空っぽの恋
*****
渋る赤司を、なだめすかしてオレの部屋まで連れ帰ってきた。
風呂に入れて、オレも風呂入って、あがってからインスタントのコーンスープ作って牛乳入れて冷まして。赤司が飲める温度にしてから、ベッドに座るあいつに渡すと、大人しく受け取って口をつけた。
そばに立ってその様子を無言で眺めるけど、赤司からの反応はありがとうの一言すらもない。というか電車乗ってから今に至るまでオレが声をかけることはあっても会話はしてない。
まだ怒ってんのか。どの辺が落としどころなんだ。決着地点がよくわからない。そもそも仲直りできたのかなんなのかもよくわからねぇんだが。このままフツーに接していいのか。フツーってなんだ。やべぇ混乱してきた。
「……」
オレのTシャツを着た赤司の、少しダボついた身体のラインに、目が吸い寄せられてそわそわする。
「…赤司」
マグの取っ手を持つ赤司の手に指先をそっと這わせた。いやらしくならないように、自然に、自然に…。
「…今日、していいか?」
微かに瞳を見開いた赤司に気付き、即座に手を離しながら付け足す。
「嫌だったらいいけど」
なんだこれクソかっこ悪ぃ。
名前呼ばれるの待つ死刑囚みたいな気持ちで神妙に反応を待っていたが、赤司は一向に動かないし声も出さない。スープから漂う湯気はもう出てなくて、やがて赤司は残りをくいと飲み干すと、マグをテーブルに置いて腕を組み、足を組んだ。
「黛さん」
「なに」
「正座」
「あ、ハイ」
床を指し示され、ですよね、という素直な気持ちで膝を揃えた。ですよね。
「……どのツラ下げて」
「…………」
「という慣用句を知ってますか」
「知ってます」
「厚顔無恥…という熟語は」
「知ってる」
「寡廉鮮恥」
「……は?」
「身の程知らず、恥知らず、分別を弁えない鉄面皮。そういう意味です」
悪かったな。
「この期に及んで貴方が俺に触れる資格があると思うんですか?」
ないような気がするが、あると思いたいから視線の圧力に黙って耐えていると、やがて赤司が小さな声で呟いた。
「………なぜ、ですか」
「…なにが」
「なぜ、貴方と俺の間に、それが必要だと思うんですか」
寂し気な声で悟る。強がってはいるが、やっぱり全然治ってなんかいない。オレが赤司から失った「信用」を取り戻すには、足りないものがまだある。
「…なんでしたいか、って、…下世話な話、まぁ、そりゃ、本能っつーか。きもちーし、っていう…いやそれだけじゃねぇけど。とにかく触りたい。お前に」
「…なぜ?」
「いやだから、なんか安心する、っつーか、精神安定剤っつーか…」
「…精神安定剤」
「コミュニケーションの一つというか…」
「コミュニケーション…」
「な、仲直り的な」
「仲直り」
「なんて言やいいんだよ」
なんでヤリてーのか?うるせぇヤリてーからヤるんだよ。いいかげんアホらしくなって顔を上げると、じっとオレを見据える瞳がやっぱりとても寂しそうで、なんでそんな顔してんだよと思う。オレはここにいるのに。
「…あの時、貴方が同じことを聞いたんじゃないですか。どうしてこんなことしてるんだって。俺がなんて答えたか覚えてないんですか」
ぎゅっとシーツを掴む赤司の指先を見る。
ケンカした日か。あぁ聞いたな。お前みたいな奴がオレなんかに抱かれてることが理解できなくなって、頭おかしいんじゃねぇのって本気で思って。
『好きだから』って言われても、オレ自身を信じられないオレには馬鹿にされてるようにしか聞こえなかった。
赤司はあんなに真剣な瞳で、本当に必要な答えをくれていたのに。
「覚えてるよ、さすがに。…そうだな。まぁ、それが一番シンプルだよな。オレもそうだ」
はぁ、と何か脱力した気分になって、頭をガシガシと掻いた。
「『好きだから』だ。じゃなかったらお前みたいなめんどくさいヤツに絶対手なんか出さねぇよ」
