いねむり
「ちょっと永吉! 部室でいねむりはやめてっていつも言ってるでしょ!」
練習後の部室に聞き慣れた実渕のお小言が響き、オレ、葉山、赤司は何気なくそちらに目をやった。実渕が肩を怒らせて見下ろす先、根武谷が長椅子に寝そべって豪快ないびきをかいている。
「あ~? うるせぇなぁいいだろがよちょっとぐらい」
「よくないわよ。アンタ未だに自分の規格外サイズ自覚してないわけ? ものすごく邪魔なのよ」
「お前オレと大して身長変わんねぇだろ」
「ちょっとォ! アンタみたいな野獣と一緒にしないでちょうだい!」
寄ると触るとケンカばかりしているこいつらだが、それでも気が付けば葉山と共に、常に3人でつるんでいる。
天才は天才同士でしか傷は舐め合えず、共有もできない。『無冠の五将』という(不名誉な)称号を戴いた者同士、ある種の連帯感のようなものが、不揃いなこいつらを繋いでいるんだろう。
「でもレオ姉だって、授業中かっくんかっくん船こいでたことあるよねーっ」
葉山が悪びれなく笑うと、実渕が「ないわよっっ!!」と鬼の形相で食ってかかった。
「小太郎こそ、どこでもかしこでもお腹出して寝てるじゃないの」
「オレ風邪ひかないから大丈夫なんだよね」
「そういうこと言ってるんじゃないわよ、おバカ」
「バカは風邪と無縁でいいよなぁ」
「えー永ちゃんには言われたくないなーっ!」
騒がしくも興味皆無なその会話を無視してオレは着替えを続ける。隣の赤司も黙々と手を動かしているばかりで、この3バカトリオがいなかったらさぞかし淡々とした沈黙が続いていたことだろう。
「そーいや赤司と黛サンはいねむりしてるの見たことないよね」
矛先をこちらに向けた葉山が、瞳孔の開ききったネコ科の目をパチパチと瞬かせて言った。
「当たり前でしょ。征ちゃんがいねむりなんて腑抜けた様子見せるわけないじゃないの。黛さんは休憩中しょっちゅう床で寝てるけど」
「あれは寝てるんじゃなくて死んでるんだろ」
うるせぇ。
「2人とも学年違うから授業中とかもわかんないしなー。ねっ、赤司はいねむりとかしないの」
尋ねられた赤司は、きゅ、とネクタイを締めながらゆっくりと葉山を振り返った。
「したことはないな。眠る時は常に布団の中だよ」
「えーっマジで! ゲームしながら寝落ちとかしないの!? オレ毎回コントローラーに頭ぶつけて飛び起きるよ!」
「オレこの前牛丼喰いながら寝てたわ」
「行儀悪いわねもう」
「でも赤司はなんかわかるけどさ、黛さんはふつーにするでしょ、いねむり」
会話に加わりたくないので、よしこんな時こそミスディレクションだ練習にもなって一石二鳥だぜとか思っていたのに、あっさり見破られて内心で舌打ちする。適当に躱そうと口を開きかけた時、実渕がふと口元に指を当てて視線を上げた。
「そういえばこの前、中庭のベンチで黛さんを見かけてね。遠目から見て明らかにいねむりしてるみたいだったから、こっそり近付いて声を掛けようとしたことがあったのよ」
なんだと。いつの間にオネェとの中庭イベントフラグが立ってたんだ。聞いてねぇぞ。
「そしたら5メートルくらい近付いたところでパッて飛び起きたもんだから、アタシ驚いて咄嗟に茂みに隠れちゃったんだけど。警戒心高いのねぇ、なんて感心してたのよね」
「へーーーーー。でも確かに黛さんって、気配に敏感な感じするよね。物音一つで目ぇ覚ましそう」
「眠りめちゃくちゃ浅いタイプじゃねーのか」
「忍者みたいね」
本人前に好き勝手言ってんじゃねぇよ。人をビビリでチキンの小心者(どうしようもない)みたいに言うな。
仏頂面にむっすりと不快感を表していたら、横にいる赤司が口元だけで小さく笑った。
「……ミスディレクションを会得したことにより、意識的にせよ無意識下にせよ、周囲の気配に身体より五感が先に反応してしまうといったことはあるだろう。視線誘導術は、相手に対し神経を張り詰めていなければ成立しない技巧だ。極度の集中力を要するそれが、潜在意識に刷り込まれ癖となり、日常においても発揮されたとして不思議ではないよ」
