いねむり

      *****


軽く寝返りを打とうとして、頭の下が馴染んだ枕の感触でないことに違和感を覚える。
横向いていた身体を仰向けてぼんやりと薄目を開く。ぼやけた視界に映る、鮮やかな赤。透き通るような印象の端正な面立ち。色気と幼さを同時に含む、猫のような、目。
「―――起きましたか?」
頭の上から降ってきた声に寝起き早々全力でしかめっ面になった。見下ろす顔に向かって「はぁ…?」と声を漏らす。
「………なんだこの状況」
「なんだとは」
「誰得…」
ドン引きだ。自分にドン引きだ。なんだこれ。要するにオレは今赤司征十郎のひざまくらで寝ているのだ。
赤司征十郎のひざまくらで。
「少し寝ると言って横になったから『風邪をひくのでベッドに行ってください』と言ったのに。寝ぼけて枕を求めてごそごそ彷徨したあげく、人の膝を見つけたと思ったら無理やり勝手に占有してきたんですよ」
「……オレが」
「黛さんが」
「なぁ、オレ今めちゃくちゃ死にたいんだけど」
「やめてください。ただでさえ重くて邪魔なのに」
オレに一瞥もくれず淡々と話す赤司は、机に向かって勉強か何かをしているらしい。先輩を直球でこきおろす可愛げのなさに、あいもかわらずムッとする。
「嫌ならどければいいだろうが。乗せっぱなしにしてろなんて言った覚えねぇし」
「別にいやではないです」
嫌ではないのかよ。
「それに、『ご褒美』を貰おうかと思ったので」
不審な目で見上げるオレに、ペンを置いた赤司はチラと視線を落とし、微笑を浮かべた。
あ。くそ。
何か先手を取られた気がして内心で舌打ちする。
「……やんねーよ。そもそもあれはお前が勝手に言ってただけだろ」
「そうでしたか」
むっつりと黙って見上げる先で、くすくすと楽しげに笑う。
そういえばそんな話をしたこともあったっけな。晩夏だったか初秋だったか、練習後のロッカールーム、無冠の3人とオレたちで、誰がいねむりをするだのしないだの、誰に油断するだの心を開くだの、もし自分のそばでいねむりさせられたら、褒美をやるだのやらないだの―――
「『寝首なんてかくものか。おまえが起きるまで、僕がそばでみまもっていてやろう』」
赤司がゆったりと口にしたのは、あの時の赤司の言葉、一語一句そのまんまだ。
「言った通りにしたでしょう?」
なんて微笑まれても、うさんくさすぎて頬が引き攣る。
「絶対無理、ありえない、って豪語していたのに、ずいぶんと油断したものですね」
「……受験疲れで脳細胞が半分死んでんだよ」
「怒っても叩いても引っ張っても起きないので、今なら何でもできるなって思いました」
「不穏なこと言うな。何もしてねぇだろうな」
「さぁ、どうでしょう」
にっこり、と効果音すら聞こえそうな眩い笑顔なのに、逆に寒々しさしか感じないなんて、一周回って才能だと思う。
まぁ今さらかとため息ついて、オレは全身の力を抜いた。
「……どれくらいだ?」
「30分程度ですよ」
ふわりとオレの髪を撫でる手のひら。「お疲れさまです」と囁かれ、瞬間的に、飢えというか、何か渇望するような感覚を覚えたが、すぐに赤司の手は何事もなかったように離れていった。
見上げた先にある童顔を表情筋ひとつ動かさずに見つめると、負けないほど感情の読み取れない無表情が、黙ってオレを見つめ返してくる。
オレはなぜか、こいつの顔を見飽きることがない。
「……お前」
ふと腕を伸ばし、赤司の前髪に触れた。
「前髪、伸ばすの」
きょとんと瞬きした瞳が、あぁ、と上目遣いで自分の前髪を見遣った。
「そうですね…特に考えていませんが」
WC開会式後、ひとりでどっか行ったと思ったら帰って来た時にいきなり短くなっていた前髪だ。明らかに不揃いなそれに、「どこの暴漢に襲われたの征ちゃん!!」と発狂していたオカマがいたが、自分で切ったんじゃねーのと心の中で思っていたらまさしくその通りだったらしく、激しくどうでもいいなと思った記憶がある。
「ちょっと伸びたな」
指の間に短めの髪を通して戯れのように梳くと、赤司はほんのわずかに陶酔するような表情を見せた。
「短いのは似合いませんか?」
「お前デコ出してると、ガキっぽくなる」
うっ、と珍しくあからさまに苦い顔で、赤司は声を潜める。
「……それは正直……いやですね……」
「オレは嫌いじゃねぇけど」
「子どもっぽいと」
「似合ってないとは言ってない」
「……それは暗に子どもっぽいのが似合うと言いたいんですか」
すっと細められたナイフのような微笑には明らかな殺意が宿っている。童顔寄りなの、実はめちゃくちゃ気にしてたのかよめんどくせ…。
「単にオレの好みの話だっつーの。オレお前のデコきらいじゃないから」
まだ眉毛の上で揺れている柔らかい手触りの前髪を弄び、揃えた指の関節で本当の子どものようになめらかな額を撫でた。されるがままの赤司がじっと、オレを見下ろす。
「……では、切りますか?」
「別にどっちでも」
手持ち無沙汰だった赤司の手が自然とオレの頭に置かれ、軽く撫でられると、気持ちよさに少し目を細めた。
「伸ばしても、こうしてればデコ見えるし。そしたら他のやつには見えないわけだし」
「つまりまた、人の膝を枕がわりにする気満々ということですね」
「まぁ、寝心地は悪くねぇしな」
オレ元々枕硬い方だし。筋力ついた男の太ももでも、うっかり熟睡できるくらいにはそれなりにな。
「オレ専用高級枕になるつもりなら、引き続き使ってやらなくもないぞ」
「今すぐ寝首掻いてその辺に転がしますよ」
迫力ある笑みで見下してくるこいつの顔を悠々と下から眺めるのは、本当に悪くない。