フツーに本音すぎて、ガチ告白したのに全く恥ずかしくない。赤司も若干の不満顔というか、喜ぶに喜べないと言った風で、落ち着きなく目線を泳がし、俯いた。
手を伸ばして触れようとすると、やはり反射的にブルッと首を振って拒否される。滲み出る明らかな怯えに「怖い」と口走っていたことを思い出し、「なにが怖い」と尋ねると、そこからまた長い沈黙のあと、赤司は消え入りそうな声で答えた。
「この部屋で、…貴方が出て行ったこの部屋で、ひとり残されて。俺がどんな気持ちだったかなんてわからないでしょう」
よくわからないセックスをして、冷たい目で見られて、好きだと言ったのに信じてもらえず、怒られて、殴られるかと思った。
他の人間と寝てみろと、尊厳を軽んじられ、最後にはひとり、この部屋に取り残された。
あの時の静寂が、ひとりの夜が、
赤司にとって、どれほど怖かったかなんて…。
「…貴方が何を畏れていても、俺と黛さんが互いを尊重し想いあっていれば、何も問題はないと思っていました。そう、思い込みたかった。貴方が身を削るように苦しんでいたなんて知らなかった。どうすれば貴方の不安を取り除けるのかわからない。『好き』というこの気持ちすら否定されたら、もう俺が貴方にあげられるものは何もないんです」
赤司の手前に膝をつき、俯くその顔を見上げる。
「俺の『好き』を否定されてしまったから、俺はいま、黛さんの『好き』、も、信じられない。嬉しくて、…仕方ない言葉だったのに。貴方は滅多に言わないけど、ひとつひとつ、俺は、全部、覚えている、…ほんと、は、ずっと」
ふいに語尾が震え、赤司は口唇を噛み締めた。
「ずっと、怖かった、て、気付いた。…好きなんて、ことば、…空っぽでも、言える」
「赤司」
「いえるんだ」
悔しさの詰まった透明な涙がすべり落ちる。
「まゆずみさんの『好き』が、からっぽでも、俺は、それでもよかった。嬉しかった。でも、俺の『好き』は空っぽなんかじゃ、ない…っ」
違う、と伝えたくて思わず二の腕を強く掴むと、赤司はオレを睨み、叫ぶように言った。
「千尋が好きだ。ぜんぶ詰まってる。僕の全部が詰まってたんだ」
「ごめん」
「なのに」
咽ぶ声ごと抱きしめる。赤司のこぶしがオレの背中や肩を叩く。
「悪かった」
好きな奴を傷付けて、許される方法なんて全然わからない。これが正解なのかも全然わからない。とにかく必死で、ただ必死で、押し込めていたオレの本音もあっという間に流れ出る。
「オレはお前のことは信じてる。お前が決めたことならそんなもん、逢った時からホントはずっと無条件で信じてんだよ」
「……」
「でも怖いもんは怖いんだよ。お前がどれだけすげぇヤツで、自分がどんだけつまんねぇ人間か、一番わかってんのはオレなんだから。焦って絶望して死にそうになる。突き放した方がラクになれんじゃねぇのって、考える時がある。お前の『好き』を信じてるからこそ、追い詰められる時がある」
他人からの評価なんてどうでもいいと思っていても、こいつとオレを取り巻く世界を客観視した時に、その自信は否応なしに大きく揺らぐ。
いつの間にかオレは、自分とこいつの間に身勝手な距離を感じていた。オレの知る赤司と、世間の知る赤司の差に違和感を覚えて苛立っていた。
どんどん自分が異物のような気がしてきて。自分が卑小な存在に思えてきて。誰もそんなこと言ってないのに。場違いで、身分違いな影の薄い男。赤司の隣を陣取れる価値なんか何もないくせに。なんでお前がそこにいるんだよ。自惚れるな。お前なんかが赤司に手を出して、お前なんかに赤司を独占する権利があるはずないだろ。そうやって自分で自分を追い詰めて。
お前が普通のヤツだったらそんなことなかった。お前が天帝じゃなかったら。赤司が赤司じゃなかったら。バスケの天才として、オレの前に現れなかったらって。