「ふーーん。よくわっかんないけど、黛さんはもう人前でいねむりできない身体ってこと?」
たかがいねむりで人として何か重大なものを失ったような言い方するな。
赤司は部室のスツールに腰かけ、悠然と足を組んだ。
「そうとも限らない。人の気配に過敏な人間でも、当然例外はある」
「あッ、つまり油断した相手なら黛サンでも」
「心を許した相手には、だよ。小太郎」
なるほどーと声を上げる葉山、征ちゃんたらロマンチストねぇと含み笑う実渕、さらに言葉を重ねようとした根武谷を制してパンと一つ手を叩き、「雑談は以上だ、着替え終わった者から退室するように」と切り上げた赤司は、背中を向けて部誌を開いた。
それぞれが帰る準備を始める中、なんとなく意趣返しの気分で、すまし顔の赤司に声をかける。
「……お前はどうなんだよ」
人のことばっか知ったくち聞きやがって。
「僕かい? 僕はないね」
人を見下すことに慣れている口調が、ペン先を走らせながら軽やかに言い放つ。
「例え赤ん坊の時から知っている執事だろうと、誰かが近くにいれば熟睡もしない。いねむりなんて論外だな」
「寝首でも掻かれるってか」
「お前は僕を鬼だとでも思ってるのかい」
いや、エイリアンだと思ってる。
「誰も信じていないなどと無為なことを言うつもりはないよ。僕の為に、赤司家の為に尽くす、信用に足る者ならいくらでもいる。ただ」
「信用はしても心を許さない、てことかよ」
それとこれとは別問題だと言いたいわけか。言葉尻を掬いとって失笑すると、赤司は動かしていた手を止め、わずかに思案したあと呟いた。
「―――違うな」
ほとんど独り言みたいに。
「心そのものがないんだ、僕は」
背後でそれを聞いていたオレは、うわぁ、と顔面を歪ませた。そろそろ慣れたつもりだが、厨二決めるのもほどほどにしろよまじで。
心が、ないとか。
「……やっぱり鬼じゃねぇか」
げんなりと漏らすと、赤司は流れるような仕草で首を巡らせ、愉快そうな視線をこちらにひたりと当ててきた。
「僕にいねむりをさせられたら、褒美でもやろうか」
「どんな無理ゲーだよ。いらねぇし」
「お前にいねむりをさせられたら、僕が褒美をもらおうかな」
「は? それこそ寝首掻かれそうだろ。ありえない絶対無理」
「寝首なんて掻くものか。お前が起きるまで、僕がそばで見守っていてやろうという話だよ」
「………」
ありがたいだろう? とでも言いたげな表情。今度こそ苦虫を噛み砕き飲み込もうとして失敗した。誰かこいつに笑える冗談を教えてやってくれ。オレは嫌だ。
そんな意味のない会話をいつの間にか耳をそばだてて聞いていた葉山が、パァンと風船が弾けるような声を上げた。
「なーんか赤司と黛サンって、2人だとめっちゃよくしゃべるよねーっ」
は? と思ったあと、オレと赤司はチラ、と視線を交わし合う。
「仲いいの?」
声を揃えて2人同時に断言する。
「いや?」
「いや?」
オレは真顔、赤司は微笑だ。
「でも確かに征ちゃんって、黛さんをおちょくってる時が一番いい顔してると思うわ」
「誰がおちょくられてんだよ」
「黛サンだって、オレたちには今みたいにツッコミする時くらいしかしゃべってくんねーじゃん。でも赤司とは、なんかよくわかんないけどなんかしゃべってるよね。なんか色々!」
「仲いいかは知んねぇけど、気ィ合ってるってことだろ、それ」
「悔しいけどちょっとわかるのよね。征ちゃんと黛さんって、空気感っていうのかしら、なんとなく似てる部分があるわよねぇって思うもの」
「じゃ、もしかしたらさ。赤司も黛サンも、お互いの前でだったらうっかり油断して、一瞬だけいねむりしちゃうとか、あるかもしんないよね、ぐうぐうってさ!」
オレの真顔と赤司の微笑が再びかち合う。
そしてやっぱり同時に目を逸らし、2人同時に断言した。
「それはない」
「それはない」