す、と伸びた首筋と、男らしいというよりは丸みの残る顎のライン、その上に君臨する小綺麗なご尊顔、影を落とすまつ毛、薄く開かれた口唇、大人びた表情。
その普段目にすることのない角度からの光景は新鮮で、本当に飽きない。
手を伸ばせばどこにでも届く。触れられる。捕まえて、例えばお互いに首を伸ばせば、口唇と口唇だってあっさり接触する。
隙だらけだ。
寝首掻いてそのへんに転がそうと思えばいつでもやれた。それをしなかった時点でこいつの本心は知れているし、オレが油断しきっていたと言うなら、それを許したこいつだって充分そうだ。
あの時はこいつの前でいねむりなんて、「それはない」って、2人して断言できたのにな。何がどうして今こんなことになって、おまけに2人とも至極冷静なのか。あの時のオレたちが知ったら死ぬほど微妙な顔をしそうだ。今だって微妙だけど。
なんにせよ、オレたちは今、間違いなく、油断も隙も晒し合っている。
おかしなことなど何もない。最初からそういうものだというような顔して、平然と。

「……見すぎです」
再び机上でペンを走らせていた赤司が、ボソリと言った。照れ隠しが下手とかベタだな。ちょっとグッとくる。
「いい光景だなと思って」
「いいご身分ですね」
「知ってるか?お前あご下の右の首筋らへんに、ほくろあんの」
言い終わる前に、手のひらでベチンと両目を隠された。
「セクハラ」
突如暗くなった視界の中で聞こえた囁くようなその声は、怒ったふりをしながら隠しきれない羞恥を滲ませていて、あっクソ顔見せろと正直に思った。
「次に貴方のいねむりを見つけたら、絶対その間抜けな寝顔を写真に収めたあと叩き起こしますからね」
「そういうこと言うなら『ご褒美』やんねぇぞ」
しばらく押し黙った赤司が、胡乱な目つきでそっと手のひらを退ける。
「……さっきやらないと言ったくせに」
「気が変わった」
「どんなご大層なものを頂けるんですか」
「オレのひざまくらでいねむりする権利」
大きな猫目がパチリと瞬きした。
赤司は子どもの世話に疲れたように、まったく、と零して大仰なため息をついた。
「……仕方ないですね」
「レアものだぞ」
「こっちのセリフです」
「確かに……」
そんなどうでもいい会話の合間に、ふと気づくとまた心地良い眠気が襲ってきて、小さくあくびを噛み殺した。やばいなこれ。さすがに超SSR++赤司征十郎のひざまくら、気持ちよすぎて起きれない。
ぐだぐだとしていたら、「もう少し寝ていいですよ」と甘やかす赤司に髪を撫でられ、その心地よさに抗えずに、オレはまたゆっくりとまどろみに沈んでいった。


      ***


かくしてオレは、赤司に安眠を妨害されない権利を手に入れた。オレの尊い膝の犠牲と引き換えに、だ。
後日、担任に用事があって学校に来たついで、屋上でうっかりいねむりしていたオレを見つけたらしい。
宣言通りオレを起こさず、しばらくフェンスにもたれて見守っていたらしい赤司は、ようやくして目を覚ましたオレに開口一番こう言った。

「今夜、膝枕させてご褒美をもらいに行ってもいいですか?」

覗き込み、瞳を細めるいたずらな仕草を見つめ、寝起きのオレはぼんやりと考えていた。
赤司征十郎のひざまくらで眠るのと、赤司征十郎にひざまくらで寝られるのと。
果たしてどちらがよりレアイベントだろう――、と。
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