…でもそれならオレとお前は出逢ってなかったって、痛いほどわかってんだよ。
「言ったはずです。貴方が貴方であるなら、俺はどこにも行かないって。黛千尋でなければならないことなんていくらでもあるんだ」
赤司が身体を離し、瞳に光る膜を張ったまま、気の強い表情でオレを見据えた。
「俺が何者でも、貴方は貴方でしょう」
「黛さんが何者でも、俺は俺だ」
そして涙を飲み込むように、オレの胸にこぶしを押し付けて断言した。
「……どうか諦めないでください、俺を。 俺も貴方をあきらめませんから」
おれ達がおれ達でなければ知る必要のなかった障壁が、例えどれだけ目の前に立ち塞がっていようとも。
信じることは、諦めないことだから。
クソ、と思った。抱きしめる腕が一瞬震えた。こいつじゃなかったら。自分が惚れたのがこの気高く強い天帝じゃなかったら、こんな風に言ってくれる奴なんて絶対に逢えなかった、オレは。赤司、お前が、
好きだ。
赤司はこれ以外にオレに渡せるものがないと言った。オレもだ。これ以外に何もない。そう言う意味で、オレたちは「空っぽ」なんだ。
赤司の頬を持ち上げたまらずにキスをしようとしたが、赤司はイヤだと首を振って口唇をもぎ離した。オレにしがみつく腕はほどきもしないくせに、じたばたと暴れる赤司になんだよと問いかけると、猫のような瞳がさらに釣り上がってオレを睨み付ける。
「許してない。離せ」
「は?」
「まだ許してない」
「何が」
「お前僕を殴っただろう。最低だ」
……。
え?
しばらく真剣に考えてしまったが、クソ虫を見るような目で蔑まれてよしいつもの赤司に戻ってきた、とちょっと嬉しいオレは大概末期だ。
「さっき外で!…殴っただろう。僕は何も悪くないのに」
「…………あ、あ~~~~~……あぁ…」
思い出した。殴ったっつーか叩いたっつーか。まぁ確かに最低だったけどお前が何も悪くないってことはないんじゃねぇの、と思いつつ。
「ごめん」
「簡単に言うな!」
「だってそれしかねぇだろ。ごめん。好きだ」
思いきり眉間に皺を寄せた赤司が、次の瞬間に顔を歪ませて真っ赤になる。
「…ッほんとに、最低だなお前は…っ」
叩いた方の頬を撫で、口唇を掠めるが、そう言いながら赤司はもう何ひとつ嫌がらない。
「痛かったか?悪かったな。もう二度とやらねぇよ」
「ウソだ」
「なんで」
「お前なんか」
「なんだよ」
「きらいだ」
「いいよ別に」
「…千尋」
いやだ。ちひろ。
きらいだ。そうかよ。きらいだ。きらい。おれはすきだ
ああだこうだと紆余曲折を経て、オレたちはようやく黙ってキスを交わした。
空っぽじゃない言葉を伝えるのは案外むずかしく、そして意外と簡単なことだった。
***
布団の中でオレの胸に顔を寄せて眠っている赤司に軽く腕を回したまま、オレは空中でスマホを触っていた。
ずっと上を向いてたら腕が疲れてきてゆっくり横向きに態勢を変えると、赤司がぼんやり目を開いていて、しまった、と内心で舌打ちする。寝てていいからと伝えるつもりで頭を撫でて寝かしつけようとしたが、赤司は一度ぐり、と顔を胸に押し付けてから目を瞬かせた。
「…みぶち?」
いや、と答えながら赤司と向き合う形で布団に潜り込む。
「あいつには電車の中であらかた伝えといたから。明日でいいだろ。お前もあとで連絡しとけ」
「うん。……はぃ」
まだ寝ぼけてるな。
「…なにみてたんですか」
「赤司サマで検索」
「アカシサマデケンサク…?」
不審げに呪文みたいに繰り返されてちょっと笑う。
「外で、…あー…けっこうやらかしたからな。あんなんお前ってバレてたらアウトだろと思って」
「…そと…」
「高校バスケ界の王子様が街中で男と泣きながら痴話喧嘩とか、笑えねーわ」
言ってて溜め息が出た。ホントに、マジで、めんどくさいよな。世間様ってのは。
