空っぽの恋
*****
外はぽつぽつと小雨が降り出し、徐々に強くなりそうな様相を見せていた。
指定された駅に降り件の場所に辿り着いて素早く辺りを確認すると、あの目立つ赤髪は秒で見つかり勢いそのままに駆け寄る。
「――――赤司!」
どうせオレが現れた時から気付いてただろうに、チラと視線だけ寄こしてまたあさっての方向を見つめている。思わず舌打ちした。クソガキ。
真っ先に腕を掴んで捕まえたが、逃げるそぶりも見せずに赤司は相変わらずオレの剣幕なんかどこ吹く風だ。
「お前な…っ」
「雨、強くなってきましたね。傘を忘れてしまったんですが、黛さん持ってらっしゃいますか?もしくは買ってきてくださるとありがたいんですが。俺はまだもう少しここにいますので」
瞬間的に、皮膚の表面をザワッと不快でしかない感覚が通りすぎた。上着を脱いで赤司の頭から思い切りかぶせ、腕を引っ張る。
「…帰るぞ」
「ずいぶん待っているんですが、なかなか声をかけられないものですね。いっそのこと俺からお願いした方がいいんだろうか。はじめてのことなのでさすがに勝手がわかりません」
「もういい。わかったから帰るぞ」
「帰りません」
「帰るんだよ」
力任せに腕を引く。不愉快そうに眉をひそめ、嫌悪に濁った赤い瞳がオレを見上げた。
「……勝手な人ですね。貴方の言う通りに しているのに」
パシ、と乾いた音が籠って自分でハッとした。咄嗟に赤司の頬を叩いていた。大した力じゃない。だがこの期に及んでオレがコイツに手を挙げるとか、最低も極まるなと心のどこかで自分が自分にドン引きしている。たまに傘を差した通行人が通りすがりにオレたちを見ていく。俯いた赤司の肩が雨で濡れていく。
『いま、ナンパ待ちというものをしてるんだ』
電話口でさらりと告げられたその一言に、実渕の時が止まった。
『ゆきずりの人間と関係を持とうと思ってね。場所?…男の俺でも需要がありそうな場所を検索して、適当なところに来てみたよ。黛さんにもそう伝えておいてくれ。「上手くいくように頑張ります」、って』
仰天した実渕がなんとか無理くり居場所を聞き出しオレが猛ダッシュでここまで駆け付けたわけだが…。
まぁ、つまり、要するに、そういうことだ。
「他の男とヤってみろ」。オレの蒔いた種だ。オレの失言を挑発と受け取る形で実行してみせ、赤司はわざわざそれを実渕に伝え、暗にオレをここまで呼びつけた。オレと実渕が電話することも、その時間も、最終的に実渕が自分に連絡してくることも、全部お見通しだったんだろう。
何やってんだよ。呆れも大きいがとにかく不愉快な気持ちがほとんどだった。一刻も早くこの場所から赤司を引き離したくて苛立つ。電車の中で調べたが確かにここは「そういう」場所らしい。『男の俺でも需要がありそうな』、…赤司が言ったという台詞が脳裏に蘇り強く奥歯を噛み締める。ホント何やってんだこいつ。信じられねぇ。
こんな。
こんな絵に描いたような自暴自棄、陥るヤツだったかよ。
頬を叩いたあと、赤司は糸が切れたように俯いたまま動かなくなった。
帰るぞ。低く呟いて引き摺るように再度腕を引っ張ると、赤司の足がたたらを踏んだ。唐突に力の抜けた、不自然なよろめき方で。
「どこにですか」
「は?」
イライラとしながら振り向くが、俯く赤司の顔は見えない。
「行きたくないです」
「いいから来い」
「貴方の部屋が怖い」
思わず動きが止まる。
「……なんもしねぇよ。風邪ひくだろうが。とりあえず来い」
「いやです」
「わかったから。あとで全部」
「いやです」
握りしめられた拳がバシ、とオレを拒んだ。
