空っぽの恋

あの暑い夏。
赤司率いるVORPAL SWORDがジャバウォックを倒したあの日から、ちょうど1年が経っていた。

「すごかったよなマジで!すげぇ興奮したわ」
「正直なぁ、さすがに海外には通用しないだろと思ってたしな。実際ギリギリだったけど」
「いやでも頑張っただろ。あんな連中が日本にいると思うとマジ自慢したくなるし」
「プロなってほしいよな、青峰とか火神とか…」
「プロはなるだろ。ならねーと嘘だろ。それよか絶対NBA行って欲しいっつーか、黄瀬とかも」
「あのキャプテンのやつのオーラはなんなの?なんだっけ、けっこう小柄な」
「赤司だろ。赤司征十郎。まず名前がすげぇ」
「それ。アイツのゲームメイキングっつーか全体のパス回しすごすぎて鳥肌立った。頭いい方の天才だろ絶対」
「そうそうアイツはマジの天才。全国模試とか常に上位で、しかもめちゃくちゃいいとこの息子なんだぜ。一時期月バスのキセキ特集アイドル雑誌みたいになってたし」
「マジか。あ~妙に美形だしなぁ。選ばれし者ってやつだよなぁ一般人には近づきがたいわぁ」

元キセキ擁する日本チームとアメリカのクソチームの激戦後、その劇的な試合内容も相まって、学生の間ではバスケの話題が俄かな盛り上がりを見せていた。
確かにあれは勧善懲悪と言った側面が色濃いゲームで、「善側」の日本人にとっては、胸のすくようなセンセーショナルな試合だったと思う。体型的にどうしても不利を強いられがちなこのスポーツにおいて、キセキ連中や火神たちの繰り広げた試合内容は、この国の人間の固定概念を根底から覆したに違いない。
その衝撃と興奮は見た者を大いに沸かせ、雑誌やテレビ、ネットなどにも波及し、いまやプチブームと言っていい流れを世間に作り出していた。