「…そんなに目立っていたかな…」
「いただろ。自覚ねぇのかよ」
うーん、と寝ぼけまなこでぐりぐりしてくる。
「まぁその派手な髪だけは隠したから、最悪ごまかせるだろとは思ってたけどな」
「かみ」
「お前の髪色、判別されやすいにもほどがある」
でも大丈夫だったっぽい、とスマホをベッド下に置きながら息を吐いた。コイツに上着かぶせて赤髪隠したのもそうだし、喧喧囂囂とやり取りしてる間もどこからかスマホ画面を向けられてないか常に周囲に気を張ってた。
今の世の中、ネット上でスクショなり動画なり晒されたら終わりだ。一度世に出たデータを完全になかったことにするのはほぼ不可能、そうなったらもう赤司家にご登場願うしかない。最後に物を言うのは権力である。
「芸能人とまでは言わねぇけどな。…まぁ、お前はそういう奴だから」
「……最近のまゆずみさんがおかしかったのは、それですか?」
布団の中で、赤司がオレの手を握った。
「やきもち?」
「…じゃねぇだろ。文脈読めよ」
「最近すこし、メディアの過熱が行き過ぎて来ているな、とは思ってました」
握られた指先が、冷たい指先に一本一本曲げられたり伸ばされたりするのを好きにさせてる。
「実はすでにキセキの世代、及びその周辺の選手に対する取材や撮影などを規制するよう、各校の監督に掛け合って頂き、了承を得ています。格好の宣伝材料を起用できなくなることに異議を唱える声もありましたが、元々は俺の露出に父がまったくいい顔をしていなかったので…」
「…親父さん出てきたのかよ」
「いえ、少し…教育委員会の方に口添えを」
ご愁傷様です。
「そもそも俺たちは一介の高校生ですからね。バスケ界に貢献できるのは光栄ですが、勉学に影響が出てきては本末転倒ですから」
「…正論だな」
なんとなく、すげぇホッとした。こいつ自身が冷静で良かった。そうだよな。オレの赤司は天才なんだからな。
布団の中でぼんやり見つめ合ってると赤司の方から目尻にチュッとかキスしてくれて、しかも真顔でじーっと見つめてくるだけだし、恥ずかしいっつーかなんつーか、ほんとコイツ美人だな、可愛いな、なんでオレにセックスとかさせてくれんのかやっぱり全然わかんねぇけど、それってめちゃくちゃ幸せなことなんだよな、ていうかこんないきものがオレのとか最高に優越感だよな、と急激にしみじみとした実感が湧いてきた。
いっぱい触らせてくれるし、大体何しても許してくれるし、どんな声も聞かせてくれるし、それも含めてお前にとってオレとのそういう行為の全てが「好き」を伝えるコミュニケーションなら、もうそれでいいか、と思う。
空っぽになるまで振り絞って伝えても、信じてもらえないならそりゃ傷付くよな。
障害が多いから。男と女じゃないから。だからこそなんでオレじゃなきゃ、コイツじゃなきゃいけないのか、そんなもん理屈こねて箇条書きにしたって意味はないんだろう。
カッコ悪くてもなりふり構わず、必死になって伝えるしかないんだろう。赤司征十郎を捕まえておくのに、出し惜しみなんか許されるはずがない。
ごめんな、と小さな声で呟くと、赤司は大きな目でオレをただじっと見つめ続けた。クッソかわいい。なぁオレ、お前のその目が死ぬほど好きなんだよ。なんでも見透かして余裕ぶって、でもほんとはいつも不安定に揺れている、捨て猫みたいな、オレだけに向けられる天帝の目が。
首を伸ばしてキスしてやったら、睫毛さえ触れ合う距離で赤司が幸せそうに笑った。
あー。
やっと笑いやがった。
諦めないで、よかった。
色んな意味ですべてを出し切り空っぽの今のオレの中には、やっぱり「好きだ」という言葉しか残ってなくて。
半ば惰性でそれを告げると「軽い」と怒られ、その顔もそれはそれでまた、好きだな、と思うオレなのだった。
渋る赤司を、なだめすかしてオレの部屋まで連れ帰ってきた。