雨が、どんどん赤司を濡らしていく。傷付けたのは心なのに、視界に入る赤司はその姿かたちもボロボロに傷付いているように見えた。
そうだった。こいつは傷付いてる。あまりにも突拍子のないことするから頭から抜けてた。傷付けたのはオレだ。
…見知らぬ男とどうにかなろうとするだなんて、どんな奇行だよ。自分を見失ってるにしてもほどがあるだろ。そんな下卑た真似を、輩を、己の身に許す奴か?赤司征十郎が?あり得ない。通常であれば、だ。
傷付いて、揺らいで、どうすればいいのかわからなくなって、だったらもうオレ の言う通りにしてやればいいと、思った瞬間行動に移っていたんだろう。最悪な迅速果断だ。
…考えたくないが、もしオレが現れる前に変な男に引っかかってたら、多分こいつは何も考えずに状況に流されていたんじゃないのか。『何も考えずに』なんて、本来の赤司から最も遠い思考経路だ。
心の安定を失って、正常な判断能力を見失い、思考を停止して闇雲に逃げ出すほどに、こいつは。
「……また、…お前を傷付けるつもりなら、わざわざここまで来てねぇよ。虫のいい話だってのは分かってる。赤司」
「いやだ」
「何が」
「こわい」
「何が」
「もうあんなこと言われたくない」
張り詰めた声に全部を悟った。大丈夫だから、と触れようとすると声にならない声で思い切り跳ね除けられた。
「どうしてあんなこと」
バツン、と張り詰めていた何かが大きな音を立てて千切れた音を聞いた。赤司のそばにいると時々聞こえる、赤司の内側にある振り子のような心の針の音。大きく撓んで、歪んで、引き攣れて、限界を越えた瞬間にぶっ壊れる。こいつだって人並みにぶっ壊れる。傷付いて、泣いて、怖がる。限界を越えればダメになる。当たり前に。
「ごめん」
「貴方は俺が」
「ごめん」
「あなたは」
赤司は片手で両目を隠して俯いた。雨にまぎれる赤司の涙。誰も知らない赤司の
こんな赤司はオレだけが知っていればいいことで、
「僕が」
「ごめん赤司」
世間の知る、神様みたいな、
完璧超人な赤司なんて
抱きしめてやりたかった。が、ここは外だ、という意識がかろうじて指先を留まらせ、オレは片方の手で赤司の冷えきった手首を臆病に掴んだ。
「オレが悪かった、から。こういうとこ来んな。頼む」
「………」
「……電車の中で死にそうだった」
したくもない想像が浮かんで浮かんで、どれだけ舌打ちしてもふり払えなかった。
オレの赤司が『オレ以外の男と』
「……もし俺が、貴方のいないところで、知らない人と身体を交えていたら、黛さんは俺と別れましたか」
瞬間的に頭に昇った血を眉間に皺を寄せて耐えた。やめろお前の口からそういうことを言うな。
「…別れるかよ」
何か言おうと口を開いた赤司を遮り、掴んだ手首を強く握る。
「二度と逃がすか」
もし本当にそんなことになったら。
罪悪感なんか沸く前に捕まえて閉じ込めて誰にも一生見せない。
野次馬みたいに寄ってくる世間の目から一生こいつを隠して、守って、独占して
「だったらそうすればよかった」
また弾けるように赤司が叫んだ。
「黛さんに捕まえておいてもらえるなら誰かと寝ればよかった」
「やめろ」
「貴方が何を考えてるかわからない」
前髪から伝い落ちた雫が赤司の頬に落ちる。
「貴方が別れたいと言うなら俺に逆らう術はない。俺は貴方が好きだけど、いやだって、行かないでって、追い縋るような真似は俺にはできないのに。貴方は別れる気はないって言う。だったら何が怖いんですか。そんなに怯えて、俺が他の男と」
「――――いつでも気付けるだろお前なら!」
一瞬だった。弾けた破片で飛び火した赤司の傷がドッとオレにも流れ込み、熱い痛みを覚えた瞬間感情が爆発した。