(…まぁ、いつまで続くかは知らねぇけどな)
オレは冷めた感覚で世の移り変わりを傍観しながら、学食のざるそばをずるずると啜っていた。大学の食堂で食べる飯は大体麺類だ。ラーメンなどは可もなく不可もなく、出汁にこだわりのあるという麺つゆ系はそれなりに美味くて安い。
聞きたくもないのに耳に入ってくる、背後で交わされる浮かれた会話に小さく舌打ちする。誰だ今ドヤ顔で赤司のこと語ってたやつ。てめぇが育てたわけでもねぇのにうるせぇよ。
「―――あっ!そういや黛、お前」
突然名を呼ばれ、ぐ、と蕎麦を詰まらせる。
クソ気取られた…。この俄かブームが起こってから、どうもミスディレが上手く機能しない時がある。バスケと言う話題にオレの無意識が反応してしまってるのか。ダサイことこの上ない。これだから影としての覚悟が足りないとかなんとか言われる…、
「お前、去年まで洛山だっただろ。ジャバウォックのアレで最近テレビでもよくキセきあいつらの映像流れるけどさ、お前も出てたよな、なんかの大会の決勝戦」
ウィンターカップな。ミーハーで騒ぐにしてもちょっとくらい勉強しろよ。
「たまに映っててびっくりするんだよ。まぁお前影薄いから基本見失うんだけど。スタメンとかすごいじゃん。ああいうのってめちゃくちゃ狭き門なんだろ?」
「…さぁな」
オレは「めんどい」とあからさまに顔に書いて、無心で蕎麦を啜り続けた。
純粋な評価は素直に受け止めるが、見世物パンダ扱いはお断りだ。しかしいつもの態度が態度だからか、オレの機嫌が悪いことには誰も気付かず、「えーまじで」「すげぇな」と勝手に会話が進む。
「てことはあの赤司って奴とも仲良かったんだろ?えーと2歳下になんのか?あれ?でも主将なのか」
「なぁ、やっぱあいつのプレイってすごかった?練習とか一緒にしてたんだろ?どんなやつ?」
「普段の感じとか想像つかないんだけど普通に後輩なの?てか金持ちってどのくらい?モテてた?」
ああああああああうるせぇ。興味本位であいつを覗こうとすんな。死ね。
無表情を崩さずひたすら無言で蕎麦を啜っているオレに、なお空気を読まないはしゃいだ声が降ってきた。
「今でも赤司と付き合いあんの?」
「………」
基本、「黛はしゃべらない奴」で通っている。別にオレは(愛想のなさは置いといて)話すことがある時は普通に話すし話したいと思った相手にも普通に話すが、メリットもないのにカテゴリの違う相手に合わせられるほどお人よしではないので、無口だと認識されているならその方がラクだ。
だからオレが一切反応を返さないことを、誰も特には気にかけない。相変わらず自分たちが当事者のような顔をして、奴らは得意げにバスケの話題を続けていく。
ごくん、と蕎麦を嚥下した。
「―――……付き合ってる」
赤司征十郎と。
ぼそり、呟いたところで誰も聞いていない。
聞いていたとしてもそれは額面通りに受け取られるだろう。「先輩、後輩として今でも交流を続けている」という風に受け取られるだろう。
付き合ってる。男同士で。そこに至るまでにオレたちが噛み砕いてきたありとあらゆる感情は、「恋愛感情」としてわかりやすく片付けられるものじゃなかったかもしれない。でも、腹が立つほどに好きで、可愛くて仕方ないと頭を抱える夜は確かにあって、それが恋とか愛とかふわふわしたものだって言うんなら今さらもう否定はしないし、赤司だって似たようなものらしい。
どうしてこうなったとお互いに思いながら、それでもオレたちは多分、ちゃんと、付き合ってる。
(…誰も信じねぇんだろ)
そう言ったところで。
メディアを通して映し出され流出する「元キセキの主将・赤司征十郎」の姿は、余りにも現実離れした手の届かない存在として、偶像を越え、もはや神格化されているように思えた。
まぁ、間違ってはいない。訂正する箇所はない。あいつが二次元もひれ伏すスーパーハイスペック超人であることは事実だ。威容を誇る「赤司家」というブランド。先天的な超優性遺伝子に驕らず尚才能に磨きをかける凄まじい熱量。余りにも現実離れしている。手なんか届くわけないと、一般人は気後れし、一線引いた場所から眺めるに留めておこうとする。その気持ちはよくわかる。
そうだ。よくわかる。
(オレはうっかりその一線を踏み越えてしまっただけのただの一般人)
ああ、と理解した。そんな当たり前なことを忘れていた自分に気付き、ずっと胸がもやもやしていた理由がわかった。オレの部屋でただの猫みたいになってる赤司の姿しかこのところ見てなかったから、すっかり失念してた。
久々に、思い出した。そうなんだよな。
あいつは、天帝だ。
どんな環境でも、どんな状況でも、羨望を集め人心を支配する、そんな星の許に生まれたやつだ。
そしてオレは本来、無関係な立場から好き勝手に騒ぐだけのこいつらと同じ側の人間であって、あの神をも畏れぬ天帝サマに、触れることすら許されない立場だった。
(だから、なんだ)
別にそんなことわかりきっているし、どうだっていい。そんな現実に打ちのめされるくらいなら、オレはあの日の屋上で赤司の飼い犬になることを選びはしなかった。
なのに、なんだ。なんで、こんなに。
ふいに、心臓に鉛の玉が落とされたみたいにずんと重くなって、飲み込んだ蕎麦は、上手くのどを通らなかった。


俄かバスケブームはそれ以降もしぶとく各メディアで一定の需要を保ち続けている。プロのチームや競技団体の在り様なども注目され始め、もはやそれはブームを越えた、ひとつの定番として定着しつつある。
そして「キセキ」への注目度も、依然変わらず。
ふと点けたテレビ画面で。眺めていたネットの中で。本屋の雑誌の表紙で。
オレは赤司の姿を見かけることが多くなった。そこにオレの知っている赤司はいなかった。
鉛の玉は日に日に重みを増していき、オレの心に深い影を落とすようになっていた。
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