風呂に入れて、オレも風呂入って、あがってからインスタントのコーンスープ作って牛乳入れて冷まして。赤司が飲める温度にしてから、ベッドに座るあいつに渡すと、大人しく受け取って口をつけた。
そばに立ってその様子を無言で眺めるけど、赤司からの反応はありがとうの一言すらもない。というか電車乗ってから今に至るまでオレが声をかけることはあっても会話はしてない。
まだ怒ってんのか。どの辺が落としどころなんだ。決着地点がよくわからない。そもそも仲直りできたのかなんなのかもよくわからねぇんだが。このままフツーに接していいのか。フツーってなんだ。やべぇ混乱してきた。
「……」
オレのTシャツを着た赤司の、少しダボついた身体のラインに、目が吸い寄せられてそわそわする。
「…赤司」
マグの取っ手を持つ赤司の手に指先をそっと這わせた。いやらしくならないように、自然に、自然に…。
「…今日、していいか?」
微かに瞳を見開いた赤司に気付き、即座に手を離しながら付け足す。
「嫌だったらいいけど」
なんだこれクソかっこ悪ぃ。
名前呼ばれるの待つ死刑囚みたいな気持ちで神妙に反応を待っていたが、赤司は一向に動かないし声も出さない。スープから漂う湯気はもう出てなくて、やがて赤司は残りをくいと飲み干すと、マグをテーブルに置いて腕を組み、足を組んだ。
「黛さん」
「なに」
「正座」
「あ、ハイ」
床を指し示され、ですよね、という素直な気持ちで膝を揃えた。ですよね。
「……どのツラ下げて」
「…………」
「という慣用句を知ってますか」
「知ってます」
「厚顔無恥…という熟語は」
「知ってる」
「寡廉鮮恥」
「……は?」
「身の程知らず、恥知らず、分別を弁えない鉄面皮。そういう意味です」
悪かったな。
「この期に及んで貴方が俺に触れる資格があると思うんですか?」
ないような気がするが、あると思いたいから視線の圧力に黙って耐えていると、やがて赤司が小さな声で呟いた。
「………なぜ、ですか」
「…なにが」
「なぜ、貴方と俺の間に、それが必要だと思うんですか」
寂し気な声で悟る。強がってはいるが、やっぱり全然治ってなんかいない。オレが赤司から失った「信用」を取り戻すには、足りないものがまだある。
「…なんでしたいか、って、…下世話な話、まぁ、そりゃ、本能っつーか。きもちーし、っていう…いやそれだけじゃねぇけど。とにかく触りたい。お前に」
「…なぜ?」
「いやだから、なんか安心する、っつーか、精神安定剤っつーか…」
「…精神安定剤」
「コミュニケーションの一つというか…」
「コミュニケーション…」
「な、仲直り的な」
「仲直り」
「なんて言やいいんだよ」
なんでヤリてーのか?うるせぇヤリてーからヤるんだよ。いいかげんアホらしくなって顔を上げると、じっとオレを見据える瞳がやっぱりとても寂しそうで、なんでそんな顔してんだよと思う。オレはここにいるのに。
「…あの時、貴方が同じことを聞いたんじゃないですか。どうしてこんなことしてるんだって。俺がなんて答えたか覚えてないんですか」
ぎゅっとシーツを掴む赤司の指先を見る。
ケンカした日か。あぁ聞いたな。お前みたいな奴がオレなんかに抱かれてることが理解できなくなって、頭おかしいんじゃねぇのって本気で思って。
『好きだから』って言われても、オレ自身を信じられないオレには馬鹿にされてるようにしか聞こえなかった。
赤司はあんなに真剣な瞳で、本当に必要な答えをくれていたのに。
「覚えてるよ、さすがに。…そうだな。まぁ、それが一番シンプルだよな。オレもそうだ」
はぁ、と何か脱力した気分になって、頭をガシガシと掻いた。
「『好きだから』だ。じゃなかったらお前みたいなめんどくさいヤツに絶対手なんか出さねぇよ」
