お前しかいない

処置を終えたあと、赤司はしばらく座ったままだった。やがて何かに耐えるように、一瞬だけ眉間に強くしわを寄せてから、ゆっくりと立ち上がった。
さっきより明らかに顔が赤い。
「……熱上がってねぇか」
「問題ない」
問題はあるだろ。
まあわからないでもない。熱とか風邪とか、わかるまではなんかだりぃな~くらいしか思ってないのに、気付いた途端にどっとしんどくなることあるよな。こいつにそんな一般的感覚があるかは不明だが。
解熱剤……と思ったが薬品棚には鍵がかかっているんだった。教師を呼びに行って薬をもらうことはできるが、赤司は薬を飲むことも教師を呼ぶことも嫌がるだろうなと思った。
ふらりと歩き出した足取りが明らかに、怪しい。本人はしっかり歩いてるつもりだから余計にぎごちない動きになってて、なんていうかこう……不安になる。
「おい」
後ろから腕を軽く掴んだだけなのに、赤司の身体は反動で後ろに大きく揺れた。全然身体に力入ってねぇじゃねぇか。これ相当きてるな?
「なんだ」と振り返って睨み上げる、その眼光の頼りなさがあまりにもいつもと違いすぎて目眩がする。まじで顔が赤いし、若干息も荒い。目も充血して潤んでいる。
さすがに問題しかない。この赤司征十郎はこの部屋から出してはいけない。オレ以外の誰にも見せてはいけない。洛山バスケ部員としての、オレの中にあるなけなしの忠義、道義的精神が激しくそう訴えている。ああなんかデジャヴだ。夏にも似たようなことがあった気がする。
赤司はもはや立っているのもキツそうに、額を押さえて俯いた。オレが腕を掴んでなかったら蹲ってたかもしれない。
「ちょっと休んでから行け。先生呼んでくるから薬飲んでからにしろ」
「……必要ない」
「どう見てもフラフラだろうが。絶対一気に熱上がっただろ」
「……うるさいな」
「とりあえず座れ」
「うるさい」
文句を言う語気もバカみたいに弱々しい。椅子に座らせようとしたがベッドの方がいいと気付いて、赤司を引きずって行きベッドに座らせた。
「横になっとけよ」
「……」
赤司は俯いたまま首を横に振った。強情すぎてイラッとする。
「こんなとこで意地張るな。オレしかいないだろうが」
しかもそのお前の醜態を衆人環視に晒さないように気遣ってやってんだよこっちは。
その時、赤司がふとオレを見上げた。目の前にいるのがオレだということに、たった今気づいたような顔で。
「……そうだな」
なにがだよ。
「先生呼んでくるぞ。薬もらうから。いいな?」
「……千尋」
「なんだ」
「ちひろ」
「なんだよ」
呼ばれたので返事をしたが赤司は何も言わない。しばらく待ったが、俯いたまま何も言わない。
一生懸命容態を整えようとしている赤司の、深く長く繰り返される深呼吸の音だけが聞こえている。
やがて赤司はゆっくりとオレを見上げた。微かに笑っているように見えて内心で驚いた。
「薬はいらない。少し寝る」
「……そうしろ」
「10分経ったら起こせ」
「は?」
赤司は靴を脱いで薄い布団に両手足を投げ出すと、はあ、と煮詰まったような息を吐いた。
「10分は寝たうちに入らねぇだろ」
「問題ない」
「さすがに30分くらいは……」
「問題ない。10分だ」
横臥したまま瞳を閉じてこちらを見ようともしない。病人だと思って気を遣ってやってんのにこの野郎。ていうかオレはここで10分手持ち無沙汰かよ。お前なら寝てても計れる完璧な体内時計があるんじゃねぇのか?オレ必要か?
「……千尋」
心の中で文句を言っていたら、赤司が紗がかかったような目でオレを見ていた。「カーテンを」と言われてカーテンの存在を思い出す。熱でダウンしてる姿なんて、生徒はもちろん教師にだって見られたくはないだろう、このプライドの塊は。
言われた通り赤司を残して外側からカーテンを閉めようとすると、また名を呼ばれる。千尋、千尋、普段とは比べ物にならない覇気を失った声で。
「どこへいく……お前はこっちだ」
おまえハコッチダ?
「……なに」
「おまえは、ここに座ればいい」
カーテンの隙間から見える、赤司の投げ出された手が布団をふわふわと叩いている。なんで?
「なんで……?」
「おまえがいたほうが具合がいい」
「具合がいい……?」
「よく眠れる」
よくネムレる……?
おかしいな、赤司の言ってることが全部謎の言語に聞こえる。
うん、これはもう相当熱上がってるな。間違いない。とりあえず中に入ってカーテンを閉めてから、深く考えず赤司のおでこに手を――包帯を巻いてない左の手を滑らせたが、赤司は嫌がりもせずそのままだった。額は少しだけ汗ばんで、熱いのにひんやりして、触ってもよくわからなかった。
すると額にあるオレの手に、赤司の熱のこもった手が触れた。腕を持ち上げるのも億劫そうなのに、やっぱりどうやら微かに笑っている。
「……気持ちいぃ」
夢見心地につぶやいて、警戒心の欠片もない子どもみたいだ。
「ここにいればいいのか?さっさと寝ろよ」
「千尋も」
オレも、なんだ。
「千尋も寝ればいい」
なんでだよ。わけわかんねぇよ。
「寝るのはお前だ。寝ろ」
「お前もだ」
「いいかげんに……っオイ」
病人とは思えない馬鹿力に引っ張られて上半身が赤司に覆いかぶさりそうになり、咄嗟に顔の両脇に手を突いた。焦った顔で見下ろすと、真下で赤司がとろりと濡れた目で笑っている。
「僕の掛け布団になるか?」
「……お前な」
「千尋ならいいよ。僕のふとんに。あるいはシーツに」
「ならない」
「あるいは添い寝をして寝かしつけてくれるか?」
「……」
呆れのあまり苦笑いさえ浮かんだ。こいつは今朦朧としてて、話す言葉に意味なんかない。それでも言っていいことと悪いことはある。自分にその辺の分別があってよかったと心底思う。
やめろ、と苦言を呈すと赤司はゆっくりと瞬きをした。
「お前がそういうことを言うと、人生狂わされる奴が出てくる」
「千尋が?」
「オレじゃない」
オレには分別があるんだ。
「でも、オレ以外に言うな」
「なぜ?」
「だから……」
話の通じなさに呆れて頭を抱える。
赤い顔で、ふにゃふにゃして、へらへらして、まったく。赤司サマともあろうものが、なんて不配慮で不用心で不用意なんだ。
妙な疲れと諦観まじりの惰性で、掴まれた手を逆に掴み返して、上から押さえつけてやった。
「動けねぇだろ。こうやっていくらでも好きにできるんだよ、今のお前なら」
「……」
「変な目に遭いたくなかったら調子悪い時は大人しくしとけって言ってる」
おかしな挑発に対して正しい脅しを返したつもりだが、やっぱり赤司はまるで理解できていないかのようにきょとんと目を見開いている。
「……千尋が?」
「だから、オレはしない」
「してもいいのに」
「しない」
「千尋の人生が狂うところなら見てみたかった」
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