1.異様な風景
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さわさわと風に揺れる木々の音が優しく、今日は穏やかな日だと感じる。じりじりとした日差しを地上に降り注いでいる太陽はまだまだ夏を謳歌しているようだが、日中の、空気が重く感じるような蒸し暑さも和らぎ、朝晩は冷たい空気を感じるようになってきた。
ここ最近はずっと天気が良く、それでいて暑すぎる事もなく、夕立もなかった。町へと行商に行った父と兄は雨に降られる事もなく、無事に帰って来る事だろう。実江はつやつやと葉の生い茂る木の間から天を仰いだ。空は青く澄み切っている。
2日前に家を出た父と兄がもうすぐ帰って来るかと思うと心が少しそわそわとする。毎日顔を合わせている家族だが、実江は家族が大好きだった。頼もしく優しい父、何かと気にかけてくれる1つ年上の兄。母が亡くなってからはよりいっそう家族の大切さを感じていた。
(晩ご飯は何にしようかな……久しぶりにお肉かな)
乾燥させていた干し肉がまだあったはず。そんな事を考えながら川へ着くと、取ってのついた桶に水を汲んだ。山からの湧き水が集まってできた川は流れは穏やかで、冷たくひんやりとしていた。汗ばんだ肌にその冷たさが心地良かった。
ふと、視線をあげると川向こうの大きな岩の影に人の大きさくらいの影がさっと動いたのが目に入った。動物だろうか。
この辺りは熊も出るには出るが、臆病な熊は本来、人間の生活範囲には入って来ない。ともかくも、近くに熊がいるのはよろしくない。熊が興奮し、人を襲う事も考えられる。どこかに行ってもらわなければ。人間の領域から出て行ってもらわねば。実江は足元に転がっている大小様々な石から手ごろな大きさの石を選び、1つ握ると川面に向かって投げた。
ボチャン
静かな山の中に思いの外大きな音が響く。その音に驚いたのか、岩から影がずるりと出てきた。
(何……あれ)
まず、顔の部分にはひょっとこの面。そして上半身は服はまとっておらず、筋骨隆々の肉体を太陽の下に晒していた。
腕もある。足もある。人間?男?妖怪?しかし、その珍妙な風貌は、とても山の中には似つかわしくない、不気味さを放っている。
きょろきょろと辺りを見渡したひょっとこは、川岸でしゃがんでいた実江の姿を認めた(と、思う)
黒く塗られたひょっとこの目と実江の目が合った(と、思う)
ぞくりと背中が粟立ち、実江は急に昔、祖母が言っていた事を思い出した。
『鬼が出るからね。鬼にあわないように、この香を持ち歩くんだよ』
実江は帯にいつも挟んでいる小さな袋を握りしめた。物心がついた時から持たされている香袋だ。匂いがあるのかないのか、効果もあるのかどうかもわからないが、今の今まで伝え聞く鬼とは遭遇したことはなかった。今の今までは。
(逃げなきゃ!!)
まさかこんな形で鬼と遭遇するなんて。鬼とは何だ。危険なのか。いや、こんな山奥でひょっとこの面を付け、佇んでいるなんて異常な事態だ。不気味。尋常ではない。
とっさに身の危険を感じた実江は、桶もそのままに全速力でその場を後にした。
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