練習後の部室に聞き慣れた実渕のお小言が響き、オレ、葉山、赤司は何気なくそちらに目をやった。実渕が肩を怒らせて見下ろす先、根武谷が長椅子に寝そべって豪快ないびきをかいている。
「あ~? うるせぇなぁいいだろがよちょっとぐらい」
「よくないわよ。アンタ未だに自分の規格外サイズ自覚してないわけ? ものすごく邪魔なのよ」
「お前オレと大して身長変わんねぇだろ」
「ちょっとォ! アンタみたいな野獣と一緒にしないでちょうだい!」
寄ると触るとケンカばかりしているこいつらだが、それでも気が付けば葉山と共に、常に3人でつるんでいる。
天才は天才同士でしか傷は舐め合えず、共有もできない。『無冠の五将』という(不名誉な)称号を戴いた者同士、ある種の連帯感のようなものが、不揃いなこいつらを繋いでいるんだろう。
「でもレオ姉だって、授業中かっくんかっくん船こいでたことあるよねーっ」
葉山が悪びれなく笑うと、実渕が「ないわよっっ!!」と鬼の形相で食ってかかった。
「小太郎こそ、どこでもかしこでもお腹出して寝てるじゃないの」
「オレ風邪ひかないから大丈夫なんだよね」
「そういうこと言ってるんじゃないわよ、おバカ」
「バカは風邪と無縁でいいよなぁ」
「えー永ちゃんには言われたくないなーっ!」
騒がしくも興味皆無なその会話を無視してオレは着替えを続ける。隣の赤司も黙々と手を動かしているばかりで、この3バカトリオがいなかったらさぞかし淡々とした沈黙が続いていたことだろう。
「そーいや赤司と黛サンはいねむりしてるの見たことないよね」
矛先をこちらに向けた葉山が、瞳孔の開ききったネコ科の目をパチパチと瞬かせて言った。
「当たり前でしょ。征ちゃんがいねむりなんて腑抜けた様子見せるわけないじゃないの。黛さんは休憩中しょっちゅう床で寝てるけど」
「あれは寝てるんじゃなくて死んでるんだろ」
うるせぇ。
「2人とも学年違うから授業中とかもわかんないしなー。ねっ、赤司はいねむりとかしないの」
尋ねられた赤司は、きゅ、とネクタイを締めながらゆっくりと葉山を振り返った。
「したことはないな。眠る時は常に布団の中だよ」
「えーっマジで! ゲームしながら寝落ちとかしないの!? オレ毎回コントローラーに頭ぶつけて飛び起きるよ!」
「オレこの前牛丼喰いながら寝てたわ」
「行儀悪いわねもう」
「でも赤司はなんかわかるけどさ、黛さんはふつーにするでしょ、いねむり」
会話に加わりたくないので、よしこんな時こそミスディレクションだ練習にもなって一石二鳥だぜとか思っていたのに、あっさり見破られて内心で舌打ちする。適当に躱そうと口を開きかけた時、実渕がふと口元に指を当てて視線を上げた。
「そういえばこの前、中庭のベンチで黛さんを見かけてね。遠目から見て明らかにいねむりしてるみたいだったから、こっそり近付いて声を掛けようとしたことがあったのよ」
なんだと。いつの間にオネェとの中庭イベントフラグが立ってたんだ。聞いてねぇぞ。
「そしたら5メートルくらい近付いたところでパッて飛び起きたもんだから、アタシ驚いて咄嗟に茂みに隠れちゃったんだけど。警戒心高いのねぇ、なんて感心してたのよね」
「へーーーーー。でも確かに黛さんって、気配に敏感な感じするよね。物音一つで目ぇ覚ましそう」
「眠りめちゃくちゃ浅いタイプじゃねーのか」
「忍者みたいね」
本人前に好き勝手言ってんじゃねぇよ。人をビビリでチキンの小心者(どうしようもない)みたいに言うな。
仏頂面にむっすりと不快感を表していたら、横にいる赤司が口元だけで小さく笑った。
「……ミスディレクションを会得したことにより、意識的にせよ無意識下にせよ、周囲の気配に身体より五感が先に反応してしまうといったことはあるだろう。視線誘導術は、相手に対し神経を張り詰めていなければ成立しない技巧だ。極度の集中力を要するそれが、潜在意識に刷り込まれ癖となり、日常においても発揮されたとして不思議ではないよ」
