。
いつも里の者にも腫れ物扱いの自分がこんなに受け入れられているなんて。
心が温まる。人間って良いな。生きてるって素晴らしい。
鋼鐵塚は涙がほろりと出たが、お面をつけているので実江には気付かれていない。
「この前、鋼鐵塚さんの頭の手拭いに鼻血が飛び散っていたので、新しいのを持って来たんです。良かったら受け取って下さい」
そう言って実江は真新しい水玉模様の手拭いを手渡した。
「いや、それは……受け取れない。悪い」
女性から贈り物を貰ったことのない鋼鐵塚は慌てて遠慮をした。
そんな、自分が勝手に鼻血を出したわけであって、実江から新しい手拭いを貰うのは気が引ける。申し訳ない。
「そう……ですか……」
実江は泣きそうな程に悲しそうな顔をしたので、鋼鐵塚は慌てた。
あ、これは受け取らないといけないヤツだ。
咄嗟にそう思い直した。
「いや……そう言う意味ではなくて、かたじけないって意味の方の"悪い"……という意味でだな」
鋼鐵塚はそう言って実江が差し出した手拭いを受け取った。真新しい手拭いはハリがあり、誰の手にも使われず自分の為にわざわざおろしてくれたのだと実感する。
「良かったぁ」
途端に満面の笑顔になった実江は御幸が差したかのように神々しく美しかった。
鋼鐵塚は笑顔に目が眩みそうだったが何とか堪えた。
そして鋼鐵塚は手にしていた包丁を、くるんでいる布をするすると外し手渡した。
「これを」
「包丁……?」
「手拭いの礼に」
「ええっ!?良いんですか?こんな高価で素晴らしい物を……」
実江は口元を両手で押さえ、目がきらきらと輝いた。
自分の包丁を"素晴らしい物"と言ってくれたのが鋼鐵塚は嬉しく口元が綻んだ。しかし、お面があるのでそれは伝わっていない。
「これなら石も切れる。なでるだけで良い」
包丁で石なんて切れても何の得にもならないが、実江は足元に転がっている石を手に取ると平らなところに置き、言われた通りにそっと包丁をなでた。
すると、さくりと石が削られ包丁をそのままひくと削られた部分はころんと転がった。
恐ろしく切れ味の良い包丁である。包丁というよりもはや人知を超えた凶器。
「わぁ……すごい。これなら何でも切れちゃいますね」
感嘆の声を上げて、切られた石と包丁を見比べている実江は目がきらきらとして、とても可愛らしかった。
「これなら解体も楽に出来そう!嬉しいなぁ」
解体?何を解体するのか。魚とか鶏とか?
「骨とか硬くて大変なんですよね。これなら心臓や首もすんなり切り取れます。本当にありがとうございます」
実江は包丁を手に持ち天にかざして眺めている。包丁は光を浴びて怪しくギラリと輝いた。
「それで一体何の解体を……?」
包丁から視線を鋼鐵塚に移した実江はにこにこと屈託のない笑顔を向けている。
「猪とか熊ですよ。大きいから大変なんです。臓物を引きずり出すのもすっごく大変で……でも、これがあれば本当に楽になります。すっごく嬉しいです」
「ああ……それは良かっ……た」
こんなに華奢な体で熊の解体もするのかと、鋼鐵塚はこの人に包丁を渡して良かったのかと少し後悔をした。
いつも癇癪を起こして包丁を振り回す自分が心配するのもおかしな話だが……と、ほんの少しの後悔を振り落とした。
・・・
小鉄と鉄穴森は鋼鐵塚を探しに森の中を歩いていた。
「どうせいつもの"賽の河原"ですよ」
「賽の河原?」
「鋼鐵塚さんの良く行ってる川のことです。俺がそう名付けました」
賽の河原とは死んだ子どもの行く三途の川の河原のことである。
不思議そうに首を傾げる鉄穴森に「行けばわかりますよ」とそれだけ言って小鉄は構わず進んで行った。
川に到着すると、鉄穴森は小鉄の言っていた意味を理解する。
「何か……石がやたらと積み上げられてますね。確かに"賽の河原"だ。何でこんな……」
「実江さん。でしたっけ?その人に会う為に鋼鐵塚さんここに来ては時間潰しに石を積み上げて待ってるんですよ。ほぼ毎日」
待ち伏せじゃないか……しかも、積み上げられた石塔は1つや2つじゃない。パッと見10くらいはあると思う。
賽の河原では親に先立って亡くなった子どもが父母の供養の為に石を積み上げるわけだが、石が積み上がる前に鬼に石塔を崩される。それを何回も繰り返すのだ。転じて報われない努力の意味でも使われる。
「…………」
目の前の光景が現世とあの世を分ける三途の川のようで、果たして鋼鐵塚の待ち伏せの努力はどちらに転ぶのかと鉄穴森は心配になった。
そもそもこの川に広がる光景が恐ろしくて普通の女人が見たらかなり引くと思う。
どれだけ彼女を待ったのか。
そして鋼鐵塚の動向を知っている小鉄もどれだけ鋼鐵塚に注視しているのか……
(この人たちは一体どこを目指しているのでしょうか……)
鉄穴森は目眩を覚えた。そんなことよりも自分達のやるべきことをして欲しい。(自分も人のこと言えないけれど)
「あ!やっぱり鋼鐵塚さんいましたよ。今日は実江さんと既に一緒です」
小鉄が指差す方を見れば、確かに筋骨隆々の鋼鐵塚と女人が何やら一緒にいる。
「やっぱりこの前の女性ですね。実江さんですね。鋼鐵塚さん、ちゃんと愛を育んでるじゃないですか……素晴らしい」
鉄穴森は胸がじんと熱くなった。"あの"鋼鐵塚がちゃんと人と関係を築いている。それだけで一歩どころか一万歩くらい前進している。
2人の会話は聞こえず、表情がわかる程度に一緒にいる様子しかわからないが、何やら実江の方から何かを手渡しているようだった。
「実江さん、何か渡してますよ。鋼鐵塚さん、受け取りを拒否してるみたいですけど。何やってんだよ!受け取っとけよ!女性から何か貰うことなんて金輪際無いんだから!」
「小鉄少年……それは言い過ぎですよ」
実江より物を受け取った鋼鐵塚は、今度は実江に何かを手渡していた。
太陽の光に照らされ、それがきらりと光を反射した。
包丁である。
「あれ……大丈夫ですかね?危なくないですか?」
「例の切れ過ぎて料理に使えない包丁ですかね……」
何やら鋼鐵塚は実江に指示を出したようだった。
実江は足元に落ちていた石を拾うと、平らな場所に置き、鋼鐵塚より手渡されたその包丁で石をなぞる。
すると、石はすっぱりと真っ二つになった。
「あー……やっぱりアレ切れ過ぎる包丁ですよ。刃物を渡すくらいしか思い付かないんですかね。もうちょっとあるだろうよ。怖くて料理に使えない包丁なんて渡して嫌われますよ」
「でも、小鉄少年待って下さい。実江さんのあの感じは喜んでますよ。あの顔は鋼鐵塚さんに対する尊敬の眼差しです。それか……」
ふいに鉄穴森は背後に人の気配を感じた。