13.万々歳【完結】
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「今日もお勤めご苦労様です」
鉄穴森は、里に来ていた鎹鴉に餌を与えていた。
鴉達は自分の主人の刀の状態を刀鍛冶に、刀鍛冶の言伝を隊士へと里を行ったり来たりとして双方に伝えてくれる。この日も何羽か鎹鴉が里に来ていた。
「実江ちゃん、だいたいの物はこの通りにあるからね。ここに無いものは旦那が外に行った時に買って来て貰ったり、鉄珍様の許可があれば自分が里を降りて買いに行っても良いんだよ」
「はい」
鉄穴森が鴉に餌を与えている横を、里の女達が実江を囲むように通り過ぎて行った。
鋼鐵塚の元へ嫁いで来た実江の為に、里の女達が手厚く親切丁寧に里の掟を教えて歩いているのだった。
「鉄珍様のお屋敷は突き当たりを左に行ったところ。仕事をしていない時はだいたい里の男達は鉄珍様のところにいるか、この辺りをうろついているからね。あとは温泉に行ってるか。まぁ蛍は……あの人はたまに急にいなくなったりするからわからないけど。だいたいいなくなる時は、こんな風に鎹鴉が来た時なんだけど……」
一番年上と思われる女が言い終わると同時に、鎹鴉達が一斉に飛び立った。それは皆の前を鋼鐵塚が足早に通り過ぎたからだった。その手には包丁が握られている。
「あー、また始まった。実江ちゃん出番よ」
「え? 出番って?」
実江が何事かと立ち尽くしていると、慌てた鉄穴森が鋼鐵塚に駆け寄った。
「鋼鐵塚さん、今度はどなたですか? どなたのところに行くのですか?」
「俺の刀を折りやがった。許せねえ。俺の刀を!」
話を全く聞いていない鋼鐵塚の後ろから、鉄穴森が困ったように実江に視線を寄越している。「助けて下さい、止めて下さい」とそう訴えているようにも見えた。一体どうしたと言うのか。とりあえず実江はわけもわからず、自分の夫、鋼鐵塚の元へと駆け寄った。
「蛍さん。出掛けられるのですか」
「そうだ。俺の刀を折った剣士を殺しに行く」
「え?」
殺すとは穏やかではない。まさか冗談だろうと実江は思ったが、着物を既に襷掛けにして袖を捲り、両手に包丁を持った様は、怒りに打ち震えているようにも見えた。本当にそのつもりで出掛けるのだろうか。
「鋼鐵塚さんは自分の打った刀に由々しき事態があると激昂してこのように我を忘れるのです」
「忘れてねぇ! あいつが許せないだけだ」
「なので実江さん、どうにか鋼鐵塚さんを止めて下さい!」
鋼鐵塚の刀に対する想いはこんなにも真っ直ぐなのかと実江は感心したが、鉄穴森の静止を振り解こうと暴れている姿を見てふと思った。
(一人で置いて行かれると心細いな。まだ来たばかりだし……右も左もわからない事だらけだし)
いよいよ鉄穴森の腕から逃れそうになっている鋼鐵塚へと手を伸ばした実江は、そっと包丁を持つ手に触れた。
「蛍さん。私を一人にしないで欲しいんですけど。一緒にいて下さい。寂しいです」
その実江の言葉に、鋼鐵塚はぴたりと動きを止め、周りの者達は実江の真っ直ぐな気持ちに頬を染め胸をきゅんとさせた。実江から発せられた偽りの無い言葉は皆の心を動かした。
「……まぁ、実江がそこまで言うなら出掛けるのはやめておく」
鋼鐵塚は乱れた襟を整え、包丁を持つ手を下ろした。そして不貞腐れたかのようにふんと鼻を鳴らし、すたすたと来た道を戻って行った。
鉄穴森を始め、その場にいた全員は固まった。まさかあの鋼鐵塚が剣士を襲撃しに行くのを思い留めるとは。
その光景を目の当たりにした人々からは「わぁ!」と歓声が上がった。歴史的瞬間であった。
「実江さん! 素晴らしいです! やっと里に安寧が。本物の平和がやって来ましたよ」
鉄穴森は大袈裟に涙をぽろぽろと流し、里の女達もしんみりと涙を袖で拭った。
「えぇ……そこまで?」
なぜ、里の者たちが揃いも揃って感極まって涙しているのか。実江は戸惑ったが、一先ずはまだ慣れないこの里に一人で残されることはないようだったのでほっと安堵した。
・・・
窓より身を乗り出して一部始終を見ていた小鉄は興奮冷めやらぬ様子で鉄珍に言った。
「鋼鐵塚さんが怒りを収めて帰って行きますよ!」
「愛の力やね」
部屋の真ん中に座っている鉄珍はのんびりと茶をすすり、周りにいる人々からも「おお!」と歓声が上がった。
「誰が言い出したんやったかな。蛍に見合いをさせて、身を固めさせたら良いと言ったのは。まぁ、それが功を奏したわけや」
鉄珍のお好みで選んだ見合い相手はことごとく破談に終わったが、結果として気難しい鋼鐵塚を受け入れてくれる実江が見つかって良かった。それは里が襲撃されてこの場所に移って来なければ出会えなかった奇跡。人の縁というものを、鉄珍も他の者もしみじみと感じているのだった。
「これでこの先、剣士にも嫌われないで刀が打てれば蛍の技術も上がるし、他の刀鍛冶の負担も減るし、実江ちゃんは可愛いしで万々歳やね」
最後の言葉は若い女の子好きの鉄珍の完全なる好みだが。しかし「本当に良かった」と繰り返し繰り返し言葉にする様はその有り難みを噛み締めているかのようだ。
「でも本当によく"あの"鋼鐵塚さんに嫁ごうっていう気になりましたよね。俺が女だったら死んでもご免ですよ」
「小鉄にはまだわからんかもしれんけど、男と女っていうのはいろいろあるんぢゃ。それに蛍は心の底では優しい部分もある。それをちゃあんと実江ちゃんはわかってるってことね。愛の力やね」
小鉄は納得がいかないと言った様子で腕を組み、唸っている。
「そんなに簡単に性根は変わらんけど、あの子は一応鋼鐵塚家の当主やし、子でも生まれればまた変わるやろ。きっと蛍と実江ちゃんに似たえらい整った顔の子が生まれるだろうね」
「げえ! 鋼鐵塚さんの子どもって想像できないんですけど。あの人が子どもみたいですし。何かむかついて来ました」
鉄珍はけらけらと笑った。
「まあ、そう言わんといてや。小鉄。お前もだよ。この身が朽ちても、刀鍛冶の技術も心も次の世代に受け継がれて行く。いつか時代が変わっても刀鍛冶の心は変わらないとわしは信じてるよ」
鉄珍はもうすっかり冷めた茶をこくりと飲んだ。そして風鈴のついた傘をかぶりながら狂ったように泣き叫ぶ、幼かったあの子どもを思い出し面の下で笑っていた。
里のたたら場では絶えずもうもうと煙が上がり、各鍛冶場からは刀を打つ音が今日も森に響いている。
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