「ふーーん。よくわっかんないけど、黛さんはもう人前でいねむりできない身体ってこと?」
たかがいねむりで人として何か重大なものを失ったような言い方するな。
赤司は部室のスツールに腰かけ、悠然と足を組んだ。
「そうとも限らない。人の気配に過敏な人間でも、当然例外はある」
「あッ、つまり油断した相手なら黛サンでも」
「心を許した相手には、だよ。小太郎」
なるほどーと声を上げる葉山、征ちゃんたらロマンチストねぇと含み笑う実渕、さらに言葉を重ねようとした根武谷を制してパンと一つ手を叩き、「雑談は以上だ、着替え終わった者から退室するように」と切り上げた赤司は、背中を向けて部誌を開いた。
それぞれが帰る準備を始める中、なんとなく意趣返しの気分で、すまし顔の赤司に声をかける。
「……お前はどうなんだよ」
人のことばっか知ったくち聞きやがって。
「僕かい? 僕はないね」
人を見下すことに慣れている口調が、ペン先を走らせながら軽やかに言い放つ。
「例え赤ん坊の時から知っている執事だろうと、誰かが近くにいれば熟睡もしない。いねむりなんて論外だな」
「寝首でも掻かれるってか」
「お前は僕を鬼だとでも思ってるのかい」
いや、エイリアンだと思ってる。
「誰も信じていないなどと無為なことを言うつもりはないよ。僕の為に、赤司家の為に尽くす、信用に足る者ならいくらでもいる。ただ」
「信用はしても心を許さない、てことかよ」
それとこれとは別問題だと言いたいわけか。言葉尻を掬いとって失笑すると、赤司は動かしていた手を止め、わずかに思案したあと呟いた。
「―――違うな」
ほとんど独り言みたいに。
「心そのものがないんだ、僕は」
背後でそれを聞いていたオレは、うわぁ、と顔面を歪ませた。そろそろ慣れたつもりだが、厨二決めるのもほどほどにしろよまじで。
心が、ないとか。
「……やっぱり鬼じゃねぇか」
げんなりと漏らすと、赤司は流れるような仕草で首を巡らせ、愉快そうな視線をこちらにひたりと当ててきた。
「僕にいねむりをさせられたら、褒美でもやろうか」
「どんな無理ゲーだよ。いらねぇし」
「お前にいねむりをさせられたら、僕が褒美をもらおうかな」
「は? それこそ寝首掻かれそうだろ。ありえない絶対無理」
「寝首なんて掻くものか。お前が起きるまで、僕がそばで見守っていてやろうという話だよ」
「………」
ありがたいだろう? とでも言いたげな表情。今度こそ苦虫を噛み砕き飲み込もうとして失敗した。誰かこいつに笑える冗談を教えてやってくれ。オレは嫌だ。
そんな意味のない会話をいつの間にか耳をそばだてて聞いていた葉山が、パァンと風船が弾けるような声を上げた。
「なーんか赤司と黛サンって、2人だとめっちゃよくしゃべるよねーっ」
は? と思ったあと、オレと赤司はチラ、と視線を交わし合う。
「仲いいの?」
声を揃えて2人同時に断言する。
「いや?」
「いや?」
オレは真顔、赤司は微笑だ。
「でも確かに征ちゃんって、黛さんをおちょくってる時が一番いい顔してると思うわ」
「誰がおちょくられてんだよ」
「黛サンだって、オレたちには今みたいにツッコミする時くらいしかしゃべってくんねーじゃん。でも赤司とは、なんかよくわかんないけどなんかしゃべってるよね。なんか色々!」
「仲いいかは知んねぇけど、気ィ合ってるってことだろ、それ」
「悔しいけどちょっとわかるのよね。征ちゃんと黛さんって、空気感っていうのかしら、なんとなく似てる部分があるわよねぇって思うもの」
「じゃ、もしかしたらさ。赤司も黛サンも、お互いの前でだったらうっかり油断して、一瞬だけいねむりしちゃうとか、あるかもしんないよね、ぐうぐうってさ!」
オレの真顔と赤司の微笑が再びかち合う。
そしてやっぱり同時に目を逸らし、2人同時に断言した。
「それはない」
「それはない」
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