「さっさと目覚ませるだろ、いつだって!なぁ、ただの依存なんだろ。お前オレのこと魔法使いだとか言ったけど、ただの刷り込みが魔法なわけあるかよ。お前がいつ気付くか、我に返るか、お前みたいな奴がいつ、世間に連れて行かれるか、お前にはわかんねぇんだろ。オレが何がそんなに怖いのか」
「……」
「魔法なんて解けりゃ終わりだろうが。他の男を知らないから、オレじゃないとダメだと思い込んでるんじゃないかって。こんなどこにでもいる平凡な男にお前が執着する価値があるわけねぇんだよ。なんで許してんだ。たまたまそこにいただけのオレなんかに」
「まゆずみさん」
「…オレなんかにいつまでも逃げてんじゃねぇよ」
捨てりゃいいんだとか潮時だとか、自分を都合よく悲劇に主人公にするセリフばかりが浮かんできて反吐が出る。そうだ、オレが怖かったのはこんなにも惨めな劣等感。オレが逆立ちしても敵わないオレより地位も権力も才能もある立派な立派な誰かに赤司を奪われたくない。赤司を渡したくない。でもオレはオレでしかないから。
オレはお前の影でしかあれないから。
「…貴方はこの俺が、ただの気の迷いや勘違いを他者への好意と履き違えると思ってるんですか」
静かな怒りを湛えた瞳がオレを見上げる。
「この俺が。赤司征十郎が。好いてもいない人間に何事をも許すと思ってるのか」
咄嗟に口を開き、何も言い返せずに噤んだ。思ってない。オレは…
「逃げてる、だと」
赤司がオレの胸ぐらをつかみ上げ、怒りと屈辱に染まった瞳で声を張り上げた。
「次にそんなことを言ったら本当に別れるぞ」
「いやだ」
「だったらもっと俺を信じてください!」
違う。
オレは、お前のことは信じてる。
オレが信じられないのはお前じゃなくて、[[rb:黛千尋 >オレ]]だ。
「俺はどこにも行きません」
大きな雫が赤司の瞳の淵に溜まり、瞬きと共に白い頬をすべり落ちた。
「貴方が貴方である限り」
外はぽつぽつと小雨が降り出し、徐々に強くなりそうな様相を見せていた。
指定された駅に降り件の場所に辿り着いて素早く辺りを確認すると、あの目立つ赤髪は秒で見つかり勢いそのままに駆け寄る。
「――――赤司!」
どうせオレが現れた時から気付いてただろうに、チラと視線だけ寄こしてまたあさっての方向を見つめている。思わず舌打ちした。クソガキ。
真っ先に腕を掴んで捕まえたが、逃げるそぶりも見せずに赤司は相変わらずオレの剣幕なんかどこ吹く風だ。
「お前な…っ」
「雨、強くなってきましたね。傘を忘れてしまったんですが、黛さん持ってらっしゃいますか?もしくは買ってきてくださるとありがたいんですが。俺はまだもう少しここにいますので」
瞬間的に、皮膚の表面をザワッと不快でしかない感覚が通りすぎた。上着を脱いで赤司の頭から思い切りかぶせ、腕を引っ張る。
「…帰るぞ」
「ずいぶん待っているんですが、なかなか声をかけられないものですね。いっそのこと俺からお願いした方がいいんだろうか。はじめてのことなのでさすがに勝手がわかりません」
「もういい。わかったから帰るぞ」
「帰りません」
「帰るんだよ」
力任せに腕を引く。不愉快そうに眉をひそめ、嫌悪に濁った赤い瞳がオレを見上げた。
「……勝手な人ですね。
パシ、と乾いた音が籠って自分でハッとした。咄嗟に赤司の頬を叩いていた。大した力じゃない。だがこの期に及んでオレがコイツに手を挙げるとか、最低も極まるなと心のどこかで自分が自分にドン引きしている。たまに傘を差した通行人が通りすがりにオレたちを見ていく。俯いた赤司の肩が雨で濡れていく。
『いま、ナンパ待ちというものをしてるんだ』
電話口でさらりと告げられたその一言に、実渕の時が止まった。