フツーに本音すぎて、ガチ告白したのに全く恥ずかしくない。赤司も若干の不満顔というか、喜ぶに喜べないと言った風で、落ち着きなく目線を泳がし、俯いた。
手を伸ばして触れようとすると、やはり反射的にブルッと首を振って拒否される。滲み出る明らかな怯えに「怖い」と口走っていたことを思い出し、「なにが怖い」と尋ねると、そこからまた長い沈黙のあと、赤司は消え入りそうな声で答えた。
「この部屋で、…貴方が出て行ったこの部屋で、ひとり残されて。俺がどんな気持ちだったかなんてわからないでしょう」
よくわからないセックスをして、冷たい目で見られて、好きだと言ったのに信じてもらえず、怒られて、殴られるかと思った。
他の人間と寝てみろと、尊厳を軽んじられ、最後にはひとり、この部屋に取り残された。
あの時の静寂が、ひとりの夜が、
赤司にとって、どれほど怖かったかなんて…。
「…貴方が何を畏れていても、俺と黛さんが互いを尊重し想いあっていれば、何も問題はないと思っていました。そう、思い込みたかった。貴方が身を削るように苦しんでいたなんて知らなかった。どうすれば貴方の不安を取り除けるのかわからない。『好き』というこの気持ちすら否定されたら、もう俺が貴方にあげられるものは何もないんです」
赤司の手前に膝をつき、俯くその顔を見上げる。
「俺の『好き』を否定されてしまったから、俺はいま、黛さんの『好き』、も、信じられない。嬉しくて、…仕方ない言葉だったのに。貴方は滅多に言わないけど、ひとつひとつ、俺は、全部、覚えている、…ほんと、は、ずっと」
ふいに語尾が震え、赤司は口唇を噛み締めた。
「ずっと、怖かった、て、気付いた。…好きなんて、ことば、…空っぽでも、言える」
「赤司」
「いえるんだ」
悔しさの詰まった透明な涙がすべり落ちる。
「まゆずみさんの『好き』が、からっぽでも、俺は、それでもよかった。嬉しかった。でも、俺の『好き』は空っぽなんかじゃ、ない…っ」
違う、と伝えたくて思わず二の腕を強く掴むと、赤司はオレを睨み、叫ぶように言った。
「千尋が好きだ。ぜんぶ詰まってる。僕の全部が詰まってたんだ」
「ごめん」
「なのに」
咽ぶ声ごと抱きしめる。赤司のこぶしがオレの背中や肩を叩く。
「悪かった」
好きな奴を傷付けて、許される方法なんて全然わからない。これが正解なのかも全然わからない。とにかく必死で、ただ必死で、押し込めていたオレの本音もあっという間に流れ出る。
「オレはお前のことは信じてる。お前が決めたことならそんなもん、逢った時からホントはずっと無条件で信じてんだよ」
「……」
「でも怖いもんは怖いんだよ。お前がどれだけすげぇヤツで、自分がどんだけつまんねぇ人間か、一番わかってんのはオレなんだから。焦って絶望して死にそうになる。突き放した方がラクになれんじゃねぇのって、考える時がある。お前の『好き』を信じてるからこそ、追い詰められる時がある」
他人からの評価なんてどうでもいいと思っていても、こいつとオレを取り巻く世界を客観視した時に、その自信は否応なしに大きく揺らぐ。
いつの間にかオレは、自分とこいつの間に身勝手な距離を感じていた。オレの知る赤司と、世間の知る赤司の差に違和感を覚えて苛立っていた。
どんどん自分が異物のような気がしてきて。自分が卑小な存在に思えてきて。誰もそんなこと言ってないのに。場違いで、身分違いな影の薄い男。赤司の隣を陣取れる価値なんか何もないくせに。なんでお前がそこにいるんだよ。自惚れるな。お前なんかが赤司に手を出して、お前なんかに赤司を独占する権利があるはずないだろ。そうやって自分で自分を追い詰めて。
お前が普通のヤツだったらそんなことなかった。お前が天帝じゃなかったら。赤司が赤司じゃなかったら。バスケの天才として、オレの前に現れなかったらって。
…でもそれならオレとお前は出逢ってなかったって、痛いほどわかってんだよ。
