お前しかいない




ご高説を終えたらしい赤司は、明確な牽制を突きつけるように宣言してオレを睨みつけた。その内心はやはり、オレに隙を見せてしまったという超絶不本意な苛立ちがあるのだろう。
残念だが、どれだけオレを睨んでも、お前がオレの前で無様晒した事実は消えねぇんだよな。ご愁傷様。
「……でもオレは実際お前を好きにできた・・・・・・ぞ。お前が眠ったあと」
「いや、お前はそれをしなかった」
「あえてしなかっただけだ。本気でお前を拘束して、お前が嫌がることならいくらでもできた」
まあ実際は強烈なストレスに負けて爆睡したんだが。それは今は置いておこう。
「オレの性的嗜好が簡単に変わる可能性だってあるし、突然ドSに目覚めるかもしれない。もし今オレが本気を出して、お前の内側とやらに無理やり入りこんだらどうする気だ?」

あとから思えば、この時オレは完全に調子に乗っていた。思い出すのも恥ずかしいくらいノリノリだった。不機嫌にシャーシャーしている赤司がブチ切れてる猫にしか見えなくて、すっかり優位に立った気がしていたのだ。隙を見せたのはオレだったかもしれない。

保健室での仕草をなぞるように、まだ少しだけ体温の高い赤司の手首を掴むと、ピン、と立つ猫耳が見えた。アーモンド型に見開かれる目がオレを凝視する。
「どれだけお前が強キャラだって、本気出せばいくらでもやりようはある。あまり舐められるのも面白くねぇな」
誰もいない昏い廊下で。赤司の弱みを握った気になって。脅すような真似をして。ああ恥ずかしい。
黙ってこちらを見つめていた赤司が、ふいに吹き出すように笑った。
「ふ、……っふふ」
顔を伏せて肩まで震わせている。おかしすぎて耐えきれないといった様子だ。すげえ、赤司の爆笑はじめて見た。お上品な爆笑だな。笑いのツボどうなってんだよ。
「笑うとこじゃねぇぞ」
「笑うさ。だって」
す、と赤司がこちらに近寄ってきた……そう思った時にはすでに至近距離に赤司の顔があり、赤司の瞳がオレの瞳の奥を覗き込んでいた。
「――そんなつもりは微塵もないくせに」
「……」
言葉の意味を一秒遅れで理解した途端、ぐっと鳩尾に力が入った。
「腹が立ったのは図星だからだ」
赤司は人差し指をオレの胸に突き立て、
「お前は僕に介入せず、僕を侵さず、僕から反発する。だから・・・僕はお前を内側に招き入れ、隣に置いて眠ることさえできる。言っただろう千尋――お前しかいない、と」
捕まえているはずの手首が持ち上げられ二人の胸の間に引き寄せられた。
「僕と千尋はつまり、同じ極をもつ二つの磁石だ。僕たちは決して不可分にはならず、常に一定の距離を保ち、それでいて誰よりも互いを熟知している必要がある。勝利を得るために」
瞳の奥の、さらにその奥までを見透かすように、赤と金の目が瞬きもせずにオレを射抜く。
「そしてお前はそれをちゃんと理解している。だから、お前がお前自身に懸念するようなことは起こらない。僕の言うことは絶対だ」
赤司はオレの手を振り払い、オレと目を合わせたままゆっくりと一歩後退した。
「それでもなお、千尋が僕を暴こうとするならば――」
その仕草は野生の獣の対峙を思わせた。不用意に近づけば確実に鋭い一撃を喰らうだろう、皮膚の下に隠された漲るような警戒心。
「……その時は、お前の本気とやらで僕を好きにしてみるがいい。粗雑な暴力、あるいは情熱的な口付けで僕を服従させてみればいい」
そう言って赤司は慎重に、さらにもう一歩、オレから距離を取った。
「その時どうするかは、その時の僕が決める」

先を行く背中をオレはのっそりと追っていた。
綺麗なカウンターからのハメ技で調子に乗ったツケをボコボコに払わされた挙句あらゆる意味で侮られバカにされた気がするんだが、オレの心はすでに凪いでいた。保健室のベッドで覚えたような、瞬間的で爆発的な怒りはもう襲ってこなかった。怒りを覚えるだけの体力が残ってなかったのも事実だが。
お前が何を言ったところで、「まあ赤司だし」。いつ頃からかその一言で思考を停止し、こいつの存在に疑問を抱くのをやめていた。あまりよくない傾向だった。こいつの言う通り、オレたちはちょっとそばにいすぎているのかもしれない。
ひとけのない教室を通りすぎるとき、黒板に貼られた幾つかの丸い磁石が目に入った。
(……磁石は確かに反発し合うが)
だからといって近付きすぎて、何かの拍子でひっくり返ったら最後、取り返しがつかなくなるんじゃないのか?
磁石たちは黒板の隅に寄り集まって、ヒソヒソと密談でもしているようだ。オレは心の中で、そんなことはあり得ないから安心しろと磁石たちに言って聞かせた。
ぼんやりと歩く視界の先に赤司の手が目に入る。まだ熱いのかな、なんて思いながら無意識に左手が伸びて、本当のなんの意味もなくもう一度その手首を握った。
雷に遭遇した猫のように、真っ黒に開かれた瞳孔がオレを振り返った。
オレの頭の片隅で、二つの磁石が、バチンとやけにリアルな音を立ててくっついた気がした。
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