『ゆきずりの人間と関係を持とうと思ってね。場所?…男の俺でも需要がありそうな場所を検索して、適当なところに来てみたよ。黛さんにもそう伝えておいてくれ。「上手くいくように頑張ります」、って』
仰天した実渕がなんとか無理くり居場所を聞き出しオレが猛ダッシュでここまで駆け付けたわけだが…。
まぁ、つまり、要するに、そういうことだ。
「他の男とヤってみろ」。オレの蒔いた種だ。オレの失言を挑発と受け取る形で実行してみせ、赤司はわざわざそれを実渕に伝え、暗にオレをここまで呼びつけた。オレと実渕が電話することも、その時間も、最終的に実渕が自分に連絡してくることも、全部お見通しだったんだろう。
何やってんだよ。呆れも大きいがとにかく不愉快な気持ちがほとんどだった。一刻も早くこの場所から赤司を引き離したくて苛立つ。電車の中で調べたが確かにここは「そういう」場所らしい。『男の俺でも需要がありそうな』、…赤司が言ったという台詞が脳裏に蘇り強く奥歯を噛み締める。ホント何やってんだこいつ。信じられねぇ。
こんな。
こんな絵に描いたような自暴自棄、陥るヤツだったかよ。
頬を叩いたあと、赤司は糸が切れたように俯いたまま動かなくなった。
帰るぞ。低く呟いて引き摺るように再度腕を引っ張ると、赤司の足がたたらを踏んだ。唐突に力の抜けた、不自然なよろめき方で。
「どこにですか」
「は?」
イライラとしながら振り向くが、俯く赤司の顔は見えない。
「行きたくないです」
「いいから来い」
「貴方の部屋が怖い」
思わず動きが止まる。
「……なんもしねぇよ。風邪ひくだろうが。とりあえず来い」
「いやです」
「わかったから。あとで全部」
「いやです」
握りしめられた拳がバシ、とオレを拒んだ。
雨が、どんどん赤司を濡らしていく。傷付けたのは心なのに、視界に入る赤司はその姿かたちもボロボロに傷付いているように見えた。
そうだった。こいつは傷付いてる。あまりにも突拍子のないことするから頭から抜けてた。傷付けたのはオレだ。
…見知らぬ男とどうにかなろうとするだなんて、どんな奇行だよ。自分を見失ってるにしてもほどがあるだろ。そんな下卑た真似を、輩を、己の身に許す奴か?赤司征十郎が?あり得ない。通常であれば、だ。
傷付いて、揺らいで、どうすればいいのかわからなくなって、だったらもう
…考えたくないが、もしオレが現れる前に変な男に引っかかってたら、多分こいつは何も考えずに状況に流されていたんじゃないのか。『何も考えずに』なんて、本来の赤司から最も遠い思考経路だ。
心の安定を失って、正常な判断能力を見失い、思考を停止して闇雲に逃げ出すほどに、こいつは。
「……また、…お前を傷付けるつもりなら、わざわざここまで来てねぇよ。虫のいい話だってのは分かってる。赤司」
「いやだ」
「何が」
「こわい」
「何が」
「もうあんなこと言われたくない」
張り詰めた声に全部を悟った。大丈夫だから、と触れようとすると声にならない声で思い切り跳ね除けられた。
「どうしてあんなこと」
バツン、と張り詰めていた何かが大きな音を立てて千切れた音を聞いた。赤司のそばにいると時々聞こえる、赤司の内側にある振り子のような心の針の音。大きく撓んで、歪んで、引き攣れて、限界を越えた瞬間にぶっ壊れる。こいつだって人並みにぶっ壊れる。傷付いて、泣いて、怖がる。限界を越えればダメになる。当たり前に。
「ごめん」
「貴方は俺が」
「ごめん」
「あなたは」
赤司は片手で両目を隠して俯いた。雨にまぎれる赤司の涙。誰も知らない赤司の
こんな赤司はオレだけが知っていればいいことで、
「僕が」