「言ったはずです。貴方が貴方であるなら、俺はどこにも行かないって。黛千尋でなければならないことなんていくらでもあるんだ」
赤司が身体を離し、瞳に光る膜を張ったまま、気の強い表情でオレを見据えた。
「俺が何者でも、貴方は貴方でしょう」
「黛さんが何者でも、俺は俺だ」
そして涙を飲み込むように、オレの胸にこぶしを押し付けて断言した。
「……どうか諦めないでください、俺を。 俺も貴方をあきらめませんから」
おれ達がおれ達でなければ知る必要のなかった障壁が、例えどれだけ目の前に立ち塞がっていようとも。
信じることは、諦めないことだから。
クソ、と思った。抱きしめる腕が一瞬震えた。こいつじゃなかったら。自分が惚れたのがこの気高く強い天帝じゃなかったら、こんな風に言ってくれる奴なんて絶対に逢えなかった、オレは。赤司、お前が、
好きだ。
赤司はこれ以外にオレに渡せるものがないと言った。オレもだ。これ以外に何もない。そう言う意味で、オレたちは「空っぽ」なんだ。
赤司の頬を持ち上げたまらずにキスをしようとしたが、赤司はイヤだと首を振って口唇をもぎ離した。オレにしがみつく腕はほどきもしないくせに、じたばたと暴れる赤司になんだよと問いかけると、猫のような瞳がさらに釣り上がってオレを睨み付ける。
「許してない。離せ」
「は?」
「まだ許してない」
「何が」
「お前僕を殴っただろう。最低だ」
……。
え?
しばらく真剣に考えてしまったが、クソ虫を見るような目で蔑まれてよしいつもの赤司に戻ってきた、とちょっと嬉しいオレは大概末期だ。
「さっき外で!…殴っただろう。僕は何も悪くないのに」
「…………あ、あ~~~~~……あぁ…」
思い出した。殴ったっつーか叩いたっつーか。まぁ確かに最低だったけどお前が何も悪くないってことはないんじゃねぇの、と思いつつ。
「ごめん」
「簡単に言うな!」
「だってそれしかねぇだろ。ごめん。好きだ」
思いきり眉間に皺を寄せた赤司が、次の瞬間に顔を歪ませて真っ赤になる。
「…ッほんとに、最低だなお前は…っ」
叩いた方の頬を撫で、口唇を掠めるが、そう言いながら赤司はもう何ひとつ嫌がらない。
「痛かったか?悪かったな。もう二度とやらねぇよ」
「ウソだ」
「なんで」
「お前なんか」
「なんだよ」
「きらいだ」
「いいよ別に」
「…千尋」
いやだ。ちひろ。
きらいだ。そうかよ。きらいだ。きらい。おれはすきだ
ああだこうだと紆余曲折を経て、オレたちはようやく黙ってキスを交わした。
空っぽじゃない言葉を伝えるのは案外むずかしく、そして意外と簡単なことだった。
***
布団の中でオレの胸に顔を寄せて眠っている赤司に軽く腕を回したまま、オレは空中でスマホを触っていた。
ずっと上を向いてたら腕が疲れてきてゆっくり横向きに態勢を変えると、赤司がぼんやり目を開いていて、しまった、と内心で舌打ちする。寝てていいからと伝えるつもりで頭を撫でて寝かしつけようとしたが、赤司は一度ぐり、と顔を胸に押し付けてから目を瞬かせた。
「…みぶち?」
いや、と答えながら赤司と向き合う形で布団に潜り込む。
「あいつには電車の中であらかた伝えといたから。明日でいいだろ。お前もあとで連絡しとけ」
「うん。……はぃ」
まだ寝ぼけてるな。
「…なにみてたんですか」
「赤司サマで検索」
「アカシサマデケンサク…?」
不審げに呪文みたいに繰り返されてちょっと笑う。
「外で、…あー…けっこうやらかしたからな。あんなんお前ってバレてたらアウトだろと思って」
「…そと…」
「高校バスケ界の王子様が街中で男と泣きながら痴話喧嘩とか、笑えねーわ」
言ってて溜め息が出た。ホントに、マジで、めんどくさいよな。世間様ってのは。
「…そんなに目立っていたかな…」
「いただろ。自覚ねぇのかよ」