「ごめん赤司」
世間の知る、神様みたいな、
完璧超人な赤司なんて
抱きしめてやりたかった。が、ここは外だ、という意識がかろうじて指先を留まらせ、オレは片方の手で赤司の冷えきった手首を臆病に掴んだ。
「オレが悪かった、から。こういうとこ来んな。頼む」
「………」
「……電車の中で死にそうだった」
したくもない想像が浮かんで浮かんで、どれだけ舌打ちしてもふり払えなかった。
オレの赤司が『オレ以外の男と』
「……もし俺が、貴方のいないところで、知らない人と身体を交えていたら、黛さんは俺と別れましたか」
瞬間的に頭に昇った血を眉間に皺を寄せて耐えた。やめろお前の口からそういうことを言うな。
「…別れるかよ」
何か言おうと口を開いた赤司を遮り、掴んだ手首を強く握る。
「二度と逃がすか」
もし本当にそんなことになったら。
罪悪感なんか沸く前に捕まえて閉じ込めて誰にも一生見せない。
野次馬みたいに寄ってくる世間の目から一生こいつを隠して、守って、独占して
「だったらそうすればよかった」
また弾けるように赤司が叫んだ。
「黛さんに捕まえておいてもらえるなら誰かと寝ればよかった」
「やめろ」
「貴方が何を考えてるかわからない」
前髪から伝い落ちた雫が赤司の頬に落ちる。
「貴方が別れたいと言うなら俺に逆らう術はない。俺は貴方が好きだけど、いやだって、行かないでって、追い縋るような真似は俺にはできないのに。貴方は別れる気はないって言う。だったら何が怖いんですか。そんなに怯えて、俺が他の男と」
「――――いつでも気付けるだろお前なら!」
一瞬だった。弾けた破片で飛び火した赤司の傷がドッとオレにも流れ込み、熱い痛みを覚えた瞬間感情が爆発した。
「さっさと目覚ませるだろ、いつだって!なぁ、ただの依存なんだろ。お前オレのこと魔法使いだとか言ったけど、ただの刷り込みが魔法なわけあるかよ。お前がいつ気付くか、我に返るか、お前みたいな奴がいつ、世間に連れて行かれるか、お前にはわかんねぇんだろ。オレが何がそんなに怖いのか」
「……」
「魔法なんて解けりゃ終わりだろうが。他の男を知らないから、オレじゃないとダメだと思い込んでるんじゃないかって。こんなどこにでもいる平凡な男にお前が執着する価値があるわけねぇんだよ。なんで許してんだ。たまたまそこにいただけのオレなんかに」
「まゆずみさん」
「…オレなんかにいつまでも逃げてんじゃねぇよ」
捨てりゃいいんだとか潮時だとか、自分を都合よく悲劇に主人公にするセリフばかりが浮かんできて反吐が出る。そうだ、オレが怖かったのはこんなにも惨めな劣等感。オレが逆立ちしても敵わないオレより地位も権力も才能もある立派な立派な誰かに赤司を奪われたくない。赤司を渡したくない。でもオレはオレでしかないから。
オレはお前の影でしかあれないから。
「…貴方はこの俺が、ただの気の迷いや勘違いを他者への好意と履き違えると思ってるんですか」
静かな怒りを湛えた瞳がオレを見上げる。
「この俺が。赤司征十郎が。好いてもいない人間に何事をも許すと思ってるのか」
咄嗟に口を開き、何も言い返せずに噤んだ。思ってない。オレは…
「逃げてる、だと」
赤司がオレの胸ぐらをつかみ上げ、怒りと屈辱に染まった瞳で声を張り上げた。
「次にそんなことを言ったら本当に別れるぞ」
「いやだ」
「だったらもっと俺を信じてください!」
違う。
オレは、お前のことは信じてる。
オレが信じられないのはお前じゃなくて、[[rb:黛千尋 >オレ]]だ。
「俺はどこにも行きません」
大きな雫が赤司の瞳の淵に溜まり、瞬きと共に白い頬をすべり落ちた。
「貴方が貴方である限り」