うーん、と寝ぼけまなこでぐりぐりしてくる。
「まぁその派手な髪だけは隠したから、最悪ごまかせるだろとは思ってたけどな」
「かみ」
「お前の髪色、判別されやすいにもほどがある」
でも大丈夫だったっぽい、とスマホをベッド下に置きながら息を吐いた。コイツに上着かぶせて赤髪隠したのもそうだし、喧喧囂囂とやり取りしてる間もどこからかスマホ画面を向けられてないか常に周囲に気を張ってた。
今の世の中、ネット上でスクショなり動画なり晒されたら終わりだ。一度世に出たデータを完全になかったことにするのはほぼ不可能、そうなったらもう赤司家にご登場願うしかない。最後に物を言うのは権力である。
「芸能人とまでは言わねぇけどな。…まぁ、お前はそういう奴だから」
「……最近のまゆずみさんがおかしかったのは、それですか?」
布団の中で、赤司がオレの手を握った。
「やきもち?」
「…じゃねぇだろ。文脈読めよ」
「最近すこし、メディアの過熱が行き過ぎて来ているな、とは思ってました」
握られた指先が、冷たい指先に一本一本曲げられたり伸ばされたりするのを好きにさせてる。
「実はすでにキセキの世代、及びその周辺の選手に対する取材や撮影などを規制するよう、各校の監督に掛け合って頂き、了承を得ています。格好の宣伝材料を起用できなくなることに異議を唱える声もありましたが、元々は俺の露出に父がまったくいい顔をしていなかったので…」
「…親父さん出てきたのかよ」
「いえ、少し…教育委員会の方に口添えを」
ご愁傷様です。
「そもそも俺たちは一介の高校生ですからね。バスケ界に貢献できるのは光栄ですが、勉学に影響が出てきては本末転倒ですから」
「…正論だな」
なんとなく、すげぇホッとした。こいつ自身が冷静で良かった。そうだよな。オレの赤司は天才なんだからな。
布団の中でぼんやり見つめ合ってると赤司の方から目尻にチュッとかキスしてくれて、しかも真顔でじーっと見つめてくるだけだし、恥ずかしいっつーかなんつーか、ほんとコイツ美人だな、可愛いな、なんでオレにセックスとかさせてくれんのかやっぱり全然わかんねぇけど、それってめちゃくちゃ幸せなことなんだよな、ていうかこんないきものがオレのとか最高に優越感だよな、と急激にしみじみとした実感が湧いてきた。
いっぱい触らせてくれるし、大体何しても許してくれるし、どんな声も聞かせてくれるし、それも含めてお前にとってオレとのそういう行為の全てが「好き」を伝えるコミュニケーションなら、もうそれでいいか、と思う。
空っぽになるまで振り絞って伝えても、信じてもらえないならそりゃ傷付くよな。
障害が多いから。男と女じゃないから。だからこそなんでオレじゃなきゃ、コイツじゃなきゃいけないのか、そんなもん理屈こねて箇条書きにしたって意味はないんだろう。
カッコ悪くてもなりふり構わず、必死になって伝えるしかないんだろう。赤司征十郎を捕まえておくのに、出し惜しみなんか許されるはずがない。
ごめんな、と小さな声で呟くと、赤司は大きな目でオレをただじっと見つめ続けた。クッソかわいい。なぁオレ、お前のその目が死ぬほど好きなんだよ。なんでも見透かして余裕ぶって、でもほんとはいつも不安定に揺れている、捨て猫みたいな、オレだけに向けられる天帝の目が。
首を伸ばしてキスしてやったら、睫毛さえ触れ合う距離で赤司が幸せそうに笑った。
あー。
やっと笑いやがった。
諦めないで、よかった。
色んな意味ですべてを出し切り空っぽの今のオレの中には、やっぱり「好きだ」という言葉しか残ってなくて。
半ば惰性でそれを告げると「軽い」と怒られ、その顔もそれはそれでまた、好きだな、と思うオレなのだった。
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